少しずつ すこし ずつ
あふれ るイゾウさんを好きだと気づいたのは、いつだったんだろう。
パドルシップで初めて目を合わせたあの日。
視線の主が懐かしい国の衣装を独特の着こなしで身につけていたその人、16番隊のイゾウ隊長だという事はすぐに判った。
モビーに移動という話をマルコ隊長から貰って移動してみれば、配属が16番隊で驚いたけれど、その時も尊敬出来る隊長達の一人で大切な家族という気持ちの域は越えていなかったと思う。
あの頃わたしは、副船長を務める程長い間乗っていた船が白ひげを敵視する幾つかの海賊団の罠に嵌って潰された事から、やっと立ち直った時期だった。
それでも親父の誇りを傘下として掲げながらキャプテンや仲間を守れなかった事、守られて生き残る事を再び繰り返してしまった後ろめたさや、ふと過るあの日の光景とか、そういうので心の中は本当はまだぐちゃぐちゃで、多分自分で思ってた以上に酷い状態だったんだと思う。
手が空けば甲板の隅の決まった場所で、ぼんやりと海を眺めながら何かを考えている様で考えていない、そんな時間を過ごしてる事が多くなっていた。
隊務はきちんとこなしてたし、マルコ隊長の仕事を手伝ったりもしてたから、そんなわたしに気付く人なんて居ないと思ってた。
いつからかは覚えていない。
気付いたら何故かイゾウさんがいつもそこに居た。挨拶や二言三言くらいは話すけど、後はただ黙って煙管を吹かしてそこに居る。もしかしてイゾウさんの指定席だったのかと思ったけど、気にしねェでそこに居なと言われたので何と無くそのまま過ごすのがいつの間にか日課になっていた。
「お前さんは何で泣かねェんだ?」
唐突だった。何の脈絡も無くいきなりそんな事を言われて、思わず笑ってしまう位に。
「イゾウ隊長って面白い事言いますね。普通は泣くなとか言うんじゃ無いんですか?」
「ルリはいつも泣きそうな顔してんじゃねェか。自覚してねェのか?」
「…そんな事、無いですよ?」
「女は忍耐強いのがいいなんて確かに俺たちの国じゃ言うがな、俺はそういうのは好きじゃねェ。それにここは海の上で俺たちは家族だ。上も下もなけりゃ、一人で背負う必要もねぇ。辛いなら辛いって言やぁいいんだ。泣かれる事より、そうやって辛い顔して笑われる方がよっぽど痛てェんだよ」
イゾウさんは怒ってたんだと思う。今なら判る、饒舌になるのは怒った時のイゾウさんの癖だから。
「たいちょ、う」
「別に無理に聞こうってんじゃねェよ?俺はお前さんじゃねェからな、気持ちが判るとも言わないさ。でもルリをモビーに引っ張ったのは俺だ。泣こうが喚こうが幾らでも黙って聞いててやるから、もうそんな顔するな」
そんな事言われた事がなかった。
そんな風に見られてたなんて気付かなかった。
そんな事を思ってくれる人が居るなんて、考えた事がなかった。
イゾウさんが初めてくしゃりとわたしの頭を撫でた。
大きな手だった。
想像してたより、ずっと温かい手だった。
気が付いたら、ポタリ、ポタリと大粒の滴が甲板に染みを作っていた。
「イゾウ隊長…わたし…今こうしてモビーに居られて、親父の近くに居られて、幸せなんですよ?何人もの仲間を失うなんて海賊やってれば初めてじゃないのに…」
俯いたまま小さな声で話すわたしを、イゾウさんはただ黙って見つめて居た。
「わかんない、判らないんです。何でこんなに空っぽなのか。何で今泣いてるのか…何でだろう?この手が何を掴んで何を離してしまったのか、何が欲しいのか…イゾウ隊長なら、判りますか?」
涙でくしゃくしゃの顔のまま空にかざしたわたしの手を、イゾウさんはそっと握った。
「ルリが答えが欲しいなら、見付かるまで一緒に探してやるよ。一人で泣けねェってなら幾らでも付き合ってやる。だからそれ以外はちゃんと笑いな。大丈夫だ、この手はちゃんと大事なモンを掴める手だ。お前さんは間違っちゃいねェよ」
そこからはよく覚えていない。ただひたすら泣いたという事しか。
それからもずっと、わたしが一人海を見ているといつの間にかイゾウさんがそこに居て、何も言わずにずっと横に居てくれた。
もう泣くことは無かった。
わたしの心に出来た小さな小さな染みが少しずつ少しずつ大きくなって、決して乾くことが無くそれは広がり続けて、溢れて零れてもそれをまた容れるだけの大きな気持ちを持てる事をイゾウさんが教えてくれた。
「準備できたか?ルリ」
「はい、お待たせです」
今日もイゾウさんの隣に居る。
イゾウさんとの関係に特別な形なんて要らない。
わたしのこの気持ちと、イゾウさんの心があれば。
イゾウさんの存在が、心が。
わたしを包んで、満たしてくれて、それがわたしをこれからも強くする。
fin.
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