gane | ナノ


▼ 03.不活性な帰巣者

真に平和な場所なんてものは
この世界の何処にも無いのだ


人間が欲を持つ以上、争いの種は蒔かれ続ける


それでも私は願う
せめてここだけは、この船の上だけは
私にとっての楽園でありますようにと







船は少しずつ島に近付いて行く。
表玄関に。
あの村から、最も遠い入り口に。


「なんだ、近寄ってみれば拍子抜けするくれェに普通の島じゃねェか」
「表の顔ってのは、何にでも誰にでも有るもんなんです。ね、イゾウさん?」
「カナに言われたくねェな」

含みの有る物言いのイゾウは一枚の手配書を懐から取り出すと、ぺらりとカナの眼前に突き出した。

「確かに、今回は一段と余所行きの顔だな」
「げ……」
「金額は変わらねェのに、また写真だけ更新されてるぞ。海軍にはカナの追っかけでも居るのか?」

もう何度目になるか分からない、新しくされた自分の手配書をカナはマジマジと眺め、大きく溜息を吐く。
1.2.3.4……ゼロの数は7つから増えていない。

「これ、つい最近だ……隣にハルタの肩が見えるから、前の島に偵察に降りた時かなぁ……」
「誰だか知らねェが、写真撮る暇があんなら捕まえちまえば良いのにな」
「うわ、相変わらず酷い人」

懸賞金が上がらないのは当然だ。
海賊になってからのカナは、これと言って目立つ事はしていない。
今でこそ白ひげ海賊団の――と書かれては居るが、この金額自体は船に乗る前に懸けられたものだからだ。
あの村での、あの事件の犯人として
そしてそれからモビーに乗るまでの、幾つかの……

お約束のやり取りに軽く笑い合うと、半分に切った手配書を二人で分け、細かく千切って海に投げた。
はらはらと風に乗り波に揉まれ、海の藻屑になる手配書をカナはぼんやりと眺めている。

「どうした?感傷にでも浸ってんのか?」
「まさか。ねえ。イゾウさん……思い出が美化されるって言うアレ、嘘ですよね?楽しい記憶なんて一瞬で辛い記憶に上書きされて、どんどん何処かに追いやられてしまうんだから」
「それは本当は楽しくなかったんだろうよ」
「……そんな事無い、と思うんだけどなあ……」

家族と過ごした時間が確かに有る。
母も妹も大好きだった。
共に暮らした時間は短い父にも、悪い思い出は無い。

「モビーに来てからの事なら、憶えてるんだろう?」
「んー……マルコ隊長に怒られたとか、食事中に寝たエースにサッチが熱々あんかけを垂らしたとか……?」
「もうちっとマシな思い出はねェのか……」

言われるまでもなくカナもそう思っていて、苦笑で答えると眉間をトントンと小突きながら必死に思考を巡らせている。
モビーでの日々は掛け値なくただ楽しくて、そこにはいつもみんなが居て、息つく暇もなく時間が過ぎて行く。

「んー……」

(イゾウさんと出掛けた、とか……?)

不意に浮かんだそれは、それまでの思い出と比べて少しだけ鮮明でキラキラしていた。けれどじわっと熱を帯びた頬に気付いて頭を振ると、瞬く間にスパークしてしまう。
チカチカとした残滓だけがカナの思考に纏わり付く。

「ふぁ……頭使ったから、眠くなりました」
「ったく……俺の部屋なら開いてる。着いたら叩き起こすからな」
「お願いします。おやすみなさい……」


たいして眠くなんてなかった。
けれども何となくこの場に居たくなくて、そして無性にイゾウのベッドで横になりたくて。
するりと飛び込んだ部屋の中、きちんと整えられたシーツにぽすんと身体を沈めると、次々と浮かぶイゾウとの日々が揺蕩うシーツの波に消える。

(最初は……何だっけ……?)

いつからどうやって一緒に居る時間が増えたのか……はっきりと思い出せないのは当然だと思った。家族と云うのはそういうものだ。当たり前の特別に、理由なんて要らない。
イゾウにとっての自分もそうであって欲しい…そう願った時に少しだけ、カナの心臓がきゅっと軋む音がした。

(起きたら、島に降りるんだ……)

それまで少しだけ眠ろう。
イゾウが起こしてくれるなら、迷わず眠れるから。
中には潜らずにそのままシーツを掻き寄せ抱きしめると、上がる体温と鼓動。独りなのにイゾウに包まれている感覚は初めてだった。

「……カナ、起きれるか?もうすぐ着くぞ」
「ん……」

いつの間にか枕元に腰掛けていたイゾウに、散らばる前髪を梳かれていた。起きろと言わない所が妙に優しくて、もう少し目を瞑っていたかった。けれど踊る毛先が擽ったくて、捩った身体がイゾウに触れる。

「おはようございます……」

微睡み程度の睡眠だったが、目覚めたカナは久方振りに味わう充実感で満たされ、見上げたイゾウの顔はいつになく穏やかに見えた。
覆う物の無い瞳で見る世界は、あの頃程悪くはない……そう思える程度に、少なくとも今この瞬間だけは、温かな時間が流れていた。





「じゃあ行ってくるね、エース」
「おう、気をつけろよ。よろしくなイゾウ!」
「分かってる、心配すんな」

イゾウとカナ、それに数人の隊員を乗せた小船が沖に停泊したモビーから離れて行く。モビーが直接着けられる規模の港はそうある物ではなく、岩礁の状態を確認しながらでないと、何処まで寄せられるかも分からない。とにかく何から何まで桁違いのモビーの寄港は、それだけで大変な知識と航海の技術、念入りな下準備を必要とするのだ。

「んんー……」
「どうした?」
「いえ、もう10年以上経つんで仕方ないのかも知れないけど……余りにも様子が違い過ぎて……」

とは言え彼女が居たのは奥地の、しかも閉ざされた村で、ここは島の玄関口に過ぎない。カナがこの場所に来た記憶は一度だけ、村を捨て島から出たあの日だけだ。
しかしひなびた漁村程度だった筈の港には小さいながらもしっかりとした船着場が作られ、それなりに活気が有る様に見える。

「何年経ったと思ってんだ」
「それもそうか……」
「何も特別に思う事はねェだろ?いつも通りで構わねェんだ」
「分かってる……けど……」

それならば自分が行く必要は何処にも無いではないか……そう喉まで出掛かった言葉を飲み込んだのは、桟橋に着いた船がカタンと揺れ止まったから。港町の長には寄港を知らせて有り、その返答の内容は好意的なものだったと聞く。ならば然程手間も掛からずに、この憂鬱な任務は終わるだろう。

「雲行きが怪しいな。降り出す前に終わらせるか」

島を覆う重たい空気に似つかわしくない青空は、確かに遠くから忍び寄る濁った雲にその座を脅かされつつあった。

「了解です。じゃあ、先に降りますよ」

すとん、と真っ先に桟橋に飛び移ったカナは、軽く天を仰いだ目線を故郷だった村の有る方角へと向け立ち尽くしている。
イゾウと隊員たちが全て降りるまでの僅かな間そうして居たカナは、寒くもないのにふるりと震えた身体をそっと掻き抱くと、再び天を仰いで心の中で小さく十字を切った。

信仰なんて無いのにこんな時だけ――薄く自嘲すると、カナはそのままゆっくりと足を踏み出した。

(20141201


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