ヒトトセ

 例えば夏の夜。人間が催す祭りの光を遠くに見つめていると、裾を引く幼い手がある。視線を向ければ、アビサメは未だ興奮覚めやらぬ様子で息を弾ませていた。もう片方の手にしっかと握り締めるは真紅の林檎飴。僅かな光にも煌く蜜の照りを楽しみながら、少年は太陽のような笑顔を見せた。
「アニゴーっ。この飴、アニゴにあげる!」
 一つしかないのにいいのか。
 そう問うと、アビサメは寧ろ当初より数段意気込んだ様子で飴を差し出してくる。一つしかないからこそ。
「一個しかないから、てめぇはアニゴにあげたいんだー。ただおいしくて、きれいなもんだったらすぐ忘れちゃうけど……アニゴがおいしそうに食べてたきれいなものなら、てめぇは何時までも覚えてられるから」
 次もまた、あの優しい翁が今夜と同じ場所で、同じように優しい言葉で、同じように林檎飴を差し出してくれるとは限らない。なんでも今度などという確証はない。人が幅を利かせるこの世の中では、まことに生きづらいこの世の中では。
 口に含まれた、たゆたう甘みと刺すような酸味。喉元を下り、ゆっくりと降る紅い夢に打たれて目を閉じる。

 例えば秋の夕暮れ。物悲しさを吹き飛ばす朗笑に瞳を開けば、沈み行く夕日を背にして笑うカムイが居た。
「確かに数の暴力ってのはあると思うよ。集団心理ってヤツ? あれに呑まれると一塊の怪物になっちまうから。……って、俺様が怪物なんて言うのも変か」
 けろりと世界の残酷を語るアカマターの青年は、相対する人間に欠片の憂いも見せない。それなのに、赤く染まるその輪郭がこの上なく切実に映るのは何故だろう。
「関わらなけりゃ揺らぐ事も、損なわれる事もねぇのにさ」
 それでも、人がそうであるように。我らも一人では生きていけないのではなかろうか。
 そして幸いにも、芸人一座はこうして望みあい寄り合っている。ただ、その輪の中でも“ひとり”であろうとする彼は、やがてくるりと背を向けた。
「求めずにはいられないんだよなぁ。なんでだろーね」
 寄り集まる事ができた幸福よりも、そうせずにはいられない本能こそを哀れむ声を残し、カムイはそのまま先を行く。記憶を射る赤い光を浴びて、季節は巡った。

 例えば冬の朝。宿から出立する支度を整えたトラツグミが、音もなく息を吐いている。その吐息は微かに白く染まり、つらりと立ち上った。早朝に発つ予定であったので、もう火鉢は消えている。
「主、寒くはありませんか? もう少しだけでも火を入れましょうか」
 ああ、頼む。自らの寒気より、微かな震えを努めて隠そうとする従者を思って頷いた。凛とした居住まいこそ崩さないが、主の思いやりを察したのだろう。かしこまりました、の代わりに、有難う御座いますという感謝が返ってきた。入れられた火種を抱き、黒い墨が紅く染まる。
「朝食はどこで取りましょうか。この時間だと、開いている店も少ないかもしれませんが……」
 食後に善哉餅が食べられる店がいい。簡潔かつ、やや的外れな希望を聞いても、トラツグミは慣れたものだった。寧ろ愛しげに目を細めると、上品な笑みを一つ落とし頷く。
「わかりました。後で、アビくんにも聞いておきますね」
 当たり前の日常は、起き得たいくつもの悲劇を回避した上に辛うじて成り立っていた。その事に感謝する時間さえ惜しい。今はただ、この平穏を。
 ぱち、ぱち。跳ねる火の音、日常賛歌。喝采の温もりは、瞼の裏に紅い幕を下ろす。

 そして、春の夜明けに目が覚めた。
 我ら世界を巡る特異の一座。世の矛盾を掻い潜り、埋もれた意味を見つけ出す。
 相棒よ。この世界は愛するに値するか。
 我の問いかけに、特異点は朱が滲む空を仰ぎ、泰然と呟いた。
「さあな」
 その双眸が慈しみに満ちているのに、お前は気づいているだろうか。


[ 4/4 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]




「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -