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▼ 07.向光性の解放者

まるで村が息を吹き返したかの様な錯覚に陥りそうだった。いや、こんなに賑やぐ光景は記憶に無い。いつも静かで陰鬱としていて……

「へえ、これが未開の村ってやつか」

モビーから駆け付けたエースと二番隊の年若い隊員たちは降り頻る雨を物ともせず、朽ちた村内を駆け回っている。
その様子をぼんやりと眺めるカナは、膝を抱えて座り込んだまま。何処かを見つめるその双眸には、未だ輝きが戻らない。

「……立てるか、カナ」

濡れた髪が貼りつく頬は、触れずとも側に寄れば分かる程に冷たく、きゅっと結ばれた唇も色を変えている。
差し伸べられた手にふるふると小さく首を振って微笑ったカナは、立てないのではなく立ちたくないのだと、無言でイゾウにそう訴え、再び視線を何処かに漂わせる。

「じゃあせめてこっちに来な。それ以上身体を冷やすんじゃねェ」
「いいです、このまま冷えても……」
「馬鹿言うな」
「だって……ママも妹も、全部なくなっちゃったのに……」

大きな雨粒が大地を掻き乱し、火炎の中でその形を失った家族を、容赦無く四散させた。
イゾウを向いたカナは矢張り微笑っていた。しかしひくりと強張る頬と冷めた目元が、作り笑顔である事をまざまざと語る。

「海に還してあげたかったなあ……そしたらずっと側にいられたのに……」

そんな事を思っていたと、口に出して初めて気付かされた。それはきっと、長い間放置してしまった事への贖罪。もっと早くそれに気付ければ、一緒にモビーに帰れたのに……

「雨は大地を通っていつか海に還る。待ってりゃそのうち、何処かで会えるだろ」
「……イゾウさんて、そんな事言う人でしたっけ」

ありありと慰められているのが分かって、擽ったかった。でも不思議と悪い気はしない。
イゾウの送った視線は軽くいなされ、拗ねた表情を浮かべる頬には、色が戻りつつあった。

「カナー! 先にモビーに帰ってていいぞ!」
「言われなくてもそのつもりだ。行くぞカナ」
「あ、うん……」

今度は素直に従い立ち上がったカナの身体が、かくんと崩れたのを、イゾウは見逃さなかった。出血の跡は雨で流されていたが、自らの刃がつけた傷痕は未だ生々しくその足に残る。

「馬鹿が、無理すんな」

するりと膝裏に腕を差し込み背を支え、そのままイゾウはひと思いにカナを抱き上げた。
ふわりとした突然の浮遊感と近付いた距離に、カナは瞬く事すら忘れてイゾウを凝視する。こんな事をされたのは初めてだ。

「ちょ、待ってイゾウさん。私泥まみれで……」
「気にするな、この雨なら直ぐ流れ……ねェな……」

先程までの豪雨が嘘の様に雨は小降りになり、薄陽が差し始めていた。見上げれば眩しくて、カナは目を閉じる。それでも眩しい。モノクローム一色だった記憶と比べ、暖かな色も温度も有る。

「家に……帰りたい……」

ぽつり呟いたカナを、イゾウはそっと抱え直す。もたれた頭をゆっくりとイゾウの胸元に寄せ直したカナは、その奥から聞こえる音を、自分のモノと重ね合わせた。

――生きている。
私たちは生きていて、そしてこれからも自分の意思で生きて行く。

今度こそもう二度と来る事は無い故郷の村を、彼女は最後まで振り返らなかった。





モビーに戻ってみれば、余りにも平時と変わらないその様子にカナは驚いた。家族の裏切り。それはこの船に於いての一大事だというのに。だからこそ慎重に事が運ばれているのだろう、そうイゾウに言われ、想像の範疇を超えそうな事態にカナの背を冷たいものが走る。

そんな先の事などお構いなしに甲板をするりと通り抜けたイゾウの足は、真っ直ぐシャワー室へと向かっていた。え? 何事? と動揺する彼女を床に下ろし、そのまま躊躇うことなくシャワーコックを全開に捻る。
思わずカナは身構えたが、ひやりとした冷たい水はイゾウに遮られ、カナの身体には落ちてこなかった。湯温が上がるまでの僅かな間に泥と血に塗れたコートは脱がされ、放り投げられた。容赦のない、強引な行動に呆気にとられていたカナは、熱い湯温でようやく我に帰る。

「一人で大丈夫です、ってば……っ」
「大丈夫じゃねェ。冷水被ったりしそうだからな、とにかく一度温めろ」

冷え切った身体には些か熱過ぎる湯が指先に傷口に染みて、カナは顔を顰める。大した負傷では無いと思っていたのに。しかし今は痛みよりもこの状況だ。

「でもこれじゃ、イゾウさんまで濡れて……」
「元から濡れてんだ。ついでで済んでいい」
「なにそれ……相変わらずイゾウさんは無茶苦茶だなぁ。でも……モビーに帰って来れて嬉しいや……」

行動の強引さに反し、乱れた髪を解き泥で汚れた手足を拭ってくれるイゾウの手つきは優しい。その温もりはカナの心にじんわりと染みてゆく。
ああ、この感じは……カナは想う。忘れかけていた家族との距離。ずっと手の中に在ったのに、何故今までその本質から目を逸らしていたのか。何故そうと認めようとしなかったのか。

「カナ、動くなよ?」
「……え?」

ぐいと頭を抑えられ、何をされるのかと驚きで見開くカナの瞳が瞬くより早く、イゾウは瞼の先に指を伸ばした。覆われていたモノが外され、翡翠色の瞳が露わになる。

「あ……」

ポロリと零れ落ちた一対の硝子は、泥と共に排水口へと吸い込まれ消えた。

「これからはちゃんと自分の色で見ろ。隠す必要なんて最初から何処にもなかったんだ。二人の分までしっかりと見て、しっかりと見せてやれ」
「……イゾウ、さん……」

きゅっとコックが締められると、ぽたぽたと水の滴る音だけが狭いシャワー室内に響く。

「いい色じゃねェか、髪も瞳も」

額に張り付いた髪を除け、濡れそぼるカナの頬を両の親指で拭ったイゾウはの手は、そのまま包み込んで真正面から覗き込む。
吸い込まれそうだと思った。しかしそこには以前の様な危うさは無く、ただひたすらに美しくイゾウを魅き付ける。
見詰め続ければ翡翠が揺れ、ぽろりぽろりと零れ落ちた雫は一筋に繋がり、遂には止め処なく流れ始めてしまう。ゆっくりとそこに触れたイゾウの唇は温かく、その温度にカナは目を見開いた。何度も触れていたそれを、何故か冷たいと思い込んでいた。しかし思い返すまでも無く、いつだってイゾウは温かかったのだ。少なくともカナにとって今まで、唯一無防備に安らげる相手だった。ただそれに、気付こうとしていなかっただけで。

「イゾウさん……私、ここに居ても独りだと、ずっと心のどこかで思ってた……」

物凄い形相で睨まれ、馬鹿が。と額を額で小突かれた。脳内を走る鈍い衝撃にくらくらとして、思わず眉をひそめる。この状況でこの仕打ち、相変わらずこの人は……と複雑な表情を浮かべるカナに対し、くつりと小さな笑いを零したイゾウは、全てを見透かしている様で、余裕を見せつけられてなんとも悔しい。悔しいけれどそれが嬉しかった。この人はこうやってずっと、自分の側に居てくれたのだから。

「私モビーに居られるかな? ここに……イゾウさんの側に居たい」
「何当たり前の事言ってんだ。それに……気付くのが遅ェ。ったく……」

まだ全てが終わった訳ではない。大きなものを失った。けれども残ったものも大きい。安穏な気持ちには程遠くとも、前に進もうと思えた。自分の為にも、過去未来全ての家族の為にも。

「イゾウさん」
「ん?」
「……イゾウさんは、居なくならないで」

思わず口をついた願いは、海賊の交わす約束ではない事は分かっている。だから無意識に小声でささめいた。

「俺を誰だと思ってるんだ? 何も心配しねェでここに居ろ。二人分でも三人分でも、カナの人生の重さくらい、幾らでも背負ってやる」

もう一人で気負わなくても背負わなくても良いのだ。過去と自分を繋ぐものは全て雨とイゾウが流し、未来へと繋げてくれた。
カナは自分に触れるイゾウの手にそっと自分のそれを重ね、ふわりと笑った。それは今度こそ作り笑いなどでは無く、絶望も悲観もない、心からの笑顔だった。


初めて、お互いが心の底から望み合って唇を重ねた。

(2019.06.15、9.16修正

(20150415


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