今日は1番隊が夜の食器洗い担当だ。
当然の様にマルコ隊長は洗い物なんてしないし(もちろん洗濯だってしない。その分他の仕事が有るから誰も文句は言わないけれど)すぐに食器を割る人も居る(海賊に繊細さなんて求めちゃいけないんだ)
…消去法で、だいたいいつも同じ顔触れになってしまう。
航海に於いて貴重な真水は、仕上げの時にだけ少量使う。結果として時間がかかる分、長い時間水に手を晒す事になってしまい、正直冬島海域では辛い仕事だったりする。
今日が正に、そんな日だった。
「あー、終わらねえなあ」
「今日は遠征部隊も出てないから、殆ど全員居たもんね。ついてないよね」
気を紛らわす為に、ずっとお喋り。
指先が冷え過ぎて重くて痛くて、感覚が鈍くなっている。
「今敵襲あったら、わたし無理…引き鉄引けないや…」
「まあ…ルリちゃんならイゾウ隊長が居るから大丈夫だろ」
「…っはい?!」
パリン、と響く小気味良い破壊音。
久々にやってしまった…まさかの返しに動揺して、食器を取り落としてしまったのだ。イゾウさんお気に入りの食器じゃなくて良かったけど…って、今はそんな場合じゃ無かった。
「やだ、何言って…」
「あー悪い、怪我してねえか?つか、そんなに動揺するとは思わなかったわ」
遠慮無くクスクスと笑われ、返す言葉が見つからない。
恥ずかしくて俯いてしまったのを幸いと慎重に拾い集めた欠片を、手近に有った紙で一纏めにした。
「…ちょっとこれ、捨てて来るね」
「りょーかい」
捨てるのは後でも良かったのだけれど、一度この場を離れたかった。言われた言葉も動揺した自分も、どちらもとても恥ずかしかったから。
「はあ…」
ため息と共に押すと、いつもより重く感じる扉。開けた瞬間吹き込んだ寒風が、凍える指先を更に凍てつかせる。
「さむっ…」
すぐ済む事だからと室内着のままで出て来た所為か、厨房のすぐ裏の廃棄物部屋が遠く感じられる。この数刻で、天候が悪化したみたいだった。このまま雪でも降り出しそうで、そうなれば不寝番の隊は大変だろう。
今夜の不寝番は…そういえば16番隊だ。
強運なイゾウさんは見張りを引かないだろうけど、様子見だけだってこの寒さの中出てくるのはきっと厳しい。
洗い物が終わったら、温かいお酒を作ってイゾウさんの部屋に行ってみるのも悪くないかも。
そんな事を考えながら漸く辿り着いた部屋の扉に伸ばした手が、いきなり温かいモノに触れ飛び上がる。
「ひゃ…!?」
ぐしゃり、と今度は鈍く小さい破壊音。
手にしていた筈の包みが、無い…
「冷てェ…そんな薄着で何してんだ」
「イゾウさん!?」
いつもは冷たく感じる事が多いイゾウさんの手が、とても温かい。冷え切った指先が、その熱でじんじんと痛いくらいに。
イゾウさんはわたしの手を掴んだままで落とした包みを拾うと、ぽいっと部屋に放り投げてそのままずんずんと歩き出した。
「こんなもん、明日捨てりゃいいだろ…」
「今すぐ捨てたくて…」
「イゾウさんの事を言われて動揺して割ったんです。だから出て来たんです」なんて言える筈も無く。説得力のない説明をしている間にもイゾウさんは船内に入り、そのまままっすぐ食堂に向かって進んでいる。
「え、ちょ…待って下さ…」
この流れでイゾウさんと戻ったら、みんなにどんな顔をされるか…サッチだったらきっと、堪える間も無く吹き出す展開だ。
「どうした?何か問題でもあるのか?」
「問題は…有る様な無い様な…え?わわっ…ちょ、イゾウさん…っ」
言い淀むわたしの頬を、イゾウさんの温かい両手が包む。冷えた耳朶に微かに触れるイゾウさんの指先がじんじんと熱い。そっと頭を動かして顔の位置をずらすと、浮いた指先に今度は頬を撫でられる。二度も逃げる訳にも行かず、どうしようかと考えながら何か言いたげなイゾウさんを見上げる。
「ルリを温めるより急ぐ必要の有る事なら、聞いてやる」
「は…ひ?」
近い距離から聞こえた言葉に、ぼすん!と音を立ててわたしの中で何かが破裂した。それはとてつもない熱量で、わたしの全身を駆け抜ける。明らかに赤くなっているであろう顔を背けたいのに、頬に手を添えられたままで動けない。泳ぐ視線の先のイゾウさんは、「ほら、言ってみな?」という顔でこっちを見ていて、わたしに選択権は無い様だと気付く。
「なんだか急に熱くなったので…もう大丈夫ですよ…?」
それでも僅かな抵抗を試みると手を取られ、冷えの残る指先で触れさせられたイゾウさんの頬はとても温かかった。顔を両手で包まれたままよりはマシだけれど、これはこれでどうしたら良いのか分からない。
それに廊下でこれ以上こんな事、誰かに見られたらどんな顔をしたら良いのか……そんなわたしの葛藤に気付いたのか、クツクツと聞こえた笑い声に、とうとうわたしは抵抗を諦めた。
「だって…言える筈無いじゃないですか…イゾウさんとの事を冷やかされて動揺して食器割りました…なんて……」
ああ、言ってしまった。こんな恥かしい事を、しかも本人に直接。
言いながら襲い来る堪え難い羞恥で、最後の方は声が出ていたのか自分でも分からなかった。
「あァ…」
「こんな事…言わせないで下さい…」
羞恥に滲む目元に力を入れて堪えていると、申し訳なさそうな顔でぽすんと頭を撫でられた。でもどんな言葉を返したら良いのかわからず、もうこのまま食堂へ逃げ帰ろうと踵を返す。
察してくれた様で流石に追い掛けては来ないらしいと安堵するも、わたしを気遣ってくれたイゾウさんを置いて独り行くのには少しだけ、後ろ髪を引かれた。
「…ルリ」
「はい?」
「俺はここで待ってる。早く終わらせて戻って来な」
その言葉に振り返ると、壁に凭れながら煙管を取り出すイゾウさん。その視線は、珍しくわたしでは無く床を向いていて、表情を窺い知る事は出来ない。
「…温かいお酒と一緒に、大急ぎで戻って来ます」
そう言って押した扉はいつもより重く、もしやと全力で押し開けると、スポンジ片手にわらわらと散っていく兄弟たちの姿。
思わず吹き出して振り返れば、呆れに何かの交ざった複雑な表情のイゾウさんが、「もうこのままサボっちまえ」と無責任に呟いた。
それはなんだか悪くない提案に思えて、しれっと作業を再開している兄弟たちにそのまま伝えると、イゾウさんの元へ駆け戻った。
「今回だけですよ?何もかも全部」
当番をサボるのも、あんな事を言うのも。
「朝まで何も無いと良いですね」
「余計な世話かけようとする奴が居たら、全力で阻止してやる」
「…なんですかそれ」
子供みたいな物言いに遠慮なく笑って隣のイゾウさんを見上げると、そこに居たのは子供っぽさの欠片も無い大人の男の人で、孕む熱が容赦無くわたしの体温を上げる。
「やっぱりわたし…冷たいお酒が飲みたいです」
「奇遇だな、俺もそう思ってた所だ」
その言葉と同時に捕まえられたわたしの手は、まだ少しだけイゾウさんより冷たくて。
するりと引き込まれたイゾウさんの袖の中で、ぴったりと同じ温度に染まって行くのが分かって、思わずその手を強く握り返した。
fin.
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