▼Home海に出て早幾年。
新世界という特殊な海での生活が長くなり、季節感が徐々に失われつつあると感じる今日この頃。
「ありゃ、見事に霞んでますね……雨かぁ……」
けれど季節ごとに変わる景色を、慣れ親しんだ暦通りに見たいと思う気持ちだけは、失いたくないとも思う。
きっとそれは、わたし達の故郷が四季に彩られた素敵な場所だったから。
ぽかぽかの甲板から眺める春島は島の周辺だけがぼんやりと霞み、薄い桜色混じりの灰色で覆われている。
「花散らしの雨はイヤですよね……」
「…………」
「どうかしました?」
「いや……」
何か言いたげな、でも躊躇う表情のイゾウさんは珍しい。
「……ぷっ……あはは」
その表情の理由に心当たりのあるわたしは、つい堪えきれずに吹き出してしまう。
すると今度は少しムッとして、でも少し困った様な表情。
「……大丈夫ですよイゾウさん。わたし、そーいう意味だと分かって言ってますから」
そう言うとほっとして、でもまた複雑な表情になって、ゆっくりと煙管に火を入れる。
「花散らし、なァ……」
「もしかしてイゾウさん……そんな状況で使った事があったりします?」
今日のイゾウさんは何だか機嫌が良い。
くるくる変わる表情が新鮮で、だからついつい振り回してみたくなった。
「あるな……って言ったらどうする?」
「あー…………当然そんなお話の一つや二つ……だってイゾウさんですし?」
溢れそうになったため息を飲み込みつつ、ちらりと目端で捉えたイゾウさんは、見慣れたいつもの涼しい表情。しまった、隙を与えてしまった――と思うも、もう遅い。
「知ってるって事は、ルリにもあるって事だろう?」
「へあ?ないですないです!たまたま知ってただけです」
「そうか?」
「そうですー。わたしはイゾウさんみたいな目的で、夜の街に出たりしませんからー」
「随分じゃねェか。俺はそんな風に見られてたとはなァ……」
こんな艶めいたと言うか何と言うか、言葉を選んでいるだけで話してる内容は実に下世話なのに、クツクツ笑うイゾウさんは気分を害した風でもなく、むしろ益々上々といった様子。
「粋な言い方ですよね。意味はアレですけど」
「一度くらいは使っても良いが……まァ、この先も使う事はねェだろうなァ」
「……わたしもないと思います」
手摺に肘を乗せ、背を預けたイゾウさんと、手摺に肘をつき、島を見続けるわたし。
頭の上をふわふわ流れていく紫煙の分だけ高い所から聞こえる声は、目指す春島の風の様に、ほわほわぽかぽか。温かく心地良く、わたしの耳を通り抜ける。
「雨、止みそうにないですね……桜流しにならなきゃいいですけど……」
「そうだな……せっかくなら今この時期に見てェよなァ……同じ桜でも春に見るモンは、やっぱり格別だからな」
「……!」
同じ気持ちが嬉しくて隣を見上げれば、当たり前だろ?と言わんばかりの表情のイゾウさんが、こちらを見下ろしていた。
当たり前を当たり前と思ってくれる人が近くに居てくれる事が、どれほど幸運で幸せな事か。改めて噛み締めながら、ただひたすらに、晴れる事を願う。
「心配するな、着く頃には晴れるさ」
「ですね。イゾウさんが言うなら……あ、雲が切れてきた」
キラリ。
射し込んだ細い光がわたし達の元に春を届けてくれるまで、あと少し。
fin.
〜2016.12.15※桜流し→桜を散らしてしまう雨
花散らし→花見を口実に集まる男女の集い(今で言う合コン)そのまま一夜を過ごし、それっきりお別れの隠語が花散らしの雨。
花散らしの雨には諸解釈ありますが、ここではこのような旧来の意味合いで使いました。
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