心地よい風と澄んだ空と穏やかな波
春島海域を航海中のモビーは今日も宴日和
「イゾウさん、まだお仕事です?」
「いや?もう今日の分は片付いてる。どうしたルリ」
「ハルタと飲む事になったので、イゾウさんもどうかなって」
ぴくり、とほんの僅かにイゾウの眉が動いたのをルリは見逃さなかった。
「…違いますよ?普通に飲むだけです、多分?」
ハルタとルリは飲み仲間だ。
2人ともいわゆる"枠"なのでお互い気楽に飲める。
それにイゾウも加われば酒場一軒飲み尽くす…と言うのが、モビー都市伝説の一つだった。
過去に一度だけルリが本気で飲んだ後の事をそれぞれ思い出しながら、二人は甲板へと向った。
「ルリ遅いよー」
「ごめんね、イゾウさんの部屋寄ってたから」
「なに、イゾウも一緒なの?じゃあ本気で飲んじゃう?」
次の島への寄港予定が明後日だと先刻航海士から報告が有った為に酒の在庫を気にせずに良くなり、更に快適な春島気候も手伝ってあちこちで飲み比べが行われて居た。
「ルリさんもどうっすか?」
「ん?わたし?」
「たまにはやりましょうよ」
「うーん…イゾウさん、飲んじゃってもいいですか?」
「イゾウ隊長の許可無いと飲めないんすかー?」
「過保護っすねー、イゾウ隊長」
酒の勢いを借りて囃し立てる隊員たちにチラリと目線をやって自らの酒瓶を呷ったイゾウは、ククッと笑いを噛み殺しゆっくりとした仕草で煙管に火を入れる。
「お前らの為だよ」
「そうだよー女性だと思って甘く見てると痛い目みるよ」
ニッコリと笑いながらハルタも被せた事で、負けん気の強い隊員たちが一気に色めき立った。
「ま、たまにはいいんじゃねェか?」
イゾウのその一言で周囲は一斉に沸き立ち、瞬く間に飲み比べの準備が整う。
その様子を見て集まって来た隊員達の間で、早速どちらが勝つかの賭けも始まった。
「ホントに良いんですよね?イゾウさん」
「あァ、心配しなくたって後で文句言ったりしねェよ」
「はーい」
ふわりと海賊らしからぬ和らかな笑みを浮かべ、普段は下ろしている長い髪をくるりと器用に簪で纏めるルリの姿に、周囲の視線は一瞬釘付けになる。
「じゃ、始めー!」
飲む勢いこそ相手に負けるが、ルリは着実に空瓶を並べて行き、瞬く間に5人目の隊員が白旗を上げてぐったりとその場に転がった。
「はーい!次の人ー?」
ルリは楽しそうな顔で甲板を見回し、酒の強い顔馴染みの隊員を見つけると腕に絡み付いてずるずると中央に引っ張り出す。
「あ、ルリスイッチ入ってる?」
「みたいだな」
「イゾウ切れないでよね」
「だったら最初からやらせねェよ」
「うわ、ムカつく。すっごい自信」
「何とでも言いな」
引き続きサクサクと空き瓶と潰れた隊員たちを目の前に並べるルリのペースは全く衰える事を知らない。
唯一の変化と言えば・・・
「今日はまた特別に機嫌がいいな」
「あ、ついに抱きついた」
ルリの唯一の欠点は、酔うとスキンシップが増える事だった。
普段も押さえている訳ではないが『みんな大好き』な気持ちが前面に押し出され、誰彼構わず全力でその気持ちを表現してしまうのだった。
初めてその姿を目にした時、色々と懸念したイゾウが、当時自隊の隊員だったルリにちゃっかりと深酒禁止令を出していた。
その為今日までルリの酒の強さを目にした隊員が殆ど居なかったのだ。
挑んでくる者が居なくなったルリは近くに居たジョズやラクヨウに「いつもありがとう!」と言いながらハグをして周る。
抱き上げたり肩に担いだり、可愛い妹の滅多に見せない姿に隊長たちも目を細めて応える。
「ハルタハルター!」
「どうしたのルリ」
駆け寄って来たルリが、そのままの勢いでハルタに抱きつく。
ハルタもルリの背中に手を回して、よしよしと頭を撫でたりしている。
「イゾウさんイゾウさん。アレは容認な訳?」
追加の酒瓶を受け取りながら、ニヤニヤとサッチがイゾウに尋ねる。
「ハルタに下心はねェからな」
「何その俺には有るみてーな言い方」
「ねェのか?」
「イゾウ程じゃねーよ」
「あ?俺にあんのは下心じゃねェよ」
「へぇ…珍しいな、酔ってんのか?」
「これっぽっちで酔うかよ」
「あ、サッチ!お疲れさま!今日のご飯も美味しかったよ。いつもありがとうね」
サッチに駆け寄ろうとしたルリの足元で仔犬の様に座って眺めていたエースが、ふいに口を開いた。
「なぁ…ルリさ、イゾウにはしてやんねぇの?」
「なっ…!!」
エースのストレートな疑問に、アルコールをいくら入れても平然としていたルリの顔が、みるみる赤味を帯びる。
「ぷ…。くくくっ…エースその質問最高」
「お前なー、俺の順番邪魔すんなって」
「あ、わりい」
判り易く狼狽えているルリを見て、イゾウも笑いを堪えている。
「イゾウさんまで笑わないで下さいっ!」
チラリと二人を見て、ふふんと何かを企んだ顔でサッチが笑った。
「ルリ、俺と飲み比べやっか?」
「え、わたしもう何人潰したと思って…!」
流石のルリも、10人以上を潰した後にほぼ素面のサッチとやるのはキツい。それでも、挑まれた勝負を断るのは海賊の名折れだと腹を括る。
「…明日動けなかったら、責任取ってね」
「責任持って面倒見てやっから、心配すんなって」
「なっ!!違っ…」
「ほれ、始めっぞ」
隊長の参戦に、緩慢な空気が漂い始めていた甲板が俄かに活気を取り戻し始める。
「…すっげぇ」
「あの身体の何処に入るんだよ…」
終わりの見えない二人の呑みっぷりに、ギャラリーからは感嘆と溜め息しか聞こえて来ない。
「っは…やっぱつえーな、ルリは」
「サッチには、負けたくない…もん」
ドン!と同時に空瓶を置き、次の酒瓶に手をかけようとした二人の手を、節くれ立った大きな手が掴む。
「お前ら、今日だけで酒飲み尽くす気かよい」
「んだよマルコ、邪魔すんなって」
「あ、マルコ隊長!」
「…よい?」
ぱあっと明るい表情でマルコに抱きつこうとしたルリの身体が、ぐいっと後ろに引かれる。
「ほぇ?」
「そろそろ終いにしな?」
「イ、イゾウさん?!」
「あっはは、マルコ残念ー!」
マルコから引き剥がされて軽々とイゾウに担がれたルリは、わたわたとしながらイゾウに不満を漏らしている。
「ちっ…酔い潰して本音吐かせてやろーと思ったのによ」
「うわ…サッチって馬鹿?死にたがり?」
「俺には女を酔い潰す趣味はねェからな」
「ふふ、やっぱりイゾウさんは、サッチとは違うー」
一方的に担がれているだけだったルリが、もぞっとイゾウの首に腕を回す。
「「「!!!!」」」
「珍しいねい…」
「十分酔ってんじゃん」
「寝落ちする前に戻るぞ、ルリ」
「はーい…マルコ隊長、おやすみなさーい」
「……よい」
イゾウが平然とルリを連れて行き、パタン、と扉が閉められるまで誰も口を開かなかった。
「…あれさ、どっちの部屋に帰ると思う?」
「ちゃんと送るんじゃねぇの?」
「賭けるよね?モチロン」
本日最後の、大勝負――
「イゾウさんは最後が良かった、んです…」
ポツリとルリが呟いた。
「最後にすれば、次が居ないから…」
「珍しいな、酔ってんのか?」
「何でもいいですよ。酔っ払いでも下心でも何でも…」
「…なんだ、聞こえてたのか」
「ちょっとだけー…でもわたし酔っ払いだから、気の所為かもです…」
「楽しかったか?」
「楽しかったです。みんなだいすき」
きゅっと首に回した腕に力を入れる。
以前酔った時は抱きかかえられる事を全力で拒否したルリと歩いて部屋まで戻った事を思えば、かなり進歩したものだと―・・・・
さて、翌朝
ルリの出て来た部屋は当然…
「何でエース廊下で寝てるの…」
「や、サッチがルリが何処から出てくるか見とけって」
「…サッチめ…自室に決まってるのに…」
「だよなー。いてて…身体いてえ。腹減ったからメシ行こうぜ、メシ」
「わたし朝ごはんいらないから、エースにあげる」
「マジか?やりい。先行くな!」
駆け出すエースの後を追わず、ルリは頭を抱えてその場にしゃがみ込む。
「うー…流石に少しあたま痛い…」
今日はサッチにマルコの手伝いをさせようと心に決めたルリだった。
fin.
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