▼ 02.心配性の守護者
「え?」
辛うじて音になった小さな疑問符は、それでもしっかりとマルコに拾われる。
「xx村だよい、お前が聞き直してんじゃねえよい」
「いや……聞き間違えではなくて、頭が言葉を認識出来なかったというか……しなかったというか……」
ゆっくり一呼吸すると、ドクドクと血液を送り出す音がやけに強く早くなりカナの体内を駆ける。
「それに……その……島のその村、には……もう何も……」
必死に絞り出した声は掠れ気味で、思いも掛けない展開に隠し切れない動揺がカナを戸惑わせる。
「だいたい、あんな場所に行く意味が……必要性が分からないです」
「あァ、俺もそう思ったんだがな……」
どうやらイゾウは既に一通りの事情を知った上でここに居る様だった。その上で珍しく偵察に降りる理由が、カナの生まれ育ったその島が目的地であると云う事は明白だった。
「おめえらも分かってると思うが、あの海域は島が少ねえ。万一の時に寄れる島を確保しとくのは、必要な事なんだよい」
「だからって、何故あの島なんだ」カナはそう反論したかった。しかしそれに気付いたイゾウが、カナの肩にそっと手を乗せ制す。
カナとて、心の底から反対している訳ではない。ただ、素直に「はい分かりました」と言える程その場所は、カナにとって気安く寄れる場所ではないのだ。
マルコもそれを分かっているからこそ、こうして先にカナを呼び出して話をしてくれたのだろう。
それは分かっている。理解は出来るのだ。しかし……
「わ……かりました。寄港迄には気持ち切り替えるんで……今は失礼します」
そう言って踵を返したカナを、マルコもイゾウも引き止める事はしなかった。
さらりと靡いたプラチナブロンドの髪の残像だけが、扉が閉まった後も暫く二人の網膜に焼き付いていた。
◇
空は晴れている。
それなのに、その島の周りだけは明らかに空気が淀んでいた。
時折遭遇する難破船によく似た、重くて苦しくて、纏わり付く様な嫌な空気だ。
あの島は、死んでいるも一緒だ
私が殺した村だ
私の家族を殺した――――
「何て顔してんだ」
「イゾウさんが偵察に降りるなんて、らしくない事するから……」
膝を抱えたままふふっと笑い、カナは人前では滅多に吸わないタバコを咥え火を点ける。
珍しいモノを見る様に目を細めたイゾウの方は向かず、彼女の視線はじっと一点を見続けていた。
「人が居たら、吸わない」
ポツリとそう呟き、大きく吸い込みゆっくり吐き出した紫煙が空に溶け切るのを合図に、カナは静かに口を開いた。
「あれから一度も……村の事を気にした事なんてないから、今はどうなってるのかなんて知らない。誰が居なくなって誰が生きてるかなんて、覚えてない。会いたい人も居ない。帰りたいと思った事も無い。思い入れも、無い」
一気にそこまで独り言ちると、再びゆっくりと一口吸い込む。細く吐き出した紫煙が、先端で燃え尽き不安定に留まっていた灰を散らした。
「でも、怖い――」
足元に散った灰を払い短くなったタバコを指先だけで器用に海へ投げ捨てると、漸くカナはイゾウの方へと視線を向ける。
「イゾウさんはそんな顔しなくても、大丈夫。私はもう子供じゃないし、きっと時代は変わってる」
「そう云う台詞は、もっと大人になってから言いな」
「たいして変わらないクセに、偉そうだなあ、イゾウさんは」
後ろ手で身体を支えたカナの髪が風に流され、陽光を受けた瞳が露わになる。
翡翠の瞳は薄茶色のガラスで覆われ、その本当の表情を窺い知る事は出来なかった。
「何が有っても勝手に突っ走るんじゃねェぞ?それが、俺が帯同する理由だ」
「うん……ありがとう」
表情を緩めたカナはそのまま身体を崩し甲板に背を預け、空を仰ぐ。
眩しいのか顔を覆った両腕の、だらりと投げ出された指先にイゾウが触れると、僅かに力を込めて絡め返したカナの口元がきゅっと結ばれたのを、イゾウは見逃さなかった。
「……イゾウさんが優しくて、どうにかなってしまいそう」
「そんな殊勝なタマじゃねェだろ」
「酷いな、私だってたまに……は……」
反論しようとするカナの腕越しの視界が陰り、微かに震える口から紡ごうとした言葉は冷たくて柔らかい感触に遮られた。
「黙って泣いとけ。一人で泣きてェなら、今度はその口にタバコ突っ込んでやる」
「やっぱり酷いや。でも……ありがとう。もう少しそこに居て」
答えの代わりに力が込められたイゾウの手が、少しずつ近付く島からカナを蝕もうと這い出る邪気から護ってくれる様な感じがした。
暫くの間そうしていると、カナの心からは静かに波が引いて行った。
(20140917
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