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イゾウさんの膝の上で眠るアンの寝顔は本当に穏やかで、そっと毛布を掛け直すイゾウさんの手つきも心なしか優しい。

「膝から下ろします?」
「いや、まだ大丈夫だ。起こしちゃ可哀想だしな」

アンを挟んで声を潜めて話す自分たちがおかしくて、顔を見合わせてクスクスと笑った後に慌てて二人して寝顔を覗き込む。
どうやらイゾウさんもしっかり絆されている様で、弄ぶだけで火の入らない煙管がその度合いを物語る。
せめてそれくらいはいいよな、と言われて栓を抜いた酒瓶を手渡し、お風呂と明日の準備の為に一旦その場を離れた。


お風呂上がりにイゾウさんの部屋に行くのは初めてだ。普段着を着直すのも変な気がして、少しだけちゃんとした部屋着に着替え自室を出た。変な緊張感と共にそっと押し開けた扉の先からは、寝息が二つ。

(うそ…イゾウさんも寝てる…)

予想外過ぎる光景に、思わず声を出しそうになった。わたしの頬も目元も、多分だらしなく弛緩している。
だってこんなの、想像すらした事ない。
現実に目の前にしたって、夢ではないかと思ってしまう…

そっと近付き覗き込むと、きちんと布団に寝かせ直したアンを寝かしつける様な体勢でイゾウさんは眠っていた。もしかしたら動かした時に起こしてしまったのかもしれない。

枕元の灯りを消すともぞっとイゾウさんが動き、これ以上ないくらい息を殺して椅子に腰掛けた。

すやすやと眠る二人を見ているうちに、わたしもいつしか深い眠りの底に落ちていた。



 …落ちた穴の底には大きな箱が有って、その中にはわたしの宝物が入っている。
 壊してしまうのが怖くてしまったままの宝物を、突然現れた小さな手が何の躊躇いも無く取り出した。
 慌てるわたしに、その手の主は言った。
「大丈夫だよ。こんなにキラキラしてるものが、こわれたりなんてしないから」


目覚めたわたしに掛けられていた毛布からは、自分以外の温もりを感じた。




* * *


「おいで、帰る前に前髪少し切ってあげる」
「うん!」

甲板に引っ張り出した小さな木箱に座らせ正面から向き合うと、アンは恥ずかしそうにえへへと笑う。
下瞼に掛かるほどに伸びていた前髪を止めていたヘアピンを外し、丁寧に少しずつ鋏を入れていく。
子供らしい大きな黒目に映り込む太陽の光が、キラキラと輝きを増して眩しい。

「ねえねえ、お姉ちゃんってイゾウお兄ちゃんのこと、すき?」
「はひ!?」

思わぬ刺客に無防備だった心臓は大きく跳ね、ざっくりと斜めに切り落としそうになった。危ない、こんなに小さくたって女の子だ。変な髪形になったらショックを受けるに決まっている。
深呼吸して鼓動を落ち着かせカットを再開すると、アンは擽ったそうに目を閉じた。

「だってお姉ちゃん、イゾウお兄ちゃんとお話しするときすごくうれしそうなかおしてるよ」
「そう…かな?」
「うん。いつもニコニコしてる」
「そっか…わたし、そんな顔してるんだ…」

隠しきれていない自覚は有るけれど、そこまでだだ漏れだとは思っていなかった。
たった一晩一緒だっただけの子供にそんな事を言われるなんて、一体普段は皆からどんな風に見られているんだろう。

しゃきん、と慎重に最後の鋏を入れ、ふと思い付いて後ろに回る。背中まで伸びた髪を櫛で梳いて上半分だけを纏め、前髪を止めていたヘアピンを根元に刺し込んだ。

「はい、出来たよ。ついでにイゾウさんとおそろいの髪型にしちゃった」

束ねてくるりと丸めただけだが、鏡で見せてやるとアンは嬉しそうにくるくる回る。

(嬉しそうな顔、かぁ…今のアンみたいな顔だといいな…)

もしみんなに筒抜けならば、明るい顔の方が良いに決まってる。
苦悩している顔なんて、自分の中だけにしまっておけば良いのだから。

「イゾウさんに見せに行こうか」
「うん、行きたい!」

ぴょんぴょん飛び跳ねて歩くアンを見ていると、イゾウさんの元へ行く事を素直に嬉しいと思える。
この子は見せたいから、会いたいから行く。純粋にそれだけなのだ。
わたしだって会いたい、理由なんて付けずに。
そうやってずっと過ごせたらどんなに…


イゾウさんを見つけて飛びついたアンは、髪を褒めて貰って満面の笑みを浮かべている。

「よし、行くぞーアン」

アンを船まで送るのはサッチとイゾウさん、それにアンのご指名でわたしの三人。
後ろ歩きで手を振り続けるアンにつられ振り返ると、無骨なクルーが総出で手を振っていた。その光景は些か滑稽だったけれど、とてもモビーらしくて素敵だと思った。

サッチとイゾウさんに両手を引かれ、たまに持ち上げられてブランコしながら歩くアン。
そんな三人を見て羨ましい、なんて思ってしまった自分に驚いて、誤魔化すように三人を追い抜いた。
サッチの位置に立ちたかったのか、アンの位置に立ちたかったのかは、自分でもよく解らなかったのに。

「サッチお兄ちゃん、お姉ちゃんとかわってあげてー」

何でもお見通しのアンに指摘され、「俺っちじゃ不満かよー」なんて拗ねつつニヤニヤするサッチに代わって貰った。
すぐ横に居るイゾウさんの顔は、見られなかった。


船に乗る間際、アンはイゾウさんを呼び寄せて何やら内緒話をしていた。
クツリと笑ったイゾウさんは、頭を撫でようとした手をギリギリで止めて、そっと背中を押してアンを送り出した。
わたしの作ってあげた髪形を気遣って貰えたのかと思うと、少し嬉しかった。

「お帰りなさい。お疲れさまでした」
「…サッチはどうした?」
「街に行っちゃいました。それにしても…あれだけ懐かれちゃうと、少し寂しく無いですか?」
「ねェよ。でも子供もたまには悪くねェな」

迷う事無く答えたイゾウさんは、でも少しだけ名残惜しそうに一服点けて、アンの乗った船を眺めている。

「ですね…わたしも少しは前に進まなきゃなあ…」
「どうした急に」
「何でもないです。ね、イゾウさん。わたし達はどうしましょう?このまま何処か行っちゃいますか?」

モビーに戻らずに、二人でサボってしまいませんか?

そんなわたしの提案は予想もしていなかったのか、モビーへ向けて足を踏み出しかけていたイゾウさんは、ゆっくりと踵を返すと、わたしの手を取って歩き出した。

もう少しだけ、イゾウさんと二人で居たいと思った。

That's all……?


「お兄ちゃん」
「どうした?」
 呼ばれて腰をかがめ覗き込んだイゾウだったが、必死に背伸びをするアンに視線を合わせてやると、チラリとルリを見たアンはイゾウの耳元でこそこそと話し始めた。
「お姉ちゃんね、きっとイゾウお兄ちゃんのことすきだよ」
「…ルリが言ったのか?」
「ううん、お姉ちゃんはおしえてくれなかった。でもアン女の子だもん、見てたらわかるよ。みんなわからないのかなあ」
 女心を誇らしげに語るアンの背伸びした姿は、むしろ子供らしくて微笑ましい。
 そして本人を差し置いてその言葉を聞く事にならなくて良かった…と安堵した自分にイゾウは心の中で嗤う。
「お兄ちゃんはすき?」
「…あァ、でもルリには内緒だぞ?」
「うん!だれにも言わない」
 そう言って笑顔で駆け出したアンが船に乗り込んだのを見届けたイゾウが振り返ると、俯いていたルリが顔を上げ微笑んだ。

 距離が近付くにつれ笑みを濃くする彼女に、このまま二人で過ごしたいと思う気持ちを押し込むと、姿の見えないもう一人の保護者の行方を聞いた―――

fin.


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