gane | ナノ


▼ 06.不帰客の永遠性

ざあざあと降り続く雨音と、木材のぱちぱち爆ぜる音が、じわり、じわりとカナの思考を濁らせる。

有る筈のモノ、在ってはならない現実……
目の前の男は何と言った?
私の目は今、何を視ている?


「あんたが次々と村人を斬ってく光景……忘れもしねえ。子供相手に成す術もなく倒れていく老いぼれ共を盾に、俺は生き延びた……」

ばちん、と大きな音と共にがらりと木箱が燃え崩れ落ち、勢いの衰え始めた炎の向こう、揺らめく影が男の表情を歪に変える。
この男が、あの時村に居た……自分と同じくらいの歳に見えるが、全く思い出せない。
否、覚えていないのだ。
幾人かの名前は覚えている。隣人の家族構成、それなりに親しかった知人の家族、そこで飼われていた犬……そういった事は覚えているのに、顔だけがぼやけてしまう。家族以外の村人の顔が、誰一人として分からない……
つう……と背中を伝ったものが雨なのか汗なのか……何れにしても酷く不快なそれに、ふるりと震えた身体からばさっと水滴が落ち、その音でカナの思考は現に還る。

「外に出て初めて、奇妙な場所だったと気付いたが……まぁあんな連中に未練はねぇ。それよりも……その首は村の皆の命で出来た首だろ?なら俺が貰うのは道理だよな」

理解出来なかった。
目の前の知っている筈の男が……いや、昔も今も知らない男だ……目の前の男が何を言っているのか、全く理解出来なかった。

「は……?金が欲しいなら幾らでもくれてやる。でもあなた達が私たちを殺そうとしなければ、私は何もしなかった。ママも妹も何もしてない……ただ……私達の髪と瞳の色が伝承と同じだっただけで、何であんな……」

翠の瞳、白金の髪
村に起きた厄災を祓うには、その特徴を持つ女を天に捧げよ――前時代的な、しかしその村で脈々と言い伝えられてきた言葉。

「奴らにとっては必要な犠牲だったんだろ。恨むならその血を恨むんだな」
「バカなこと言わないで……忌むべき血も必要な死も、そんなもの何処にも無い……!」
「居るだろ?俺の目の前に。それを逃がした所為で、村はこのザマだ。先祖と金持ちの言う事は、ちゃんと聞かなきゃなんねえって教わんなかったか?」

刀を握る手に力が入り、ぎりと音を立てた。
このまま斬りかかってしまいたい。戦慄く身体と心を必死に抑え込む。
しかし今カナの目の前に居る男は、白ひげと盃を交わした家族だ。命を狙われようが、理不尽な主張をされようが、敬する父の選んだ家族を手に掛ける事は、矢張りどうしても躊躇われる。

「知らない……私は……オヤジさん以外の言葉は聞かない」
「……なあ、カナ。俺とお前は同郷で、その上今は家族じゃねえか。家族の……」
「軽々しくその言葉を使わないで!私の命なら、いつだって何処でだって狙えばいい。でもそれなら……例え一瞬でも、家族になんてならないで……」

家族を失い、生きる為に無闇矢鱈と刃を振るっていたカナに白ひげがくれたのは家族。
色の着いた世界、未来。もう少しそれを守りたかった、そこに居たかった。けれど……

激しく地を打つ雨音が音を掻き消し、再び世界から色を奪って行く。

「家族家族、ってなあ……」

吐き棄てる様に呟いた男に、がたんとモノの崩れる音が応えた。
降り止まぬ雨がいつの間にか火を落とし、そこに在るのは最早燻るだけの残骸だった。

「こんなもん、……」

振り上げられた腕が残骸を薙ぎ払い、その足が大地を踏み躙る。そこに込められた強烈な悪意がカナの理性を一息に削ぐ。

「やめ……て……っ!!!」

叫ぶより先に身体が反応していた。
しかしぬかるんだ足元が邪魔をして、普段通りに踏み込めない。僅かに届かなかった切っ先は水の壁を斬り、男の鼻先を掠める。
そのまま次の手を出そうと構え直したカナの視界に、濡れて重くなったプラチナブロンドの髪が一束、落ちた。

「マ、マ……」

どくん、と一つ。心臓が大きく跳ねる。

それに押し出されるように詰め寄り、剣を抜こうとした男の腕を斬りつけ足を払い、そのまま組み敷いた。喉元に突き付けた剣先から赤く染まった雨水が伝って落ち、男の周りに溜まってゆく。

「ハハッ……いい雨じゃねぇか。お前の家族とやらも、跡形もなく全部流れちまう」
「あなたも……狂ってる……」
「てめぇもな」

見下ろした男は愉しそうに嗤って呪いた。
絡みつく狂気と纏わりつく恐怖を、抑え切れなくなった殺意で消す事に、もう躊躇いは無かった。

ゆっくりと刀を振り上げながら目を瞑ったカナの全身を、大粒の雨が容赦無く打つ。
まるで銃弾の雨に、ずたずたに撃ち抜かれているみたいだ――このままでは、無数に開いた風穴から血も涙も心も、何もかも全て零れ落ちて、そうしたら二度と、帰れなくなってしまう……

(ああ……どうせ撃たれるなら、あの人がいい、な……)

此の期に及んで浮かんだその姿が、カナの理性を呼び戻す。
しかし振り翳した刃はもう、止められなかった。

「イ、ゾウさん……っ……」

ざしゅっと柔らかなモノに刺さる手応えと、小さな痛み。
寸での所で返した刃は己の脚を軽く掠め、男の首筋すれすれでぬかるむ大地に深く突き刺さっていた。

「え……本当に……イゾウさん?」
「あァ…よく堪えたな、カナ」

カナを包んだ温かい空気は、望んだその人。

「間に、あった……」

脱力したカナの腕を取ったイゾウの呼吸は、軽く乱れていた。鍛練でも戦闘でも涼しい顔のイゾウのそんな姿を見るのは、初めてだ。
待ってろと言われたのにその場を離れた自分の為に、走って来てくれた――あの時には無かった、自分を留めてくれる存在が、現在はここに居る……

「ごめん……なさい、私……」
「いや、こいつは俺の不始末だ。カナはもう、何もしなくていい」

イゾウはぺたりと座ったままのカナを抱え起こすと、柄を固く握り締めて離れない指を解いてやる。そっと自分の後ろへ下げたカナは、見た事が無い程に憔悴してはいるが、負傷は大したことはなさそうだ――ひとまずそう確認したイゾウは、安堵の息を飲む。
その足元では自隊の男が相変わらず場違いな笑みを浮かべ、白々しく降参のポーズを取っていた。

「ふざけやがって……ここで殺っちまいてェが……」
「勘弁して下さいよ、俺たち家族っすよ?」
「あ?」

地面に刺さったままのカナの刀をぐるりと捻り、背を向けていた刃を正位置に戻したイゾウは、そのままぐいと男に押し付ける。

「てめェ……カナにもそれを言ったのか?」
「当然っすよ。大事な……っ、ぐあ……っ」

発言を遮る発砲音にイゾウを見ると、既に愛銃は懐にしまわれていた。その速さに、カナはイゾウの怒りの強さを感じた。表面上は分からないが、本気で怒っている。

「……あァ、悪ィな。雨で手許が狂った」
「はっ……よく言うぜ…外した事ねえ癖に…」
「そうしたらてめェの命はねェよ。感謝しな、しっかりとオヤジの前まで引きずって帰ってやる」
「くくっ……四皇の逆鱗か……想像つかねえ……」

再び嗤い始めた男を苦々しい表情で一瞥すると、イゾウはカナの元に駆け寄った。

「待ってろって言っただろうが……ったく、カナはこれだから目が離せねェ」
「イゾウ……さん……?」

色を隠した瞳で、ぼんやりと一点を見つめ続けるカナに目線を合わせイゾウが屈むと、一瞬視線を合わせたカナは空を仰いで瞼を閉じる。

「雨はもうヤダ……全部、連れてっちゃう……」
「もう大丈夫だ。俺は来ただろ」
「……うん」

イゾウがそっと抱きしめると、カナの目端からぽろりと溢れた涙は、雨に溶けて流れて消えた。

白ひげ、マルコ、エース、サッチ、ビスタ、ハルタ……家族一人一人の顔を、しっかりと思い出せる事に安堵したカナは、そっとイゾウの背中に腕を回した。


(20150130


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