モビーには書庫が有る。
隊長の私室の並ぶ廊下の先にある階段を下りた場所にひっそりと有るそこは、陸にある図書施設並みに充実した蔵書を誇っている。
滅多に使われる事の無かったその場所を、モビーに来てからルリは少しずつ整理していた。
自隊の隊長であるマルコの部屋や、最近ではイゾウの部屋で仕事をする事もあるルリだったが、イゾウはイゾウで自隊の作業も有り、そう頻繁に訪れる訳にもいかない。
一人静かに書類を纏めたい時、そこはルリの格好の仕事部屋になっていた。
その日も午後から一人、書庫で山の様な書類と格闘していた。
長い間埃を被っていた長椅子を掘り起こし、使える様にしたのもルリだった。
長椅子の上に足を投げ出し、休憩がてら整理した本棚から選んだ数冊の古い書物の頁をパラパラとめくる。
換気の為に開けた小窓から入る心地よい風が、じんわりと部屋を満たしていた。
「ふぁぁ…」
適度な揺れとその空気が、眠気へと誘う。
(少しだけ、寝ちゃおうかな…)
隊長たちですら、滅多に来ない書庫。
誰かが来る事はまず無いだろう。
伏せた読みかけの書物をその胸に抱えたまま、ルリは静かに瞼を閉じた。
音も無く開かれた扉によって空気が流れ、ふわりとルリの髪が揺れる。
横たわるルリの姿を見つけたイゾウは僅かに顔を顰め、足音を忍ばせそっと近づいた。
規則的に胸元で上下する書物が、彼女の穏やかな眠りを伝える。
(…寝てるだけか)
扉が開いても眠り続ける無防備さは如何なものかと思うも、その無防備さが自分だけに向けられているのだとしたら―
「イゾウ、さん…」
「ルリ…?」
(なんだ、寝言か…?)
幸せそうな顔で、一体どんな夢を見ているのか。
顔にかかった髪をそっと流すと、ルリの桜色の口元が緩く弧を描いた。
以前も似たような事が有った事を思い出す。
変わらぬルリのその姿を愛おしそうな目で見つめ、薄らと開いたその口元にイゾウは思わず手を伸ばす。
微かに唇に触れる、ギリギリの距離に置いた自らの指越しに、
そっと口付けを、落とした――
「あ、れ…?イゾウさん…?」
「やっと起きたか」
「わ…ごめんなさい、気付かなくて…」
慌てて起き上がったルリの胸元から、ぱさりと書物が落ちる。
「随分といい夢を見てたみてェだな」
「やだ…わたし何か言ってました?」
熱を帯びる顔を隠す様に、落ちた書物へ視線を移す。
イゾウの夢を見ていた気がした。
ふわりと暖かくて、柔らかくて、そして…
(イゾウさんと、唇が…?
あわわ…本人を目の前になんて夢を…)
大急ぎで拾った書物で、ぱたぱたと顔を扇ぐ。
「何慌ててんだ」
「だって、イゾウさんが居るから…」
「居ちゃ悪いか?」
「悪くないです、けど…」
独り楽しそうなイゾウの様子に、ルリは首を傾げる。
「誰にも言わねェから、安心しな」
「ちょ…!やだ、教えてくださいよ!何をですか!?」
真っ赤になって勢い良く立ち上がったルリを宥める様に、ぽんぽんと頭に手をやる。
「そのうち教えてやるよ」
クツクツと笑うイゾウを見て、ルリは諦めた様に小さくため息をついた。
まだ微かに赤い耳でイゾウを見上げるその表情は、至極穏やかだった。
「陽が落ちるからそろそろ戻んな。続きは俺の部屋でやるか?」
「…はい!」
両手いっぱいの書類を抱え、書庫を後にする。
まだ僅かに暖かい空気の残る部屋の扉を、ルリは名残惜しげにそっと閉じた。
fin.
1万hitお礼作品。本当にありがとうございました!
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