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  15.小さな変化




パラリ、パラリとページを捲る音が響く程、部屋は静かだった。

ずっと聞こえていた波の音が無いだけでこんなにも違うのかという驚きと、思いのほか海での生活に馴染んでしまっていたらしい自分に、クスリと小さく笑いが零れた。


あ、静かな筈だ…
ずっと聞こえていた部屋の主の寝息が、少し前から消えている。


「イゾウさん…?」
「なんだ、よく気付いたな」
「静かだなぁと思って。起きます??」
「あぁ。リリィはずっと居た…ワケじゃねェみてェだな」
「エースと運動したりマルコさんに拳骨貰ったり、なかなか有意義な朝でしたよ?」

ついでにこの本も、とマルコさんが貸してくれた他船の航海日誌の背を見せる。

「イゾウさんには今更でしょうけど、面白いです」
「…リリィ何か変わったか?」
「え…?服とか?あ、ちゃんと化粧してるから?」
「いや、そこじゃねェな…」

なんだろう?
服は実用性重視で選んじゃってるし、そんなにまじまじと見られると恥ずかしいんですけど…

ゆっくりと起き上がりながら尚もじっと見てくるイゾウさんの視線が、一点で止まった。

「あっ、あの。お茶でも淹れましょうか?」

視線に耐えられなくなって食堂から借りて来たポットを取ると、クスリと小さく笑い声が聞こえた。

「いや、風呂入って来る。リリィはここで待つか?」
「あ、はい…」

良かった、この空気から開放される。とホッとしたのも束の間、立ち上がったイゾウさんが不意に私の前髪を掻き分けながら腰を屈め、再びじーっと私を見た。


顔…近すぎ…


その距離にドキドキするのに視線が外せなくって、耳が熱くなるのが判る。
ニヤリと笑ったイゾウさんにトントンと軽くおでこを突かれて、漸く小さく息を吐いた。

「ここ、真っ赤になってるぞ。マルコか?」
「あ…」

さっきのだ…マルコさんめ。
恥ずかしいな、ちゃんと鏡見とくんだった。

「おでこだけじゃなくて、顔中赤いぞ?」
「な…なっ……!」
「すぐ戻るから待ってな」

もう一度おでこを突いて笑いながら出て行ったイゾウさんの背中に向かって、心の中で思いっきり叫んでやった。


誰の所為だと思ってるんだ!!


ささやかな抵抗虚しく、熱は収まらず。

それどころか、まだ感触の残る額を無意識にそっと触っている自分が、何だからしくない気がして照れ臭かった。


再び手にした本のページを、その日は一枚も捲る事が出来なかった。


だって…


――この破壊力は、正直想定外だ…


お風呂上りのイゾウさんは、寝起きなんかとは比べ物にならない程に強烈な艶っぽさで溢れていた。
この色香に耐えられる人が居るなら、是非ともその術を教えて欲しい。
いや本気で。



「イゾウさんて…ひょっとしなくても自覚してますよね…?」
「何がだ?」
「いえ、やっぱ何でもないです…」

思わず口をついてしまったけれど、自覚してたら性質が悪すぎるから答えを聞くのは止めた。



チラリと見たイゾウさんの、濡れ髪を拭く仕草、その指先、緩く着られた浴衣。

あぁ、何か私ヤバイかもしれない…色々と。


「…私、一度部屋に戻りますね!」

着替え終わったら来ます!と一方的に言い残して、振り返らず急いで部屋を出た。
そのままの勢いで自分の部屋に飛び込むと、抑えていた感情が一気に爆発してその場にへたり込んだ。

…あんなの、反則だ。


それによく考えたらお風呂から上がって浴衣を着て髪を下ろしてるって事は、着替える時に部屋を出なきゃならない訳で、私があそこで待つ必要無かったんじゃないの?


ふらふらと立ち上がり、ぽふんとベッドに倒れ込んだ。

「なんかやられた感…」

枕に顔を埋めて脱力していたら、カタンと隣から聞こえた物音に我に返る。

いつもは波の音で殆ど聞こえないのに―…


そして壁の向こうに居るであろうイゾウさんの姿を思い描いて、ある事に気付いた。

扉と窓の位置が左右対象で他は同じ私とイゾウさんの部屋は、必然的に大きな家具の配置は決まってくる。
つまり、今居るこのベッドの壁一枚隔てた向こうには、イゾウさんのベッドが有るんだ…


そっと冷たい壁に手を触れる。

イゾウさんみたいに気配とかは分からない。
それでも直ぐそこにいつも居るんだと思うと、じんわりと安心感がこみ上げた。



不思議と取り戻したいと殆ど思わない記憶

強く想うのは、イゾウさんの事


たった数日間でこんな気持ちを抱くなんて、あの日の私には想像出来た筈が無い。

所在無さ気な私に同情してるだけかも知れないし、違う世界から来たと言う女を単に観察しているだけかも知れない。


それでも構わなかった。

前に進むには、活力が必要だから。



パタンと扉を閉める音が近くから聞こえたので、チラリと鏡を見て私も部屋を出た。

充ちてる時の顔をした私が、そこに居た。


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