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I'm still in here-1/2

それは、誰であろうとあってはならない事であり、あって欲しくない事。
『もしも』を考えた事がないとは言わない。
けれどそれは『覚悟』とは程遠くて。




***



ぷつり。
そんな音を最後に、世界から一斉に音が消えてしまった気がした。確かに喉は動いたのに、自分の呼吸音すらも聞こえない。

「え……、……?」

どくん。
身体より先に心が反応した。
どくん、どくん……ざわ、ざわり
動きを止めた意識の隙を突いて奥底から這い出ようとするモノを、寸での所で押し返す。
ダメだ、いけない。これは今思い出してはいけないもの……なけなしの本能で意識を呼び戻す。
止めてしまっていたらしい呼吸を必死に繋ぎ直し、そこで漸くルリは自分の置かれている状況を思い出した。

「……おい、聞いてっか?」
「あ、うん。聞こえて……る」

イゾウが負傷した。かなりの大怪我で意識もない――その報せは、彼の放つ弾丸の如き速度でモビーを駆け巡ろうとしていた。
一報を受けたのはマルコ。彼女はたまたまその場に居なかった。
在らぬ憶測混じりで聞くよりも、きちんと伝えた方がいい。そう判断した家族が書庫で海図を探す彼女の元に向かい、事実のみを報せたのが、つい今し方の出来事。

「そう……」

しかし取り乱すかと思われた彼女は意外にも冷静だった。検めていた海図に栞を挟みそっと書架に戻すと、ゆっくりと二人――サッチとハルタに向き合った。

「サ……ッチ」
「ん?」
「ハルタでもいい。意識飛ぶくらい、全力で殴って」
「は?」
「海に突き落としてくれてもいい……とにかく、このままじゃわたし、行ってしまうから……」

――最後は絞り出すようなか細い声で。
驚いて顔を見合わせた二人は、その言葉の意味を推し量る。

妙な空気だった。
それはここが書庫で埃臭く、潮の香りがしない所為とも思えたし、普段はよく喋るサッチが必要最低限の言葉しか口にしない所為にも思えた。

「……サッチ、ルリに何かあったかい飲み物作ってやってよ」

先に答えに辿り着いたハルタがサッチに告げる。「おう」短い返事を残したサッチは、この場を素直にハルタに任せ部屋を出て行く。

「あのさ、ここでルリを殴るのは簡単だけど……目覚めたイゾウにぶん殴られるのは、ゴメンなんだ」

ハルタらしい返事に、「うん……ごめん」小さく答えて、彼女はソファに沈む。
「ごめん」もう一度そう言って祈る様に握りしめた指先は、小さく震えている。

「……何もしなくたって、目覚めた時側に居てやったら喜ぶんじゃないの」

その隣にそっと腰を下ろしたハルタの呟きに、ルリは黙って首を振る。
正直な所、泣かれると思っていた。なのに彼女は至極冷静に理性を働かせている。

馬鹿じゃないの――ハルタを過ぎったのは、そんな言葉。
本人がどこまで自覚しているのかは分からないが、彼女のイゾウへの想いは、とんでもなく真っ直ぐで強固ではないか。それなら、何故……
それは今考える事ではない。ハルタは意識を現実に戻す。今は冷静でも、何がトリガーになって暴発するか分からない。感情の揺り返しにだって、注意してやらねばならないだろう。

「目が覚めた時わたしがそこに居たら……きっと余計な心配する。だからわたし達は、これでいいの」

暗に自分の能力の事を言っているのは明らかだった。だからこそ殴ってでも止めてくれ――そういう事だったのだろう。
何で笑っているんだ。本当は駆けつけたいくせに。今すぐ飛び出したいくせに。泣き叫びたいくせに。
ああ、本当に馬鹿だ。
現実の非情さにハルタは小さく舌打ちをするしかなく、それがまた遣る瀬無さを生む。

「もしわたしが“これ”で助けても喜ばない。それに……これから先ずっと、わたしの時間を減らして今を生きてるなんて枷を、付けたくないの」

だから彼女は、その能力を白ひげにも使わない。「娘の命を貰ってまで生きてえ親が何処に居る」それが白ひげの言葉だ。
ルリがその能力でイゾウの治癒力に手を貸せば、助かる確率は格段に上がるのだろう。
けれどそれと引き換えに、たとえ僅かでも彼女の時間は……そしてそれに気付かないイゾウではない。

「ったく、なに下手踏んでんだよ、イゾウのヤツ……」
「本当に、ね。らしくないなあ……」

ハルタの視界の隅でルリが唇を軽く噛み、手のひらを強く握り締めているのが見えた。
ああ、そんなに強く握ったら爪が食い込むのに。痛々しいったらありゃしない。いっそ泣いてくれた方が、余程……

「……もし、僕になにかあった時は」
「うん?」
「恩着せられたなんて思わないからさ、気の済むようにしてくれていいよ」
「……うん」
「ま、僕はそんな事にはならないけどね」

不謹慎だとは思わなかった。今の彼女が選択を違えているとも思わない。けれど、こんな姿を、想いを見てしまったから。
繰り返させるのは酷だとしか思えなくなってしまったのだ。

生命に干渉する能力だなんて素晴らしい。そう思った事もある。しかし現実は、なんて残酷な能力なのだろう。
親しければ親しい程、愛せば愛す程、彼女の命だけではない大きな犠牲と葛藤をそこに孕む。

「……わたし、部屋に戻るね。ありがとうハルタ。サッチにもよろしく言っておいてね」
「ルリ」
「ん?」
「大丈夫だよ。僕らはとっくに、死神に見放されてる。イゾウは特にね。ルリだってそう思うでしょ?」
「……うん、もちろん。もしもの時は、死神ごと殴ってでも連れ戻す。今更怪我の一つ二つ増えたって、問題ないでしょう?」
「はっ、言うじゃない。おちおち怪我も出来ないなこれは」

笑ってソファに深く身体を沈めたハルタを見ながら立ち上がったルリは、泣きそうな――泣いているような顔で、でも彼女は確かに笑っていた。

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