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幸せは甘やかに色付く

Birthday 2016

 比喩や情緒的な表現ではなく、事実現象として目まぐるしく季節が巡るのが、ここ新世界の海。
 その所為ではないだろうけれど一年が経つのはあっという間で、マルコ隊長の誕生日を祝う宴が今年も盛大に催されている。
 おめでとう、マルコ隊長。でもわたしの頭の中を占めているのは、一週間ほど先に開かれる次の盛大な宴の事なのです。ごめんなさい、マルコ隊長。

 同じ事で悩んでいたのはつい最近の事だったのに。そう感じるのは、わたしもひとつ歳をとったからなのだろう。時間は等しく容赦なく、わたし達の間を流れていくのだ。

「マルコたいちょー、全力で楽しんでますねぇ……」
「そんな冷ややかな言い方してやるなよ」
「えー?そう聞こえました??」
「いい年して意地っ張りだからなァ、あいつも……」
「……です」

 マルコ隊長にとって何よりの贈り物は、こうしてここで親父と、そして家族と過ごす時間なのだろう。口にこそしないけれど、あんなに分かりやすく表情に出てる。「もう祝わなくていいよい」だのなんの、ついさっきまで顔を出す事すら渋っていた人だとは、とても思えない。

「全隊揃ってのお祝いって珍しいですもんね。嬉しいんだろうなぁ……」

 16番隊が任務を終えて戻ったのは、宴が始まって間もなくの事。なんと予定を二日も繰り上げて帰って来たのだ。
 戻った16番隊のみんなは当然クタクタで、相当な無理をしたのであろう事は想像に難くない。なのにイゾウさんは涼しい顔。部下任せにはしない人だから、誰よりも動いていたはずなのに。
 きっとこれは、イゾウさんなりのお祝いなんだと思う。マルコ隊長と違って顔には出さないけれど、イゾウさんはそういう人だから。

「ん?どうした?」
「いえ、お疲れさまだなーと……」

 わたしの考えている事なんてお見通しのイゾウさんは、「何のことだ?」なんてすっとぼけながら、空になっていた二つの盃を酒で満たしている。いつも余裕綽々のこの人に、わたしが追いつける日は来るのだろうか。誕生日の贈り物ひとつ、浮かばないわたしが。

「ルリの方こそ、疲れてるんじゃねェのか?マルコの世話も大変だろ」
「ぷっ……世話って……だいじょぶ、です、けど……あーダメだ、むり……ふふっ。イゾウさん……さっきからマルコ隊長を年寄り扱いしすぎです」
「俺はそんな直接的な言い方はしてねェぞ?」
「ほら、それもです。遠回しに……あーもう。つらい……」

 ひとしきり笑い疲れてごろりと寝転がると、滲んだ視界がキラキラと眩かった。皆の明るさと賑やかさに霞んでいたが、今夜はとてもいい天気だ。来週もこんな天気だといいのだけれど……

「なァ、ルリ」
「はーい??」

 視界を遮るように突然差し出された手には、小さな小さな巾着がひとつ。
 それを目の前でゆらゆらと、催眠術にかけるみたいに揺らされて、ぽかんとしたまましばらく目で追う。右左、みぎひだり……下??

「……眠っちまう前に受け取れ」
「え、今の本当に催眠術なんですか!?」
「さァ、な?」

 額の上に降ろされた巾着を取りながら慌てて身体を起こすと、イゾウさんが小さく肩をを震わせていた。ひどい。わたしの頭の中を読んで、更にからかうなんて。
 それがなんだか悔しくて、手の中に握ったままでいた巾着袋。けれどすぐに好奇心に負け、綺麗に結ばれていた口紐を解いた。
 中から取り出した容器の、細やかな細工の施された蓋をくるりと回すと、そこには鮮やかな色の……

「これ……口紅?」
「遠征中に見つけた。いい色だと思ったらつい、な」

 イゾウさんはみなまで言わず、ゆっくり前を向いて盃を一気に煽った。その横顔を見ているうちに、じわじわと嬉しさがこみ上げる。
 だってイゾウさんにお土産を貰ったのだ。
 しかも“つい”とはいえ、出先でわたしの事を思い出してくれたのかと思えば、嬉しくならないはずがない。

「ありがとうです。大事にします……」
「そんないいモンじゃねェぞ。っと、悪ィ。ちょっとあっちに顔出して来る」
「はーい。みんなによろしくです」

 16番隊の皆の方へ行くイゾウさんに手を振って見送った途端、力が抜けてふにゃりと身体が崩れた。どうやらわたしはかなり緊張していた様で、乾いた喉をアルコールがするすると通り抜ける。
 手の中の巾着をよく見れば、紅の色だけではなく容器の細工も生地も、とにかく細部に至るまで、とことんわたしの好みだった。ついうっかり、そんな簡単な話ではない事は、流石のわたしでも分かる。
 これはいよいよ本気でイゾウさんへの贈り物を考えなければならない。イゾウさんの為の、わたしにしか出来ない……

「なに貰ったの?うわ、もしかして口紅?」
「うわって……イゾウさんに聞かれたらはたかれるよ??」

 後ろからひょっこりと覗いてきたハルタは、イゾウさんの立ち去るタイミングを見計らっていたのだろう。「ふーん、そっかー」とひとり呟いて、なにかに納得している。

「居ないから言ってんじゃん。へぇ、イゾウがルリに口紅とはねぇ……」
「え?なにか良くない??」
「いや、そういう意味じゃないから。ほら、ちゃんとしまっておきなよ」

 隠す事ではないのに、まじまじと見られそう言われると、何故か途端に照れ臭い。
 慎重に蓋を閉め、口紐を結び直していると「じゃ、マルコのとこ行ってくるね」なんて、ハルタにしては珍しく、不自然な流れで話を畳まれた。口を引き結んだその表情はリスみたいで、少し膨らんだ頬が震えている。

「……ハルタ、待って?」
「ん?」
「何か言いたいって顔してる」
「ふうん……それはちゃんと分かるんだ?ほんっと、ルリって……イゾウの前で“だけ”、どんどん無防備になってるよね」
「へ?」
「無防備って言うか、疑わないって言うか、抜けてるって言うか……」
「えーなにそれ……」

 予想外に散々な言われように、返す言葉も浮かばない。これでも一応、マルコ隊長の補佐なのに。

「まぁいいや。だから、さ……これはもちろん、僕の経験や推測を含む海賊一般論が前提の話だよ?」
「うん?」

 ずいぶんと持って回った言い方で、これはもしかして聞かなかった方がいいのでは……と今更ながら思うも、もう遅い。それに引き留めてしまったのは自分なのだ。

「口紅を贈るって、さ…………

 ハルタの口から出てきた言葉は、わたしの予想外の更に上で――――




* * *



 それからの一週間はあっという間だった。
 あの日以降、わたしの頭の中はハルタに聞いた話でいっぱいで混乱して、どうやって過ごしたのかもほとんど思い出せない。
 あの話は、モノにまつわるエピソードの一つに過ぎない。それなのにわたしは一週間、イゾウさんに会えずにいた。どんな顔をしたらいいのか、一方的に分からなくなってしまったのだ。

 貰った口紅は綺麗な珊瑚色。
 とても素敵なのに、まだ一度も付けることが出来ないままでいる。

「……あーもう……どうしよう」

 あの日イゾウさんがしていたみたいに、寝転んだ自分の眼前でゆらゆらと揺らす。その度にチラチラと浮かぶのは、イゾウさんの表情。
 特別に変わったことはなかった。疲れている様子も見えなかった。“つい買ってしまった”からとくれた口紅の色は、わたしの好きな落ち着いた色。だから買ってくれたのかなと、そのくらいの事は思う。そこまででよかったのに……



 ――口紅ってさ、“少しずつ返してほしい”って意味を込めて贈る場合が有るんだよね。
 ――返す?
 ――どうやって?とか聞かないでよ?
 ――うん……言わない。
 ――海賊の好む色事の言葉遊びだね。もちろん、そうじゃない事も多いし、なによりルリが知ってる可能性があるのに、わざわざそんな意味を込めるとは思えないよ。だから、気にしないでいいんじゃない?

 自分で掘り下げておきながら、すごく気になる――とは言えなかった。



 ……そう、混乱しているのは話の内容以上に、それを受けて沸き上がった自分の気持ちにだった。
 もしハルタの言うような意味だったとしても、それには気付かない振りを貫けばいい。それなのにわたしは、そんな意味があるなんて素敵だと思ってしまったのだ。
 多分わたしの心は今よりももっと、イゾウさんに近付きたいと思っている。
 それを認めてもまだ、先の話は怖い。形になる事は怖い。それを知っているイゾウさんが、そういう意味を込めるとは思わない。そう思いたい自分と、期待する自分。せめて自分で気付ければまだ……
 全部が全部、もうどれを採っても建前にしか思えなくなっていた。

「イゾウさん、わたし……」

 空回って進まない思考に引導を渡すかのように、電伝虫がぴろぴろと鳴いた。小一時間ほどで出てくるように、という呼び出しだった。


 いつまでも悩んでいられない。
 イゾウさんと同じ道を歩くためには、わたしだって覚悟を決めなければならないのだ。





 数日前から着々と進んでいた宴の準備は、今日になって一気にその速度を上げた。厨房も甲板も、どこへ行ってもいつもより格段に賑やかで、今日が特別な日だということを嫌でも実感させられる。

 イゾウさんがまだ部屋に居る事は、人づてで確認してあった。誕生日に船内を歩くのは落ち着かなくて嫌なのだと、いつだか話してくれた事がある。

 コンコンコン、といつも通り叩いたはずのノック音は、ためらいと戸惑いの所為か二つしか鳴らなかった。
 それなのにすぐ「ルリか?開いてるぞ」と返されて、ノブを握った手に変な力が入る。
 
「はい。お邪魔しまーす……」

 ちょうど愛銃の手入れを終えた所だったイゾウさんが、扉の動く速度に合わせてゆっくりと顔を上げた。
 それがあの日の表情と少しだけ重なって、開きかけの扉の外で、わたしの足は止まってしまう。

「久しぶりだな。一週間くらいか?」
「……です。ちょっと色々、ありまして……」

 いきなりの直球に、早くもわたしは折れそうだった。気の利いた言葉が続けられなくて、必死の作り笑いで立ち尽くすしかできない。

「どうした?」

 口を開くと決意まで溢れそうで、小さく首を振ることで否定する。
 さすがに見かねたのだろう。立ち上がったイゾウさんに、ちょいちょいと指先だけで入室を促される。やむなくぐずぐずと扉を閉めて振り返った時には、イゾウさんがすぐそこに立っていた。あっという間のチェックメイトだった。

 だからわたしはせめてもと、一歩だけ前に出る。
 きっかけは貰っても、全てをイゾウさん任せにはしたくなかった。

「お誕生日、おめでとうございます。あとこれ……ありがとうございました」

 「これ」とは言ったが、物を見せた訳ではない。イゾウさんの選んでくれた口紅。控えめなのに鮮やかで素敵な珊瑚色に、わたしは負けていないだろうか。

「あァ、やっぱりいい色だ……よく似合ってる」

 顔を見せた時から気付いていたのだろう。腕組みを解いたイゾウさんの手が、わたしに向かって躊躇いなく伸びる。

「あ、りがとうございます……」

 わたしのくちびるの縁を撫でた指先は、滑らかで柔らかくて。するりと触れて自然に離れた。
 こんなことを顔色ひとつ変えずにしてのけるイゾウさんの余裕が、わたしから余裕を奪う。

「これ、とても気に入って、毎日でも付けたいくらいなんですけど……でも毎日付けたらすぐになくなっちゃうし、それにその……」

 思わず視線をそらしてしまうと、くつり、と小さく笑われた気がした。
 子供みたいに必死になって、なのに口を出るのは要領を得ない言葉ばかり。

「毎日お返しするのは、無理、なので……」

 息が止まりそうだった。

「大丈夫か?」
「だい……じょぶです」

 瞬きも呼吸も忘れて、涙目になって。勝手に追い詰められたわたしからは、色々なものがはがれ落ちていく。いつもこうして気付かないうちに、イゾウさんにはがされていくのだ。

「今日だけ、です。お誕生日なので……」

 半歩、それしか足が動かなかった。
 足りない距離の分背伸びをして、それでも少しまだ遠くて、イゾウさんのシャツの胸元にそっと手を伸ばす。それは小さく震えていて上手く力加減が出来ず、思っていたよりも強く握りしめてしまっていた。
 その上にそっと重ねられたイゾウさんの手がゆっくりとわたしの手を包み、もう片方の手でぽんぽんと背中を撫でられた。
 分かってる、そう言われた気がした。そしてそれは間違いではなくて、イゾウさんはわたしが何を言おうとして、何をしようとしているのかを、きちんと理解っていたのだ。

「ったく……誰に何言われようが、ルリが無理する事じゃねェだろう?」
「ふぇ……わかってま、すっ。でも無理じゃなくて、わたしがしたい……じゃなくて……返したいって思うくらい、嬉しかったし、イゾウさんがそう思ってたら、それも、なんて思っちゃった……んです……っ」

 ぷっつりと緊張が切れて、ぽろぽろと涙が零れた。こんな事で泣くなんて初めてで、どうしたらいいのか分からない。何を言っているのかも、もうよく分からない。

 唯一視界に入る自分の手は指先まで真っ赤で、至近距離のイゾウさんからは、どれほどひどい状態に見えているのか。
 呼吸を継ごうと顔を上げると、イゾウさんの真っ直ぐて強い視線とぶつかった。その所為でまた、息が止まる。苦しい。近い。恥ずかしい。鼓動が強すぎて、心臓を内側から喰い破られそうだ。
 
「ルリ……」
「は……、ん……っ」

 わたしを喰い破ったのは、自分の鼓動ではなかった。
 イゾウさんの何処に、こんな熱が有ったのか。触れるもの流れて来るものの全てが熱くて、その途轍もない熱量に、わたしはじわじわと浸食される。
 それは今までに経験した事のない感覚で、このままでは自分がなくなってしまうと思った。全部がイゾウさんの一部になってしまうんじゃないかと、本気で思った。

「……っ、だ、めです。全部、なくなっちゃ……」
「足りねェ」

 必死にこじ開けた隙間を、問答無用で埋め戻される。腰に回された両腕の力が少しずつ強くなり、それと引き換えにわたしの身体からは力が抜けていく。手も足も心も、髪の毛一本ですら、もう自分の思い通りには動かせない。
 気が付いた時には、わたしは全てをイゾウさんに任せていた。自分が自分じゃなくなっていくのに、不思議となにも怖くなかった。
 
「返してもらうのを待ってるなんて、性に合わねェからな……自分で取りに行っちまった」
「そっっ……それじゃ、プレゼントにならないですーー!」

 泣いているのか笑っているのか照れているのか、自分でもよく分からなかった。はっきりと感じるのは、とにかく全身が熱いという事。きっとわたしは、イゾウさんの熱を全部貰ってしまったのだ。

「死ぬ気でがんばったのに……」
「今からだって構わねェぞ?」
「調子にのらないでください……無理です。わたしもう、空っぽなんです……」

 そう言うとイゾウさんはケラケラと楽しそうに笑って、ぐったりとしたままのわたしをいきなり抱え上げた。

「っわ……びっくりした……」

 高く持ち上げられ、見下ろしたイゾウさんの表情は、明らかに企んでいる時のそれ。
 
「……イゾウさん」
「ん?」
「今だけ、ですよ?」

 返すものなんて、もう残っていないから。
 僅かに触れるだけ。それだけなのに、驚くほどに熱かったそれは、きっとわたしから奪われた熱。

「おめでとうございます。今年もこうやって過ごす事が出来て、嬉しい」
 
 もう少し自分の状況を考えてから、発言した方がいい――後日イゾウさんにそう言われるのだけれど、この時のわたしにそんな事まで考える余裕なんてなかった。

「イゾ……さんっ、もう離して下さい……っ」
「今日だけ、だろ?」
「今だけ、です」

 この気持ちは、今だけではないモノ。
 それでも駆け出してしまうにはまだ少し怖く、だからこそ今この時間は、まるで夢の中のようだった。
 前には進んでいる。これだけの時間を一緒に過ごして、変わらないはずはない。少しずつ、少しずつ……

「……そうだな、少しずつでいい。今日のルリは、頑張りすぎだ」

 ああ、この人には本当に敵わない。
 ひとりで追いつく事は出来なくても、導いてくれる手を見失いたくないと思った。イゾウさんが居てくれるならば、この霧が晴れる日が来る。わたしはいつか必ず、光だけに目を向けることが出来る。

「イゾウさん、ありがとう」
「ありがとな、ルリ」
 
happybirthday! 2016!!!
イゾウさんと、イゾウさんを好きな全ての皆様へ。愛を込めて。


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