27.反転
イゾウさんに抱き付いた私は、いつの間にかそのまま担ぎ上げられていた。
マルコさんと何かを話してる声が聞こえた気がしたけど、私の耳には全く届かない。
パタン、と扉の閉まる音に顔を上げると、そこはイゾウさんの部屋だった。
ふわりとベッドに降ろされ、コートとマフラーを脱がせてくれるイゾウさんをぼんやりと目で追った。
「大丈夫か?少しは落ち着いたか?」
「はい…ごめんなさい、自分で見たいって言ったのに…」
「いや、何かを思い出したなら仕方ねェだろ?」
「思い出したのか…何かもうよく分からないや…」
どうしてあんな事にばかり、心が揺さぶられるの?
私は何処で何をしていたの?
「イゾウさん…」
「どうした?」
「私、何だと思います?誰なんだろう…?」
思ってたより簡単に、信じてた筈の現実はひっくり返る。
乱暴に服を脱ぐみたいに、くるりと一瞬で。
「リリィ、俺が見えてるな?」
「うん…」
「ならそれでいい。他は何も考えるな」
「うん…」
私の頬を優しく撫でるイゾウさんの手が
静かに触れる口唇が
温かい
嬉しい
ちゃんと私はここに在るって、感じる
「リリィが何処の誰だろうが関係ねェよ。俺にとっては、ここに居るのがリリィだからな」
――そうだ
何を思い出すかじゃなくて
大事なのは、どう向き合っていくか
いちいち振り回されていたくない
不確かなピースは、嵌まる場所が分かるまでそっとしまって置けばいいんだ。
「イゾウさん、ありがとです」
「やっとその顔に戻ったな」
「どんな顔してます…?」
「ん?聞きたいか?」
視界の端で緩く上がった口元に、明らかに嫌な予感しかしない。
「聞きたいですけど…やな予感が…」
ククッと軽く喉で笑い、完全にスイッチの入ったイゾウさんから離れようとした私の身体は、いとも簡単に引き寄せられる。
「ね、イゾウさん…落ち着きましょ?」
「今の所、俺の一番好きな……」
「うぁぁ…やっぱりイイです!それ以上言わないで!」
お陰でモヤモヤした気持ちは吹き飛んだけど、不安になる度にこんな手段使われてたら、私はそのうちどうかなってしまうと思う…
「イゾウさんて、いつもそんな事ばかり言ってたんですか?だいたい今の所って何ですか、それ…」
黙ってるのが照れ臭くて、つい口にしてしまったその一言が大失敗だった…
「まだ全部知らねェからな」
「…はい?」
その短い疑問を口にする僅かな間に、私の視界には何故か天井が飛び込んで来た。
「え…っ?」
「他の顔も見てやろうか?」
「って…え?そういう意味!?」
わたわたする私の首元に顔を埋めてクツクツと笑うイゾウさんの吐息と、微かに触れる口唇がくすぐったくて身を捩る。
「ちょ…そこで笑わないで下さ…」
「あとな、リリィ以外に言った事はねェよ」
耳元で小さく囁かれて、心と身体が一瞬でざわめき出す。
どうしよう、幾らなんでもこんな急展開は予想してない。
ドクンドクンと破裂しそうに跳ねた私の心臓は、躊躇いがちなノックの音に救われる。
「―イゾウ、何してんだ。遅えよい」
「あァ、悪い。すぐに行くよ」
そういえば、さっきマルコさんと何か話してたっけ…あ、もしかして…
「イゾウさん…マルコさん来るの知っててやりましたね…?」
「さァな?」
「うわ、すっごい悪い人の顔…鏡見ます?」
ダメだ、私はこの人に勝てない。
どうしたって勝てないけど…
「―でも私はその悪い顔が、今の所一番好きですよ?」
せめて一矢くらいは、と放ったその一言は、予想以上にイゾウさんに刺さったらしい。
平然と立ち上がり、煙管を取り出そうとしたその手が一瞬止まったのを、私は見逃さなかった。
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