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The future starts today

 その日モビーディック号は、普段より少しだけ速度を落とし進んでいた。
 波間に揺れる月明かりを悠々と割り進む巨大な船の甲板をそこかしこ……などという規模ではなく埋め尽くすのは、人族、巨人族、魚人族、ミンク族……まるで世界の縮図の様。これは我らが船長が、種族の区別なく家族に迎えて来た結果に他ならない。
 外の世界がこの景色の様ならばと思う時もあるけれど、きっとそれはまだまだ先の話。




 広い広いモビーの甲板全てが見渡せる特等席。メインマストの見張り台にわたしは今日も座っていた。
 今日も、と言うよりは「今年も」と言う方がきっと正しい。何故なら今日はエースの誕生日前夜、つまり一年の終わりの日。
 不寝番担当のくじをマルコ隊長が引いてしまったのが、昼食後の事。1番隊がこの1年間使わずに来た不運を全て消費して新しい年を迎えるんだ、と思えばこの程度、どうって事はなかった。見張り台の年跨ぎくじを今回もわたしが引き当てたのだって、厄払いみたいなものだと思えば……

「――ツッコミが必要か??」
「いえ……もうこれ、公式にわたしの担当って事にします……」

 今夜は雲ひとつない好天で波も穏やか。例え嵐が起きても、ここは白ひげ海賊団の母船。不安な要素なんて、正直何ひとつ無い。
 だからと言って、この役割を放棄して宴に耽る事は出来ない。わたしだって一応、その位の自覚と責任感は持ち合わせている。

 そんな胸の内とは裏腹に、膝を抱えて宴を眺めるわたしの姿は完全に、拗ねた子供そのもの。ううん、差し入れて貰ったお酒をちびちびと啜る様は、認めたくないけれどきっと、おっさんじみているのだろう。ああ、イゾウさんの優しさが骨身に染みる……

「発言と表情が合ってねェぞ?」

 声に笑いを滲ませながら、イゾウさんはぽんとわたしの頭を撫でた。ぽんぽんともう一度、子供にするみたいに。
 今年何回目の、なんてカウントをした事はないのに、これが今年最後かも、と思った途端、ほわほわとむず痒い。

「だって……本音と建前ってヤツですもん」

 素直に認めるわたしにイゾウさんは、「そういうのは普通包み隠すモンだろ」と包み隠さず笑い、今度は少し乱暴にわたしの頭を撫でた。
 さっきのが最後ではなかった――そう思った時にはわたしの手は、まだ温もりが残るそこに触れていた。
 こんな行動を取るなんて……慌てて髪を直す振りを装うも、触れた事のない自分の感情はまるで、少女の様で重歯がゆい。

「今年も終っちまうな」
「終わっちゃいますねー」

 モビーでの暮らしも片手で数えられる年数をとうに越えていた。沢山の人との出会い、幾人かと別れた。何事も無かったわけではないけれど、概ね順調な一年だったと思う。
 わたしは海賊としての今の暮らしを、とても気に入っている。 

「変わらないのって物足りない時もあるけど……この光景だけは、変わらないで欲しいなぁ……」

 笑い声、怒鳴り声、ジョッキをぶつける音、食器の割れる音……お行儀の良いものなんて1つもないのに、全てがキラキラと眩しかった。何ひとつとして失いたくない大好きな光景。大切な家族。
 一際賑やかな輪の中にサッチやハルタが小さく見えて、思わず手元の望遠鏡を覗き込む。ああ、みんな楽しそうだ。きっとこのままぐでぐでに酔い潰れて、明日の朝にはそこかしこに……

「あーもう!こんな時に……」
「ん?」

 返事の代わりに望遠鏡を手渡して、目の前に垂れ下がる鐘の紐を全力で引いた。大きく一回、その後に素早く数回。それを受け、他のマストの鐘も連鎖的に打ち鳴らされる。敵襲の合図だ。
 その途端、甲板を割らんばかりの雄叫びが一斉に湧き上がった。余りの迫力に身を乗り出して覗き込めば、真昼間から飲んでいて足元もおぼつかない筈の面々が、嬉々として臨戦態勢に入っている。向かってくる海賊には気の毒だけれど、きっとみんなの気分的には酒の余興なのだろう。

「おーおー。随分と張り切ってんなァ」
「あと少しで年明けなのに……無粋な海賊さんですよねぇ」

 これだけの人が甲板に出ていたら、夜警の当番はあって無いようなもの。要は、早い者勝ちだ。
 半分ほど残っていたアルコールをひと息で飲み干して、緩みきっていた背筋を伸ばした。不寝番中なので装備は万全。無粋な輩は早々に片付け、晴れやかに新年を迎えたい。

「イゾウさん、わたし行ってきま……え!?うわわっ……」

 立て掛けておいた愛刀へ伸ばした腕が掴まれて、わたしはゆっくりとバランスを崩す。と同時にどん、と大きく鳴り響いた威嚇砲の衝撃で取り落としそうになった愛刀は、横から伸びてきた手に支えられて、何事もなく元の場所へ。
 そしてわたしの身体はと言うと、床とは違う感触の中にすっぽりと着地していた。

「ルリはここでいい」

 あっという間の出来事に状況を整理出来ないわたしの中で、どん、と低い音が鳴り響く。砲撃なのか心音なのか、そのどちらでもないのか……確かに感じるのは、背中全体で触れるイゾウさんの身体の硬さ。そしてじわりと柔らかな体温。

「あの……イゾウさん??」
「見えるだろ?余るほど居るんだ。ルリは行かなくたって問題ねェ」
「でもわたし一応不寝番ですし、それにこの体勢……」

 今わたしにとっての問題は、どちらかと言えばそっちなのだった。
 ぴたりと収まりの良い胡座の中から抜け出すべく、腰を浮かせながらそう言うと、無言で肩を押さえられて元の位置に。
 昼夜場所を問わないイゾウさんの強引さは、今日が大晦日であろうと変わるはずがなかった。いくらここが見張り台の上とは言え、人目につかないとは限らないのに……
 仕方なく膝を抱えて小さくなったわたしの背後からは、どん、どん、どん、と今度は確かに砲撃の音がする。銃砲音は聞こえないので、敵船はまだ遠いのだろう。

「マルコ隊長に怒られます……」
「文句はルリにじゃなくてタイミングの悪ィ敵船に言えばいい。それに……もうすぐ日が変わっちまう。何処の誰だか分からねェヤツらのど真ん中じゃ、感慨も何もあったモンじゃねェよ」
「……イゾウさんて時々、とんでもない理屈で真正面からごり押ししてきますよね」
「そうか?」
「そうですよ?でもそういうの……わたし嫌いじゃないです」

 イゾウさんの胸に預けた頭を真上に反らしてにっこりと、わたしにしては悪い顔で笑うとイゾウさんは満足そうに、でもわたしの何倍も悪い顔で笑っていた。思っていた以上に近いその距離に、真顔になって息を呑む。
 喉仏がクッと小さく動くのが見えて、笑いを飲み込まれたのだと分かった。じわじわ追い込まれる気配から逃げようとした途端、ごちん、といたずらに額をぶつけられる衝撃に面食らったその時。

「ん」
「わ……!?」

 モビーとその周辺の大気がぐらりと大きく震え、ゆっくりと大きな波をひとつ生んだ。久しぶりに味わう、肌にびしびしと刺さるこの感触は……

「オヤジが出て来るとは珍しいな」
「これは……戦うまでもなさそう……」

 強者揃いの白ひげ海賊団クルーですら、この重たい覇気の中に長時間いる事は難しい。平然とした顔のイゾウさんにさり気なく抱え直され、わたしは何とか平静を保っていた。その辺の海賊船では近付けもしないだろう。
 どうやら機嫌が良いらしい我らが船長は、愉しげにグラグラと笑い続けている。
 この様子ならば海賊船一隻を、文字通り笑い飛ばしてしまうに違いない。

「ルリは大丈夫か?」
「なんとか……」

 しかし強烈な覇気はすぐに穏やかなものに変わり、それと反比例して大きさを増す歓声。そのまま何処からともなくカウントダウンが始まった。
 カウントゼロ。敵船の撃退と新年を祝い、全ての砲門から一斉に空胞が撃ち鳴らされる。そして乾杯の声が空気を割り、広い海原に響き渡った。とても賑やかでモビーらしい、新しい年の始まりだった。

「……ろしくお願いしますー」

 止まない祝砲に邪魔されて、張り上げたはずの自分の声ですらよく聞こえない。仕方なく、会話をする事を少しの間諦めた。
 急がずとも今日はまだまだ有る。けれど何度味わっても感慨深いこの空気は、今だけしかない。何しろ白ひげ海賊団総勢1.600名の、新しい1年が始まる瞬間なのだから。

 甲板の賑やかな空気に穏やかさが混じり始める。そしてお肉の焼ける匂いも。早くも場は、エースの誕生日祝いに移り始めている様だった。わたしも後でお祝いに……

「あァ、今年もよろしく」
「ふぇ……っ!?あ……よ、ろしくお願いします……っ」

 いきなり耳元で囁かれ、無防備だったわたしの器は、あり得ないほどに狼狽えて跳ねた。
 耳を始点に指先までが一瞬で熱くなり、はくはくと声にならない声でイゾウさんに抗議する。その反応に満足したのかケラケラと笑うイゾウさんに、捕まえられている事を忘れていた訳ではない。ただここは、居心地が良くて――

「……来年は、どこか違う場所で過ごせたらいいなぁ」

 無意識に。
 本当に無意識に、わたしは先の望みを口にしていた。
 ううん、違う。今までが意識的にそれらを口にしていなかっただけで……

「俺はここでもいいぞ?」
「イゾウさんは欲がないですねぇ。それともお酒が有れば何処でもとか?……あ……」
「酒も欠かせねェが……ん、どうした?」
「いえ……」

 互いにひと言もそれには触れていないのに、また一緒に過ごす事を前提に話をしている事に気付いてしまった。イゾウさんもわたしも、それがごくごく当たり前であるかの様に。

 徐にするりと抜け出すわたしを、イゾウさんは引き止めなかった。
 真正面から向き合ってすぐに口を開いたのは、わたしなりの決意の表れ。

「わたしもイゾウさんと一緒なら、何処でもいいです」

 わたしが嬉しければイゾウさんも嬉しい、そう在り続けたいと、躊躇わずに思える様になっていた。共有するのならば、苦悩よりも喜びの方が良い。もうこのくらいの事は、素直に受け入れてしまって良いのだろう。

 封を切ったばかりの酒で満たされたグラスを、何も言わずに差し出してきたイゾウさんに、「よくできました」そう言われた気がした。

「今年もよろしくお願いします」

 大丈夫、イゾウさんは強い。わたしだって自分では何も出来なかったあの頃とは違う。迷って躓いてもがくけれど前に進めるし、選ぶ事も守る事も出来る。

「では、今年最初の……」
「乾杯」

 冒険の路は半ば。新しい年の始まり。
 次にこの日を迎える前に、わたし達には、モビーには何が待っているのだろう。

 わたし達を呼ぶ声が喧騒の中から小さく聞こえ、イゾウさんと顔を見合わせひと呼吸。そしてお揃いの悪い顔で、笑った。
 心の内もきっと、2人同じ。

 星空に向けて一発。
 イゾウさんの愛銃が発した音の意味はみんなに届いたのか、それとも。

fin.
今年もうちのモビーを、よろしくお願いします!


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