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Being beloved

集中力を必要とする愛刀の手入れを、ルリは必ず一人で行う。
今までずっと、どの船に居てもそれは変わらなかった。

気紛れなどでは無く
そうした方がいい、と根拠の無い強い確信が有ったその日。

初めて他人の前で、手入れをした。






イゾウの部屋でお互い愛銃の手入れを終え、刀の手入れをするルリを静かに眺めていたイゾウは、タイミングを見計らって口を開いた。



「随分と端折った手入れしてるんだな」

ルリは元々鍛治屋の娘として育ち、一応生業に出来る程度の腕は持っている。
それなのに、刀身を柄から抜く事なく刃の手入れだけをする姿にイゾウが疑問を抱くのは当然だった。

「大切な刀なんだろう?」
「はい。実はこれ…目釘は抜けるのに、柄が外れないんです」

本来ならば目釘を抜いて軽く数回叩けば柄から刀身が抜けるのだが、いくら叩いてもびくともしなかった。
父親の打った最後の一振りである大切な刀の破損を危惧して無理に抜く事は諦め、刀身を柄に収めたままで手入れをしていたのだった。

「貸してみな」
「はい」

手入れの途中で人に触らせるのは、当然初めてだった。
それでもイゾウならば…と、正面に腰を降ろしたイゾウに、ルリは愛刀を手渡す。

「え?あ……れ?」

イゾウが少し触れると、僅かに刀身が動いた。
すると今までルリがいくらやっても抜けなかった事がまるで嘘みたいに、それは難なくするりと抜けてしまう。

「かなり固かったから、はばきが引っ掛かってたのかもしれねェな」
「よかった、錆びてない……ありがとうございます」

抜かれた刀身を受け取り、拭い紙でそっと磨こうとしたルリの手がピタリと止まった。

「どうした?」
「何か…刻印してある……?」

長い間そこに隠されていた文字を、ルリはまじまじと眺める。
確かに父の手で彫られた見覚えのある文字。かなり乱れてはいたが、何とか判読は出来そうだった。


「声をだに、聞かで別るる、た……ここまでしか彫られてないです」
「和歌……か」
「イゾウさん、分かるんですか?」


―声をだに 聞かで別るる たまよりも
なき床にねん 君ぞかなしき―


すらすらと諳んじたイゾウに思わず見惚れていたルリは、じわじわと湧き上がって来た熱い気持ちで我に返る。

「何か……なんだろう、意味は判らないんですけど、哀しい歌に聞こえる……」
「……先に手入れ終わらせな。それから話してやるよ」
「はい」


イゾウのその言葉に、ルリは緊張しつつも急ぎ丁寧に手入れを進める。
元通り組み直し、鞘に収めた愛刀をそっと目の前に置くと、ルリは無言でイゾウを見て、ゆっくりと息を吐いた。
独特の張りつめた空気が、ようやく緩む。


「聞く覚悟が有るなら、意味を教えてやってもいいが…どうする?」
「覚悟が……必要な内容なんですか…?」
「俺には何とも言えねェよ……ただ、軽くねェだろうって事は……分かるな?」
「分かり、ます。でも、知りたいんです。教えて下さい」

ルリの返事を聞いても尚、イゾウは逡巡していた。
正座したまま膝の上で固く両手を握りしめ、真っ直ぐにイゾウを見るルリの姿に腹を決め、丁寧に言葉を向ける。


―あなたの声さえ聞けずに死に別れる自分の命よりも
これから私の居ない寝床で眠ることになるあなたが
本当に悲しい―


言葉の後に続いた静寂が、二人を覆う。

世界から遮断された二人には、波の音も、そこ彼処に居るはずの沢山の家族の声も届かない。

互いの息遣いすら、聞こえない。



カタン……

静寂を破ったのは、刀に触れた音。

震える手を伸ばし、愛刀をそっと抱きしめたルリの口唇が微かに動く。
音にもならず、本当に僅かに動いただけなのに……
イゾウには確かに、ルリの声が聞こえた。


父親を呼ぶ、声が。



「……俺なりの解釈だからな、真に込めた想いまでは俺には解らねェが…」
「イゾウさん、この刀ね……父が最期の時に手渡してくれたんです。それからずっと、どうやっても抜けなく、て・・・・」

ぽろぽろと溢れ出した大粒の涙が、空を仰いだルリの頬を止め処なく伝い続ける。

「わたしの心配なんて、してられる状況じゃなかったのに……何でこんな…」

頬から腕へ、愛刀へ。
静かに、枯れる事なくそれは流れ続ける。

イゾウが差し出した手拭いを受け取ろうとしたルリの手が止まり、愛刀をそっと横に置く。
再び膝の上で両手を握りしめたルリは、躊躇いがちに顔を上げた。

「あの…イゾウさん」
「どうした?」
「ぎゅってして欲しいです…ダメですか?」
「いや…」

ルリにしてはかなり思い切った発言。
頬も耳も赤らめ、それでも潤む瞳を逸らさないルリの必死な姿に、イゾウはクツリと喉で笑う。

「構わねェよ。来な?」
「うっ…」

自分から言い出しておきながら、いざ来いと言えば全力で狼狽える。
ルリの予想通りの反応に、イゾウは堪え切れず笑い出す。

「ちょ、笑わないで下さ、い……っ!?」

思わず身を乗り出し腰を上げたルリの腕はイゾウに強く引かれ、腕と胸の中にすっぽりと収まる。

「……これでいいか?」
「はい……」

ぽんぽんと頭と背中を撫でられ、ルリはゆっくりとイゾウの背に腕を回す。

「きっと父は、イゾウさんだから抜かせてくれたんですね……他の人じゃ、わたしじゃダメだったんだ……」
「それは、責任重大じゃねェか」
「え……?」
「いや、何でもねェ……深く考えるな」

小さくイゾウが笑う気配がした。
どういう意味か考えようとしたけれど、今わの際の父が自分へ残した想い、自分を満たしてくれる今の家族たちへの想いでいっぱいで、それが入り込む隙間は無かった。


「今のわたしには、親父もイゾウさんも…家族がたくさん居るから。心配要らないよ……」

そう独り言ちたルリを抱きしめる力を強めたイゾウに応える様に、ルリもきゅっと深く、イゾウの胸元に顔を埋めた。

fin.

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