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Pendulum

現在モビーは初夏の海域を航行中。怪しい雲もなく、適度に風も吹いている。
こんな日の甲板掃除はすっごく気持ちがいい。お気に入りの帽子も出して、朝からとても楽しみにしていた……
……筈だった。



「ルリ……何やってんだ?そんな隅で」
「んー?……何も」

デッキブラシを置き、食堂の奥、入口から1番遠い席にわたしは居る。ただそこに座っているだけ。

「てか、1番隊は甲板掃除じゃねぇの?マルコにどやされっぞ」
「……今甲板に行くなら、マルコ隊長に怒られる方がマシなの……」
「は?」

隊務をサボるのは本意ではないし、マルコ隊長に怒られたくもない。
だけど今はちょっと……それどころではなかった。だって、何しろ……

「何かあんのか?」
「……ダメ!何もないから!あ、わたしサッチの仕事手伝おうか!?」

隠すとか取り繕うとか、そんな事を考える余裕なんて無くて。
ニヤニヤと甲板に足を向けたサッチを止めようと慌てて手を伸ばし掛け、嵌められてしまったと気付くももう遅い。

「矛盾だらけだっての。どうせイゾウだろ?」
「うぅ……そんなストレートに言われても……」

そう、今甲板に出るとイゾウさんが居る……この間入ったばかりの若いナースさんと。

「ったく……仕方ねーな」

ぐんにゃりと机に突っ伏したわたしの頭上から、察したらしいサッチのため息混じりの紫煙が降って来る。

海賊生活の長いわたしの女の勘なんて、多分あてにならない。
でも最近急にイゾウさんの側で見かける様になった新しいナースの子は、何だかちょっと怖かった。

「うん……わたしが言える立場じゃないのは分かってる……でも、それでもやっぱり見たくないし……」
「へぇ、珍しいな。ルリが素直に嫉妬すんの」
「えっ!?し、嫉妬とか、そんな……」

認めたくなかったけれど、はっきり言われると否定もし切れない自分が嫌になる。
言葉に詰まりもごもごと二の句が繋げないわたしに、サッチの容赦ない追い打ちは続く。

「そんなに気になんなら、いい加減先手打てっての」
「先手って……そういう問題じゃ……」
「そういう問題だろ?」
「う、サッチがいじめる……」
「ばーか、これでも心配してんだぜ?イゾウはともかくルリの事はな」
「ん……ありがとう」

再び突っ伏したら「色々考え過ぎなんだよ、ルリは」ってサッチの声が聞こえた。

イゾウさんとナースさんが話す事なんて珍しくもないし、第一イゾウさんはわたしの……何かではないんだから……それは自分でも判ってるんだ。でも、だからって……ああ本当にこんな感情、恋を覚えたての子供みたいだ。どうしたらいいのか分からない。
チクチクする心を落ち着かせようとするも、ぐるぐると渦を巻きながら湧き上がるそれを抑える事なんて出来なくて。

「そうだ、サッ……!?」

何の気なしに顔を上げると、目の前に居たのはサッチではなかった。分かりやすい気配と間違えるはずの無い気配。その二人が分からないなんて……ダメだ、やっぱり今のわたしはどうかしてる。

「イゾウさ……」

ひゅっと空気が漏れた。途端にばくばくと暴れ始める心臓。息を吸うとぺたりと潰れてしまいそうで、はくはくと小さく呼吸を繋ぐ。

「サッチにすんじゃねェよ。気付いてなかったのか?」
「全然……」

「覇気鍛え直すか?」なんて言ってクツクツ笑うイゾウさんは普段と変わらなくて、それが却ってわたしの不安を濃くする。

「ルリがサボるなんて珍しいな。具合でも悪ィのか?」
「いえ……さっきまでイゾウさんが……」
「俺が?」

イゾウさんに言っても意味の無い事だって頭では解ってるのに、思わず言葉にしていた。慌てて視線を反らすも、誤魔化す事なんて出来ない。どうしたら良いのか分からなくて、帽子をすっぽりと目深に被ってしまった。ああもう本当に嫌だ、こんな自分……

「……ルリ」
「は、はいっ?」
「ここじゃ何だから、ついて来な」
「っ……はい」

チラリとサッチの方を見れば、タバコを咥えたままへらりと笑って親指を立てていた。
他人事だと思って絶対楽しんでる。でもサッチの気安さが少しだけ救いになったのも事実で。

「……サッチ、ありがとね」
「礼ならイゾウの居ねえトコで頼むわ」

ピクリと反応したイゾウさんが振り向く前に、サッチはそそくさと厨房の奥へと駆け込んでいった。


* * *


絶好の掃除日和は変わらず。
広い甲板の半分ほどが磨き終わり、マルコ隊長の目を盗んで離脱する隊員の姿もぼちぼち見える。
どうか誰にも呼び止められませんように。今ここでイゾウさんと話せなくなったら、次に話すきっかけを掴むのはきっともっと苦しいから……

「ルリ、何サボってんだよい」
「う……」
「悪ィなマルコ、ルリは俺が借りてる」
「ったく、仕方ねえな。今度からは先に言っとけよい」
「すみません」

さっきまでナースさんと甲板に居たイゾウさんに、マルコ隊長が気付いていない筈はない。だからこそ察してくれたのだろう。早く行けとしっしっと手を振るマルコ隊長に頭を下げて、先に歩き出したイゾウさんを追い掛ける。その背中は何だかとても遠く見えて、遅れないように必死に着いて行く。
遠い。いつもの廊下がとても長くて遠い。
イゾウさんの部屋に入ると椅子を勧められたけれど、座れずに立ち尽くした。そんなわたしには何も言わず、煙管を取り出しゆっくりと火を入れるイゾウさんの仕草はいつも通りの筈なのに、今はそれすらも違って見える。
どう切り出したらいいのだろう。何て言われるんだろう。考えれば考える程に、心臓がきゅうきゅうと音を立てて締め付けられる。
でもちゃんと話さなくちゃ……

「イゾウさん、あの……さっきの、」
「あいつはサッチ目当てだよ」
「へ……」

食い気味で聞こえた声に随分と間の抜けた声で応えてしまった。途端に全身の力が抜けて、へにゃりとその場にへたり込む。
サッチ目当てっていう事は……そっか、だからあそこでは話せないって……そっか……

「よかった……わたしてっきり……えっ?うわわっ」

正面から脇に手が差し込まれ抱え上げられ、くるりとイゾウさんの膝の上に座らされた。みっともないくらいにびくっと震えると、後ろから回された腕にぎゅっと力が込められる。わたしの肩にもたれかかるイゾウさんの頭は小さく揺れていた。もしかして笑ってる……?

「そんなに笑わなくても……」

まさか笑われるとは思わなかった。ぺちぺちと軽く手を叩いて抗議すると、「悪ィ」と言ってクツクツとまた笑った。何だかよく分からないけれど、聞いてるうちにわたしの心の渦巻きは鎮まっていた。だからまぁいいかな……とイゾウさんの手にそっと触れると漸く頭が離れて、代わりにわたしの背中はぴったりとイゾウさんの胸元に寄せられてしまった。

「誤解されねェ様に二人の時はなるべく人前で話すようにしてたんだが……却って心配かけたか?」
「しっ、心配っていうか……その……」

全てはわたしの一方的な誤解と我が儘みたいなもので。こうなってしまえばもう、羞恥しかない。何を言ったって恥ずかしくて、情けなくて……
じわりと熱くなった耳と首元に寄せられたイゾウさんの頬は、ひやりと冷たい。触れる声と髪がくすぐったくて、ほんの少しだけ身体を逃した。

「もうなんかわたし……大人げなくて嫌だ……」

隊務サボってマルコ隊長とイゾウさんに迷惑かけて……じわじわと湧き上がる自己嫌悪が形になって目元に浮かぶ。

「さて……マルコにあぁ言っちまった手前、手ぶらで返す訳には行かねェな」
「あ、はい。何でもお手伝いしますよ?」
「そうだな、じゃァ……」

何をしましょう?と起こしかけた身体は制されまた元通りに。それどころかより強くより深く、イゾウさんにくっ付いて動けない。

「このまましばらく無駄話にでも付き合って貰うか」
「え……このまま?って……」

かあっと身体の中から隅々まで一瞬で熱を帯びた。思考が追いつかず、頭のてっぺんからぷすぷすと見えない湯気が上がる。身体が動かない思考が回らない。ぴったりと回された腕に力がこめられ、そこがまた新たな熱源になる。

「そんなの、で……」
「これがいいんだよ。それに……サッチとダラダラされるよりマシだしな」
「……へ?それって……」
「何か言ったか?」
「いえ……何でもないです」

くつりと意味有りげに笑いを飲み込んだイゾウさんにつられ笑ったら、かぷりと肩を甘噛みされた。

「……どうかしたか?」
「……いえ……なんでも……」

なんでもなくはない。
もう燃える場所なんて残ってなくて、わたしはとうとう燃え尽きた。

fin.


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