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Anxiety


自室で書類を纏める気分じゃなくて、食堂の隅で喧騒の中仕事に没頭していた。
視界の端で灯りが消えたのに気付いて顔を上げたらいつの間にか人も疎らになっていて、もう夜中に近いのだと気付いた。

「うわ、ごめんねサッチ。すっかり長居しちゃった」

翌朝分の仕込みを終えて此方に顔を覗かせたサッチに声をかけると、ひょいとお気に入りの銘柄の酒瓶をチラつかせてニヤリと笑った。付き合えって事なんだろう。
答えの代わりに目の前に散らばる書類を脇に寄せる。

「そんな根詰める程仕事溜まってんのかよ?」

言いながら乾杯、と酒瓶を此方に翳して来たので、カチリと軽く合わせてコクリと呷った。そういえば暫く何も口にしてなかったっけ。乾いた喉に冷えたアルコールが気持ちいい。

「俺今日は出したよな?」
「うん、大丈夫。ほら、15.16番隊が戻ったら一気に書類が増えるから、今のうちにと思って」

イゾウさんは約二週間の予定で遠征に出ていた。かれこれもう10日になる。

「…なぁ、ルリ。気付いてっかよ?ルリがここで1人で何かすんのって、イゾウが長くモビー空ける時だけなんだぜ?」
「…え?」
「前からそうだろ?あれ、やっぱ無自覚?」
「今日は少し自覚ある…」

今までなら一ヶ月でも二ヶ月でも、普通に日常を送りながら帰りを待ってられたのに、たった10日できしきしと悲鳴を上げた自分の心に違和感を感じ始めた所だったから。

イゾウさんと一緒に眠ったあの日から、僅かにわたしの心が欲張りになった気がする。
沢山は望まないから、ただ存在していてさえくれればそれでいいと、ずっとそう思っていたのに。思い出すのも情けないくらいに色々な葛藤が有って、やっと今の位置に落ち着いていたのに、それがあの日を境に緩み始めていた。

「ここに居れば、もし早く帰って来てもすぐに判るかなって」
「ルリはアレだよな、もっと甘える事覚えた方がいいぜ?」
「甘えてるつもりなんだけどな…サッチとイゾウさんには特に」
「頼ってると甘えてるはちげーっての。それにどっちかっつーとイゾウの方がルリに甘えてる様に見えるな」
「そうかなぁ…」

誰かが扉を開けた所為で自分で吐いた紫煙を思いっきり喰らって、苦い顔でパタパタと払うサッチを見ながら、今の言葉をぐるぐると頭の中で反芻する。

確かにイゾウさんの厚意に甘える事は有っても、イゾウさんに甘えた事は余り無い。
理由は判ってる。わたしに向けられるイゾウさんの優しさはささやかな様に見えて実は際限が無くて、溺れてしまうのが怖いからだ。身動きが取れなくなるくらいに心が絡まってしまうのが。今までだって怖かったのに、緩んだ自分の心が堰を切って溢れてしまいそうなこの状態で、喜びと戸惑いに苛まれていた。

「ま、嫌いじゃねーよ?今のお前らの関係。真似しろって言われたら無理だけどな」
「やだなんかサッチ優しい…お酒足りて無いんじゃ無いの?」
「俺はいつでも優しーのよ?ほれ、サッチ兄ちゃんに何でも話してみなさい」
「んー、じゃあお兄ちゃーん」
「おう、なんだ?」
「わたし甘いの食べたい。チョコかチーズのやつ」

イゾウさんとは違うけど、優しい大きな手でわたしの頭をくしゃっと撫でて厨房へと向かうサッチの後ろ姿を目で追う。
半分灯りを落として薄暗い厨房の中を僅かな光を受けてひょいひょいと動くリーゼントが可笑しくて笑ったら睨まれたけど、その目はやっぱり優しかった。

「流石にこの時間にケーキはムリだからそれで我慢しろよ?」

出してくれたのは、マスカルポーネにフルーツを添えて蜂蜜をたっぷりかけたプレート。新しいお酒も持ってきてくれた。今度はわたしの好きな銘柄だ。サッチのこういう所のマメさには、ホント感心する。

「うん、美味しい」
「ルリのその、酒飲みながら甘いモン食うってのだけは理解出来ねーわ」
「そう?お酒進むよ?」
「ま、美味そうに食ってくれっからイイけどよ」

サッチのお陰かデザートのお陰か、もやもやしてた気持ちが少しだけ晴れていた。
これからもイゾウさんと共に居られるならば、それ以上何も欲張る事はないんだから。
急激な変化なんて欲しくは無い。

「なーにキラキラした目しちゃってんのよ?」
「美味しかった。ありがとうサッチ」
「いいってよ。あ、そうだルリ。良い事教えてやろうか?」
「ん?」

二ヒヒと何か企んでる時の顔をしたサッチが
甲板の方を指差しながら言った。

「遠征組、戻るの早くなったってよ。そろそろじゃねーの?」
「!?」

予想外の言葉に思わずガタンと音を立てて立ち上がってしまった。マルコ隊長はそんな事教えてくれなかったのに。

「ほれ、行ってこいって。兄ちゃんが片付けといてやっからよ」
「ありがとう、サッチ。行ってくるね!」

甲板へと走りながら、何を話そうかなって考えた。見張り台の有るマストに登りながら、今度島に降りたら一緒に何処に行こうかって考えた。
でも遠くに見えた明かりが大きくなってその姿を甲板に見つけたら、言葉は一つしか出てこなかった。


「おかえりなさい。イゾウさん!」

fin.

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