冬の秋島に近く少し肌寒いその夜、ルリは大判のストールとポットに詰めた温かい梅酒を手に一人甲板に出ていた。
普段なら賑やかに酒を酌み交わす兄弟たちの姿が其処彼処で見られる甲板だが、この気候の所為で皆室内に入っているのかいつもより静かだった。
(良かった、晴れてて)
冷えた空気のお陰で澄んだ空を見上げて安堵の表情を浮かべたルリは、船内の明かりの届かない甲板の隅に腰を下ろし梅酒をカップに注ぐ。
遮る明かりの無い海の上、広い空一面に鮮やかに星が瞬く。
今日は七夕だった。
膝を抱えてストールに包まり、只ぼんやりと天の川を眺めるルリが耳に入った足音に視線を向けると、こちらへ近づいてくるイゾウの姿が在った。
「こんな場所で一人か?随分と寂しい事してんじゃねェか」
「イゾウさん」
煙管の火を落としながら隣に腰を下ろすと、ルリがしていた様にイゾウも空を見上げる。
「あァ、天の川か。今日は七夕だったな」
「去年はお天気が悪くて見られなかったから」
そう言って嬉しそうに星空を見上げるルリを、イゾウは穏やかな表情で見詰める。
「あ、イゾウさんも飲みます?カップ一つしか無いですけど…」
差し出されたカップを手に取り口を近付けると、温められて強く立つアルコールと果実の甘い香りが漂う。
「梅酒か?」
「です。燗酒にしても良かったんですけど、今日は余り酔いたくなくて」
「たまには悪くねェな」
一緒なら何でも構わねェ、と心の中で呟いたイゾウがストールに潰されたルリの髪を掬って耳に掛けた時、触れたその耳の冷たさに気付いた。
「随分と冷えちまってんな」
親指で耳朶を撫でながら見れば、その両手も暖を取っていた温かいカップを手離した所為で摺り合わせている。
「余りにも綺麗だったから、つい長居しちゃって…」
そう言って耳を押えるルリの仕草に目を細めたイゾウは、カップを横に置くと自らの両足の間を指差した。
「こっちに来な、ルリ」
「ふぇ…?」
一気に暗闇でも判る位真っ赤になって両手で頬を覆ったルリに、有無を言わさぬ口調でイゾウは続ける。
「まだ見てたいんだろ?だったらこっち来な?」
「…はい…」
ゆっくりと立ち上がり、遠慮がちに言われた場所へと座ったルリの背中を自らの方へ引き寄せたイゾウは、持たせたカップに温かい梅酒を注ぎ直すとその両手を自らの手で包み込んだ。
「これで寒くねェだろ?」
(近すぎるよ、イゾウさん…)
息の掛かる距離から聞こえる艶の有る低い声に、早まる鼓動を抑えきれず気を紛らわそうと星空を見上げるルリだが、上を向くとその頭をイゾウの肩に預ける形になってしまう。
「イゾウ、さん」
「ん?」
「イゾウさんは、寒くないです?」
「ルリ抱えてんだ。寒い訳ねェよ」
「…わたしが温かいなら、何でこの状況になってるんですか?」
「さァな」
クククっと楽しそうに笑うイゾウの声に、ルリもつられて笑う。
確かに先程まで感じていた肌寒さは感じ無くなっていたが、それは心が温まった所為で。
その時、キラッと一筋の光が流れた。
「あ、流れ星…」
来年もこうして一緒に過ごせるよう願った心の中を、互いに知る筈も無く。
キラキラとした表情で飽きずに空を眺め続けるルリの両脇から徐に腕を回し、抱き上げる様にイゾウは立ち上がる。
「わ…!」
「風邪引く前に戻るぞ、ルリ」
「…はーい」
身体に残る温もりを少しでも長く纏っていたくてストールをしっかりと巻き直したルリは、もう一度空を見上げイゾウの後をついて船内へと戻って行った。
続編、過去拍手にあります。
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