夢からさめて。


 振り返っちゃいけない。
 いつか読んだ物語の様に、振り返ったらもう元には戻れない。怖くて後ろを見られないのに、それは強い確信だった。
 あっちでキツい訓練してて良かった―なんて思いながら、とにかく走って走って。
 漸く見えた光の先、沢山の人の中から迷わずイゾウさんを選んだ筈――だったのに。
「え…?」
 伸ばした手は虚空を掴み、何度伸ばしても、風を切るだけで触れる事が出来ない。
 せめて名前を呼べれば…イゾウさんが私に気付いてくれれば、そうしたらきっと私を捕まえてくれる。
 でも叫んじゃダメだ、イゾウさんが起きてしまうから…そう思って、必死に飛び起きた。



――多分、飛び起きたんだと思う。

「……っ…あ…」

何処から夢だと思っていたのか…壁一枚隔てた隣で眠るイゾウさんの事を気にして目覚めたのに、未だに夢と現実の境界は曖昧だった。微かに震える両手の指を一本一本折っては開き、普段通りの自分が在るを確認する。

(大丈夫…ちゃんとモビーに居る……)

波の音が聞こえる。
ゆらゆらと穏やかに、力強く波間を進んでいる感覚も有る。
それなのに、枕元のランプに火をいれて、温くなった水を飲んで、それでもまだ不安だった。
ここはちゃんと、私が眠る前に居たモビーと同じなのか――


視線の先には、先日設えられた扉。
大丈夫、同じ部屋だ。ここがモビーじゃないなんて、そんな事がそうそう有ってたまるもんか。
震える身体にそう言い聞かせながら立ち上がり、一歩一歩、地に足が付く感覚を確かめながら進む。

私たちの部屋を繋ぐ扉が出来てまだ日は浅いけれど、別々で寝た日の夜中に扉を開けた事は無かった。多分開けても文句なんて言われないけれど、私もイゾウさんもけじめのない関係は好まなくて、何となくそういう感じになっていたから。
でも……

起こすんじゃねェって言われても、明日の朝起こすのが大変になっても、子供みたいだって笑われたって良いから、仕方ねェなって抱き締めて欲しかった。とにかく今すぐにイゾウさんの温度が…安心感が欲しかった。

意を決して握ったドアノブはひやりと冷たく、無機物の感触と温度が、はっきりした筈の現実との境界線を再びぼやりと滲ませる。
かちり、と開いた扉の向こうから流れ込んで来たのは、間違いなくイゾウさんの部屋の空気で。ほっと安堵の息を吐くと、音を立てない様にするりと飛び込み、イゾウさんの居るで在ろう場所へ向けて声を掛けた。

「イゾウさん……起きてる…よね?」
「あァ。あれ以上扉を開けねェなら、こっちから開けようと思ってた所だ」

普段イゾウさんはなかなか起きないけれど、私が入って来た事には気付いていて。それでもそのまま眠り続けるのは、単に私に気を許してくれているからに過ぎない。
敵意を持つ、知らない気配だったら、当然顔を見せる間も無く引き金を引ける。
つまり私が飛び起きた事も、扉の前で逡巡していた事も、当然全部気付いた上で待っていてくれたんだと思う。

「どうした?」
「良かった…ちゃんと居て良かっ、た…」

暗闇の中聞こえた声を辿り、その手に触れて。
そうしたら急にぽろぽろと涙が零れた。

「おい、なに泣いてんだ」
「イゾウさん…がっ…」
「俺がどうした?」
「わ、かんない、イゾウさんが居たのに居なくて…っ」
「泣いてちゃ分かんねェよ。ほらリリィ、そんな所に突っ立ってねェでこっち来な」
「ごめっ、ごめんね…そんな怖い夢じゃな…っ…ひっ、く」

夢でイゾウさんが…と、必死に説明して、そして子供みたいに泣きじゃくった。何がそんなに不安だったのか、自分でも分からなかった。
そんな私をまるで子供をあやす様に、ぽんぽんと背中を叩くイゾウさんは、突然私を力強く抱き締めて、ぽつりと耳元で囁いた。

「足りねェか?どうすれば、リリィが安心出来る?」

その言葉にぶんぶんと全力で首を振る。イゾウさんが足りないなんてとんでもない。寧ろ余って余って余り在るくらいで、こぼさない様に必死に受け止めてはその余韻に浸れる程に貰って居るのに……

「後からは聞かねェからな、今して欲しい事は今言えよ?」

見上げた表情は暗くてよく分からなかったけれど、再び耳元から聞こえた声に全身を駆け巡った熱が涙を枯らし、それはもう見事にぴたりと、涙は止まってしまった。

「ない…」
「…張り合いのねェ事言うな」

涙の跡を擦ろうとした私の手を掴んだ呆れ顔のイゾウさんに、ぺろりと目元を舐められた。ったく、擦ったら腫れるだろうとぶつぶつ言いながらも触れる唇は温かくて、今度は笑みが零れた。

「だって…イゾウさんはいつも先回りして、私の欲しいものくれてるよ?」
「俺だって完璧じゃねェんだ、一つや二つは有るだろう?」

イゾウさんがそんな事を思っていたなんて意外だった。そしてなんだか嬉しくて、それならば今夜は思いっきり甘えてしまおうと、その背中に腕をまわす。

「じゃあ…今日は一緒に寝ていい?」
「そんなんで良いのか?リリィは欲がねェな」

クツリと笑ったイゾウさんは、私を抱えたまま横になると、シーツを引き寄せた。
ああ、温かい。これならゆっくりと、今度は嫌な夢なんて見ないで眠れ……

「俺は欲まみれだからな…眠れると思うなよ?」
「へ…?」

いつの間にやら組み敷かれていた私の上には、悪い顔の…私の好きな、悪い海賊の顔をしたイゾウさん。

「眠らなけりゃ、悪い夢も見ねェだろ」
「えっと…それは、まぁ…仰る通りですが…」

泣き顔も悪くねェ、と呟いて目元に口付けたイゾウさんに呆れつつもその手を取ってしまった私も、どうやら相当に欲張りみたいだと自覚させられてしまった。
だってこの熱を手放すなんて勿体ない、と思ってしまったんだから。

end
(2014.11.27

BacK / inDex / NexT

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