過去拍手文 | ナノ

雨の啼く方へ

「ぴちぴち、ちゃぷ……」

思わず口遊んでしまったのはこれで何度目か。
鼻歌さえもが雨の唄になってしまう程の長い時間。しとしとしとしと、時に弱まれど途切れる事なく降り続く雨。
まだ当分止みそうにないな、先程見た気象図と海図を頭の中で重ね合わせ、ルリは今日何度目かの小さな溜息を零す。

手練の船大工達の手で常日頃から整えられているモビーの甲板だが、それでもそこかしこが窪み、大小沢山の水たまりが出来ている。

そろり、そのうちの一つに足を踏み入れればそれは思っていたより深い。
思えば子供の頃、水たまりで遊ぶのが好きだった。新しい長靴が汚れるのも厭わず、ばしゃばしゃと夢中で跳ね回ったものだ。
今度は両足で軽く飛び跳ねてみる。しかしまた大きくなった雨粒が、広がろうとする波紋を乱してしまう。
記憶の中の自分は確か、ゆらゆらと波紋に揺れる景色を楽しんでいた。もう少し大きく跳ねていたのだろうか?
ぱしゃん、それでも負けてしまう。思わず漏れた溜息に苦笑いが重なる。もう子供ではないのだから、そろそろ終いにしよう。でも最後にもう一度、そっと跳ねて作った波紋は、今度は雨粒に邪魔される事無く綺麗に広がった。おや?と見上げれば曇天を隠す鮮やかな赤。

「ありゃ…イゾウさん。もしかしてずっと見てましたか?」
「まァな…さっきから何してんだ」

差し掛けられていたのは大きな傘。彼女の肩をしとどに濡らす水滴を払い半歩近づいたイゾウは、しっかりとその傘の庇護下へ彼女を収める。

「水たまりで遊ぶのが好きだったなぁって思い出したら、我慢出来ずについ……」

照れ臭そうに笑うルリに釣られ、イゾウの表情も緩む。
並んで見上げた空はどこまでもどこまでも厚く重い雲が続き、二人は顔を見合わせ、揃って溜息を零す。

「雨も好きですけど…こうも降り続くと流石にお日様が恋しくなりますね」

雨が降れば綺麗になる空気。それはそれで悪くない。それでも矢張り、海上を進むならば晴れている方がいい。正に前途洋々という気分になるし、家族で溢れ返る甲板で皆と過ごす時間は何物にも代え難い。
そうだ、幼い日の水たまり遊びだって、雨上がりの晴れた日だった。水面に映る太陽がキラキラ揺れて、真っ白な雲もゆらゆら揺れて……

「今度降りたらレインブーツ買おうかなぁ……」
「そんなモン必要無い様な天候がいいんじゃねェのか?」
「あ、あー…うーん……」

真剣に悩み出すルリにイゾウは目を細める。本人が気付いているかは分からないが、時折見せるこの子供の様な姿は、恐らく自分以外は殆ど知らない。
無意識に延ばした手で雨に濡れた前髪を整えてやると、彼女は擽ったそうに笑みを返した。ああ、これも多分、自分だけが見られる顔だ。
そこでイゾウは漸く、喜んでいる自分の胸中に気付く。ったく、青い優越感だな……心の中でそう笑い飛ばすと、手近な水たまりにそっと足を伸ばそうとする彼女の腕を軽く引いて制する。

「それだけ濡れてんだ、そろそろ戻らねェと風邪引くぞ?とりあえず当分は止みそうにねェ……退屈だな」
「ですねぇ……あ、イゾウさんも遊んでみます?」
「いや、今は遠慮しとく。誰かに見られたら面倒だからな」
「それって……誰も見てなきゃいい、って事ですか?」

まさかの返答だったのだろう、ぎょっとした顔で自分を見上げるルリにイゾウが頷くと、何を想像したのかクスクスと笑い出す。
見たいけど見たくないなぁ。至極楽しそうに表情をくるくる変える彼女がこれ以上濡れぬ様、イゾウはその小さな肩をそっと抱き寄せる。驚きで固まる彼女を促し船内へ向け歩き出せば、雨音に混じって彼女の小さな呟きが聞こえた。

「雨、もう少しなら降ってても良いかなぁ……」

fin.
〜20151010


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