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This way

「おやすみなさい、イゾウさん」
「おやすみ。また明日な」

不寝番でもなく、奇跡的に雑務も全て終わった夜。
このまま自室で、朝までのんびりと過ごそうと決めた。

とっておきのアルコールを棚から出し、お気に入りのグラスを満たす。上質なものは、それだけで気分を高揚させてくれる。
その所為か、潮風と陽射しで傷んだ髪や肌を久しぶりに念入りにケアしたい、ふとそんな気分になった。今度上陸したらお店を探してみよう。
ナースさん達には遠く及ばないけれど、海賊だからと女を捨てる様な事はしたくない。いつまでも、ベイさんの様に凛とした女海賊で在りたい、そう思っているから。

(イゾウさんの目に、わたしはどう映ってるんだろう…)

グラスに映る自分を見て思う。
イゾウさんは反則な程に凛々しくて綺麗だ。
男の人に綺麗だなんて失礼だとは思うけれど、事実綺麗なんだから他に言い様がない。
わたし自身は他人を…イゾウさんを…見た目でどうこう思った事は無くても、自分がどう見えているかは矢張り気になる。

(そういえば……イゾウさんのタイプとかって、聞いた事ないや…)

サッチに聞けば嬉々として即答してくれそうだけれど、余り聞きたくない過去のエピソードなんかも漏れなく交えてくれそうなので、聞かない方が良さそうだ。

今頃イゾウさんは、誰かと飲んでるのだろうか。過去に誰かと眠れない夜を過ごした事があるのだろうか。わたしが見た事無いだけで、酒場から夜の街に消える事もあるのだろうか………

カラン…とグラスの中の氷が澄んだ音を立て、思考に水を差す。
せっかくの美味しいお酒を、曇った思考で濁すのは勿体無い。誰かにそう言われた事を思い出し、香りと共に流し込んだ琥珀の液体で押し流す。

(あぁ、でもわたし…イゾウさんにあの人と居る所を見られてるんだ…)

先日下船した時の事。
昔の仲間と偶然会った。仲間と言っても一時は特別な関係だったその人への対応に少し戸惑ってる所を助けてくれたのは、イゾウさんだった。
イゾウさんは何も聞かなかった。だからわたしも話さなかった。誰にでもある事だからと言ってしまえばそれまでだけれど、沸いた罪悪感と少しの寂しさ。

(少しくらい気にして欲しい…なんて、我が儘だよね…)

わたしは日に日に欲張りになる。

ぽすんとベッドに身体を投げると、解いた髪と久しぶりにはいたスカートがふわりと舞った。

わたしがイゾウさんに抱いてる気持ちも踏み出せない理由も、イゾウさんにはきっと知られている。分かっていて、それを汲み取ってどう流せばいいか、イゾウさんなりに考えてくれているのだ。
唯一気付かれていないとしたら、今のままで居たいと思っていた気持ちが揺らぎ始めた事だろう。
だからと言って、急な関係の変化を欲しているのかと聞かれたら……

「あーあ、ダメだなあ…」

結局ぐるぐると回る思考。
大所帯のモビーで長い時間独りになる事は滅多に無い。隊務に宴、敵襲。色々な事に忙殺されて時間は過ぎ、そこにはいつも誰かが居る。
そして久しぶりに訪れた自分の為の時間で、わたしはひたすらイゾウさんの事を考えている。

「ん…?」

何かの音が遠くから思考に割り込んだ。
またか…とグラスに目をやれば、それは既に溶け切っていて、静かに波に揺れている。

「…寝てるのか?」

今度は確かに聞こえた。
いつもわたしがそうするのと同じく、三度のノックと共に聞こえたのは……

「イゾウさん!?起きてます!今すぐ開けます!」

敵襲より早い勢いで飛び起きて、鏡も見ずに扉へ駆け寄った。
そっと開けた扉の向こう、既に明かりが落とされた廊下は薄暗い。けれどイゾウさんはそこにしっくりと馴染んでいた。

「ごめんなさい、考えごとをしてて…どうかしました?」
「遅くに悪いな。特別な用事はねェんだが…入っても構わねェか?」
「え?あ、はい、どうぞ」

お互い声を潜めていた所為で、思いの外イゾウさんとの距離が近い。
それに気付くなり逸る鼓動が、意識を急速に現実に戻す。

「休んでたんじゃないんですか?」

イゾウさんは部屋着の浴衣姿だった。髪も下ろし化粧も落とし、普段は滅多に人前に出ない姿だ。
自分も似た様なモノだけれど、わたしの部屋にその姿のイゾウさんの居る光景の非現実さが、どうしようもなくわたしの心を掻き乱す。

「そうしようと思ってたんだが…近くを通ったら随分と不安定な気配がしたから、気になってな」
「え…それってわたしの事ですよね?」

椅子をこちらに向けて座ったイゾウさんに、自分の飲んでいたのと同じアルコールを注ぐ。きっとロックで飲むから、何も聞かずにそのまま差し出した。

「あァ。じゃなけりゃこんな夜更けに来ねェよ」

言われて時計を見れば、既に日付けが変わっていて驚く。
随分と長い時間、イゾウさんの事を考え続けていたみたいだ。

「…わたし、そんなにふわふわしてました?」

自分のグラスにも継ぎ足してイゾウさんの正面に腰を下ろすと、必然的にそこはベッドの上で、きしと鳴った音が非現実感を上書きする。

「あァ、かなりな。大丈夫か?」
「深刻な悩みとかじゃなかったんですけど…どうしよう、だだ漏れだったなんて…」
「ルリは意外と分かりやすいぞ?自覚してねェのか?」
「全然…」

思いがけず得た自問の答えは、好意を寄せる相手からの言葉としては、かなり複雑なモノだ。まさか分かりやすいと思われていたとは…

「そんな心配そうな顔すんな、普段はそうでもねェよ。ただたまに、とてつもなく無防備に揺れてる時があるからな」

無防備なんて言葉を掛けられる日が来るなんて、思ってもみなかった。
でも自分では気付かない事にイゾウさんが気付いてくれていたと思うと、悪い気はしない。とは言え…

「もっと引き締めなきゃダメですねえ…」
「そうか?そのままで問題ねェだろ?」
「でも、感情丸分かりはちょっと恥ずかしいです」
「俺はくるくる変わるルリを見てるのは、嫌いじゃねェ」
「…っっ」

グラスに残ったアルコールを飲み干そうとしていた所為で、見事に噎せた。
けほけほと情けなく噎せるわたしにイゾウさんが差し出してくれたのは、お水ではなくお酒だったけれど、恥ずかしさを吹っ飛ばしたくてそのまま勢いに任せ口に含む。

「あァ、そういう所も面白れェ」
「…イゾウさんは、時々とてつもなく意地悪ですよね」

滲む目元を拭いながら見据えたイゾウさんは、意地悪で優しい顔で笑っていた。
きっと、わたしがそのまま飲む事も、意地悪だと言う事もお見通しだったんだろう。

「無理に変える事はねェだろ。ルリは今のままだって充分だ」

その言葉には、色々なモノが含まれているんだと感じた。
安定、期待、変化、未来……

「イゾウさんが言うなら…そうします」
「いいのか?」
「いいも悪いも、わたし今はまだ、このままがいいんです。いいですか?」

探して選んで、迷いを捨てて、気持ちを繋ぐ。

「ルリが決めるなら、どっちを向こうが俺には文句なんてねェよ」
「…っく……」

危うく二の轍を踏む所だった。
イゾウさんはと言えば、悪戯が成功した子供みたいに笑いを堪えていて、視線が合うと涼しい顔で二杯目のグラスを空にした。

「…イゾウさん今、わたしがグラス持ったの確認して言いましたよね?」

「悪ィ悪ィ」と笑うイゾウさんはとても楽しそうで、その表情がわたしの中のもやもやを綺麗に吹き飛ばす。
進みながら留まる。そんな事もイゾウさんの側でなら、それは然程難しくはないと思えた。

「いいですけど…その代わり、このまま朝まで一緒に飲んでくれますか?」
「潰れたって知らねェぞ?」
「イゾウさんこそ」

秘蔵のボトルをもう一本、棚から出して振り返る。

「じゃあ改めて…親父に」
「明日からの俺たちに」
「……っは!?…けほっ…何、を言ってるんですか……っ」

三度目は立ち直れない程に、全力で打ちのめされた。
恥ずかしさと悔しさで突っ伏したわたしの、背中を撫でるイゾウさんの手はいつもより少し、乱暴だった。
でもこんなに無防備で楽しそうなイゾウさんを知ってるのは、きっとわたしだけだから。

差し出された手を取りながら、一人で過ごすより何倍も素敵な夜を満喫しようと、そっと心で笑った。

fin.

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