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No more tears

「あれ、アイツら何してんだ?」

エースに悪意なんてモンは無かったんだろうが、言われて目にしたそれは穏やかさとは程遠い光景で。
意に反して苛立ちそうになる気持ちを抑えようと懐に手を伸ばすも、刻み煙草を補充しに行く所だったと思い出し小さく舌打ちをする。


少し離れた場所で、ルリが若い隊員と何かを話していた。
それだけならよく見る光景でいちいち気にする程の事じゃねェが、少し困った様な表情で頭を下げるルリと真剣なそいつの様子から、会話の内容を何と無く察してしまう。


「サッチ、一本寄越しな」

側に居たサッチの胸ポケットから煙草を強引に取り出し、抜き出した一本に火を点け投げ返す。

「珍しいじゃねーか。お前が紙巻き吸うなんてよ」
「無ェよりはマシだからな」

俺の目線の先をチラリと見て、普段はだらしなく下がる眉を器用に顰めたサッチは、ははーんとしたり顔をして煙草に火を点ける。

「真昼間の甲板でなんて、大胆な事してんじゃねぇの」
「え?なんだ?もしかしてアレって…」

今更状況を察したらしいエースが慌てて何かを必死に喋ってるのは無視して、紫煙をゆっくり吸い込んで思考を落ち着かせようとしたが、普段はしない紙の燃える臭いが気になって余計な苛立ちが募る。

「いつまでも余裕かましてっと、さくっと攫われちまうぜ?」
「煩ぇ。お前に言われたくはねェよ」

それに余裕なんかじゃねェ云う呟きと短くなった煙草を海へ投げ捨て、刻み煙草を補充する為に自室へと戻った。

背中を向けた直後、少しだけルリの視線を感じた気がした。



***



「ごめんなさい、本当にこれしか言えないの」

書類仕事の合間に綺麗な空気を吸おうと甲板に出たら、何度か会話をした事の有る7番隊の人に声を掛けられた。
真剣な表情だったので話を聞いてみたら、まさかの告白でびっくりした。
モビーに来る前にはそんな事も有ったけど、ここでは初めてだったから。

「イゾウ隊長と付き合ってるってなら諦める。でも違うんだろ?」
「違うけど…でも…」

包み隠さずにイゾウさんの名前を出されて、心臓がトクンと大きく跳ねた。

「出来れば船の人とは、そういう事になりたくないの。ずっとそうして来たから…」

自分で口にした言葉に、心がキュッと小さく悲鳴を上げる。

イゾウさんは16番隊の隊長で…ううん、イゾウさんに限らず『誰かの』って云う立場は相手に弱味を与える事になると思ってる。現に『白ひげの娘』って理由で狙われた事も少なくは無い。

そしてわたしの奥でずっと燻る、失う怖さ。

だから、側に居られれば良かった。

わたしがそう思ってる事をイゾウさんは察してくれていて、今までそれに甘えて来た。


イゾウさんが此処に居てくれるなら、特別な形なんて欲しくなかった筈なのに…

日を追う毎に、僅かに少しずつその壁が脆くなっている。
わたしのも、そしてイゾウさんも多分…


「ルリ?」
「あ、ごめんね…」
「俺も海賊だからな、欲しいモノは諦めたくねぇんだよ」

真剣に気持ちをぶつけてくれている人の前で、イゾウさんの事を考えていた事を申し訳ないと思うも、一度浮かんだその想いは、心から離れなくなってしまった。

ざわついた気配を感じて、逆光の中眩む視線を動かすと、船室へと向かうイゾウさんの後ろ姿が見えた。


…見られてたかもしれない。


会話を聞かれていた訳じゃないのに、ズキズキと心が痛くて苦しくて、不意に零れそうになる涙をぐっと堪える。

「ありがとう。でも、ごめんなさい」


これ以上ここに居られなかった。
何かを言いたげな彼を残し、ぺこりと頭を下げてその場を立ち去った。


「仕事…戻らなくちゃ…」

甲板に居たサッチとエースと目が合ったので軽く手を上げ、そのまま船内へと入る。
マルコ隊長の部屋に戻らないと。
でもその前に…


歩き慣れた廊下を、いつもより少し重たい気持ちで歩いた。
後ろめたい事をした訳でも無いし、謝る様な事もして無いのに、心の中はイゾウさんに申し訳無い気持ちで一杯だった。


コンコンコンといつも通り、三回ノックをした。
でもいつもならそのまま開ける扉を、今日はすぐには開ける事が出来なかった。

「イゾウ、さん……」

カチャリ、と静かに音を立てて内側から扉が開き、思わず小さく息を飲む。

「どうしたルリ?入らねェのか?」
「…だいじょぶですか、今?」
「ルリこそ大丈夫か?マルコと仕事中だろ?」
「そうなんですけど…でも…」

小さな溜め息がイゾウさんから洩れて、ああやっぱり見られて居たんだと確信したその時、いつも通りふわりと優しく髪を撫でられた。

「悪ぃ、回りくどい言い方する必要ねェよな。こっち来な」

スルリと離れたその手を追って、漸くイゾウさんの部屋に入った。
此方へ差し出してくれた椅子にそっと腰掛け、身体だけは正面から向き合った。


「そんな顔する様な事じゃねェだろ?」
「判ってます…でもどうしてもここに寄りたくて…」
「あぁ、それは…」
「やっぱり…困りますよね?」
「マルコにバレると煩ェからな」
「え?そっちですか…?」

想定外のイゾウさんの反応に引き結んでいた唇が緩むと、モヤモヤしていた霧が足元からすうっと抜け始めた。

「じゃあどっちなんだ?」
「どっちって…」
「気にするんじゃねェよ…って俺が言うのも可笑しいけどな」
「いえ…ごめんなさい。自分の事なのにこんな…わたし、イゾウさんに甘えてばかりですね…」

そんなつもりはなかったのに。
笑おうとした筈がポロポロと涙が溢れ、止まらなくなってしまった。

「あれ…なんで…」
「ったく…無理して笑うな」
「ご…めんなさっ…」

慌てて立ち上がり部屋を出ようとしたわたしの手は、優しく、でもしっかりとイゾウさんに掴まれた。

「そんな顔、他で見せるなよ」
「イゾっ…さんにもっ…見せたくな…い、です。こんな事で泣きたくなか…た、のに…っ」


優しくしないで…
いっそ厳しく突き離してくれたらとの想いは、容易く打ち砕かれる。


「泣くなら幾らでも付き合ってやるって言ったの、忘れたのか?」
「っ…覚えてます…でもっ…!」
「でも?」
「あの時とは…」
「…言い直す。俺が泣いてるルリを見たくないし、誰にも見せたくねェ」
「え…?」

ぽかんとして呟いたわたしの両頬はイゾウさんの大きな手で包まれ、親指でそっと涙を拭われた。
滲んだ視界が少しだけ晴れ、イゾウさんの瞳に映る自分が少しずつ大きくなるのが見えた。


「だから、今はそれ以上泣くな」


近付く距離に耐え切れず思わず瞑ったわたしの瞼に、イゾウさんの唇が触れる。


「イゾ…さ…」


最後まで名前を呼ばせて貰えなかった。

いつかみたいに掠めるだけでもなく、触れるだけでもない。
確かにそこに。

優しく、温かく。



最後に一筋だけ流れた涙と一緒に溢れたのは、イゾウさんへの想い。



「…今日は狡いって言わねェのか?」

頬からゆっくりと離された両手を取り、真っ直ぐイゾウさんを見上げた。

「もう言いません。…ありがとう、イゾウさん」

そっと手を離すと、ぽすんと頭を撫でながら見せてくれたイゾウさんの笑みに、わたしも笑顔で返す。

「やっと笑ったな…泣き顔も悪くねェが、ルリはそっちの方がいい」
「はい…あの、わたし…流石に仕事に戻らないとですよね…」
「あぁ、行って来な。マルコに怒られて泣いて帰って来るなよ?」
「もう…意地悪言わないで下さい。いってきますね」


パタンと扉を閉める音と共に、零れかけた想いにも緩く蓋をした。

まだ、もう少しだけ――

fin.

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