31.止まらぬ想い
イゾウさんのベッドは私のより少し広くて、布団もふかふかで暖かくて気持ちいい。
でも…壁一枚向こうは私の部屋。
「何でこっちに…」
「こっちの方が色々と都合いいんだよ」
「書類が溜まってんだ」なんてブツブツ言いながらイゾウさんは、机の上で山積みになった書類を見て舌打ちをした。
机と椅子を乱暴にベッドの側に引き寄せると、片手で書類を捲りながら私の髪を無造作に撫でる。時折ふわっと耳のピアスを弄ぶ指先が擽ったくて、そっと小さく身を捩った。
本当に処置が良かったみたいで直接触れない限りは殆ど痛まない傷口を、それでも気遣ってくれる優しさと相変わらずな大雑把さ。
大人でしっかりしたマルコさんより、いつも明るいサッチより、若くて快活なエースよりも。
私が好きなのは、この人。
もっと触れたいと
もっと触れて欲しいと
無意識にその横顔を、見つめていた。
それに気付かない筈は無いイゾウさんに、逸らす事を許されない強さで絡め取られていた視線の距離は近付く。
「あ…」
視界を塞ぐようにゆっくりと、目蓋に口唇を落とされた。
「そんな目で見んな」
「…え?」
「煽ってんじゃねェよ。無自覚か?」
「ほへ…?」
スルリと服の隙間から侵入して来た少し冷たい手に身体を撫でられ、ハッと我に返った私は大慌てで毛布を手繰り寄せる。
「ちょ…私まだ病み上がりですらないし…!あ、さっきエリンにも言われてましたよね!?」
「俺がリリィに無理させると思ってんのか?」
「無理じゃなくても無茶です!」
確かに触れたいって思ってたけど…何もこんな時にそんな気にならなくたって…
「…リリィの意識が」
不意に小さく呟いたイゾウさんの声に、艶めき掛けた空気がゆっくりと鎮まる。
「…はい?」
「いや…リリィに余計な心配させられた分、しっかりと返して貰わねェとな」
「う…それは本当にごめんなさい…。でもそれとこれとは…」
濁されてしまったけれど、確かに聞こえたイゾウさんの言葉。
ずっと側に付いててくれたってエリンが言っていた。
私はただひたすら眠っていて、目が覚めたらイゾウさんが居てくれて嬉しかったけど…
もし私が、目覚めるか分からないイゾウさんの側にずっと居たとしたら。
「あの、イゾウさん…」
「まだ何かあんのか?いい加減、抱かれてェかそうじゃねェのかハッキリさせな」
「っ、はいぃ??何言ってるんですか!?だってここ、家と同じですよね!?」
隣にも向かいにも、上にも下にも沢山の家族が居るのに…
ストレートに求められた事の恥ずかしさと嬉しさと照れ臭さと。
モゾモゾと布団を口元まで引き上げながらチラリと見たイゾウさんの表情は、何故かほんの少しだけ緩んでいた。
多分、嬉しい時の顔だと思うんだけど…
イゾウさんを喜ばせる様な事、言ったかな?
「…イゾウさん?」
「何でもねェよ。やっぱりリリィはいい女だな」
「何言ってるんですかもう…」
突っ走り始めたイゾウさんに置いて行かれっ放しの私は小さくため息を吐いて、クツクツ笑うイゾウさんの手を取る。
「ね、イゾウさん…本当に良いんですか?」
「ん?」
「私みたいな得体の知れない女…本当にこの世界のモノじゃないなら、何が起きるか分からないのに…」
「生憎俺は明日の保証が有る暮らしには向いてねェんでな。それに――…」
イゾウさんは最後まで言わなかったけど、言われなくても分かった。
そんな事考えたくは無い。
いつまでもここに居られると信じてる。
それでも
1年後か5年後か10年後か
…1時間後か……
私がここから居なくなる可能性を否定出来る人は、まだ誰も居ない。
私の帰る場所はモビーで、側にイゾウさんが居る事を当たり前に感じてしまっていたけれど、それは本当に偶然で幸運な事でしか無くて。
いつかとかそのうちとかまたとか今度とか、そんな曖昧な次の約束なんて無いも同じだから。
トクトクと逸り出す鼓動を、さっきより温かくなったその手に隠さず伝える。
私の心を掴んで繋ぎ留める、この手を
ここに在る全てを
今、心が求めるなら―
「イゾウさん…好きです。大好き。イゾウさんになら、世界を壊されたっていい」
目一杯伸ばした腕をイゾウさんの首に回してその身体を引き寄せ、ゆっくりと口唇を重ねた。
「とことん煽りやがって…。リリィが何で在ろうと全てを愛してやる。覚悟は出来てんだろうな?」
「……明日の朝は、起こしませんよ?」
Yesの代わりにそう答えた私は、ゆっくりとイゾウさんに融けてゆく。
prev /
index /
next