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Bury

月の無い暗闇の中、飛び散る波飛沫と横殴りの雨の軌跡だけが白く浮かぶ。

その合間から闇を切り開くかの様に、一際白い巨体が波間を抜けて来る。

キャラック型の大型船故に転覆する様な心許さはないが、逆にそこまでの巨体が目に見えて揺れる様子が嵐の大きさを物語っていた。



稀に見る酷い時化だった。

天候が読まれた直後こそ航海士達は腕の見せ所とばかりに張り切っていたが、尽力虚しく嵐へと突入してしまった今は、甲板員たるクルー達の出番だった。

尤も長い航海の途中。
時化などはイベントの様なもので、乗り切った先には宴が待っている、そんな事を言いながら対応に当たることが常だった。

そんなモビーディック号のクルー達ですら、ばたばたと音を上げるほどの大時化だった。
最早隊単位での対応は不可能で、動ける者が片っ端から借り出される事態になっていた。


「おいサッチ、ルリ何処かで見てねェか?」
「あ?マルコと一緒じゃねーのかよ?」
「居ねェから探してんだ」
「んじゃナースんとこか?まぁ見かけたら言っとくわ」

1〜3番隊隊長を始めとする能力者たちは、嵐の海に転落と云う最悪の事態を防ぐ為に甲板には出ず、船内で指示と作業に当たっている筈だった。

隊長以外には能力者である事を隠して居るルリも例外では無く、怪我人や船酔いのクルーへの対応をする姿が先程まで見られていたのだが・・・

「何処で何してんだ…あのお転婆は…」

こういう時には必ずと言って良い程無茶をするルリの居場所をなるべく把握する様に努めていたイゾウだったが、甲板で指示を出している僅かな間に見失ってしまっていた。

「あ、イゾウ隊長。ルリさん見張り台に居るみたいっすよ」

先程居場所を尋ねたクルーから予想外の場所を告げられ、イゾウは無意識ながら盛大に眉をしかめて踵を返した。


船縁からは遠いメインマストの一番低い見張り台に、風にはためくピンク色のレインコートが見える。

「何でルリがそんな所に居る?」
「見張りが出来る元気なクルー少ないんです」

水の溜まりだした床に腰を降ろせない所為で立ったまま柵をしっかり握り、打ち付ける雨を全身で受けるルリがそこに居た。

「だからって落ちたらどうすんだ」
「この天気じゃ泳げても無理ですよ」
「判ってんなら降りて来い」
「・・もう少し、・・・・」

二人の間に容赦無く割り入る風が、会話の邪魔をする。

あからさまに大きく溜息をついたイゾウは、器用にするするとマストを登るとルリの立つ見張り台へと飛び込んだ。

「イゾウさん…」
「ルリらしくねェな」
「ごめんなさい。でもあと少しだけ…」
「どうした?」
「ちょっとだけ考え事です。あ、見張りはしてますよ?」
「これで風邪引いたら今度島に降りる時連れて行かねェからな?」
「う…それは嫌です。でももう少しだけここに居ていいですか?」
「何が有った?」

ルリがこんな状況でイゾウのいう事を素直に受け入れない事は稀だった。
訝しむイゾウに、小さく頭を振っていつもより大きな声でルリは応じる。

「何も…でも何だかスッキリしないので、この雨で余計な物を流したくなって」
「仕方ねェ、あと少しだからな。すぐに代わりの奴寄越す。そしたら中に戻れよ、いいな?」
「はい」

強風の吹き付ける中、軽々とマストを降りるイゾウの後姿が瞬く間に闇に同化するのを見ていたルリの心に、また一つ小さな不安が顔を覗かせた。



作業に当たる事で気分を紛らわそうと、危険は承知で半ば強引に引き受けた見張りだった。

延々と続く暗闇と、時折モビーの巨体を軋ませる程の荒波
船内に居るとより一層低く轟く風の吹き荒れる音


普段と少しずつ違うその様子が、漠然と、でも確かに。原因不明の小さな軋みや不安をルリに抱かせていた。

強い風雨が不安を運び、余計な思考を引き剥がし、安心を呼び、また連れ去っていく。

際限無く繰り返す波に現実と思考の境目を曖昧にされていたルリは、自分を呼ぶ声で此方へと意識を戻した。



交代のクルーに礼を言って船内へと戻り、脱いだレインコートの水滴を振り払うルリの頭の上から、ばさりと大きなタオルが掛けられた。

「わふ…」
「やっと戻って来たか」

後ろから丁寧に滴る水をタオルに吸わせるイゾウの手が、不安も一緒に拭ってくれる様でルリは冷えた手のひらを胸の前できゅっと握り込んだ。

「ルリ」
「はい?」
「話は幾らでも聞いてやるって言ったよな?だから出来ればこういう無茶な事すんな。心臓が幾つ有っても足りねェ」
「…ごめんなさい」

顔は見えずとも聞こえる声の中に在るイゾウの気持ちを感じ取って、ルリは掛けられたタオルの端を掴みそっと顔を覆った。

「イゾウさん」
「ん?」
「今度ゆっくり話をしたい、です」
「あァ、ルリが言うならいつでも付き合ってやるよ」

漸く二人は向き合い、濡れて少し乱れたルリの前髪をイゾウはいつも通り整える。

ルリの見せるその表情に、もう大丈夫だろうと作業に戻ろうとした時、タイミング良くサッチが声を掛けた。

「お、イゾウちょうど良かった。ちょっと表付き合ってくんねーか?」
「あァ、すぐ行く」
「ルリもマルコが探してたぜ」
「はーい。ありがとうサッチ」

「さ、もう一働きするかルリ」
「はい。ありがとです、イゾウさん。今度はわたしがタオル持って待ってますね」

振り返らずに片手を挙げて答えたイゾウの後姿は、もう闇に紛れる事は無かった。


大丈夫、不安と嵐は良く似ていて、急にやって来ても抜けた先には必ず晴れが待っているから。
だから先ずは、今ここで嵐を乗り切って次へ進もう。

そう心に決めたルリは、何かを振り払うかの様に軽く頭を振ると、イゾウを迎える為の新しいタオルを手に作業へと戻って行った。

fin.

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