草木も眠る丑三時。街には異形のものが溢れ出す。 伽弥駅でも、それは例外ではなかった。 ぼおぉぉ、と汽笛の音をたて、真っ黒な汽車が轟音と共に駅に着いた。 もう、終電はとっくに過ぎた。ホームには誰もいない。 いや、昼間と何も変わらず駅員の姿があった。来る筈のない汽車だというのに、慣れた風にカンテラを持って、降りてくる乗客を待っている。 しかし、駅員は見慣れない顔だった。この街の住人に聞いたら見たことがないと言うだろう。 やがて、黒い鉄の塊からわらわらと客が降りてきた。 人のように見えるもの、面を被ったもの、毛むくじゃらのもの、小さなもの、大きなもの。 まるで人には見えないものも、たくさん混じっている。 異形のものらはぞろぞろと連なり、駅員に切符を渡すと溶けるように夜の闇へと消えていった。 気が付くとホームには、駅員と3人の客だけが残っていた。 笠を目深にかぶった背の高い僧侶。 襤褸を纏った小さな老人。 濃い紅を引いた和服の若い女。 僧はぼんやりと灯りに群がる羽虫を眺め、老人はホームにぺたりと座り、煙草をふかし始めた。 女はベンチに座り、何かを待っているようだった。 「あのう、皆さんまだ居られますか」 しばらくして、駅員はにこにこしながら彼らに話し掛けた。 女は短くええ、と答え、老人はそちらを見向きもせずそのまま煙草をふかし続けた。 僧は慌てた様子で駅員に向き直った。 「あ、いや、失礼致す。もう暫くいてもよろしいだろうか」 「ええ、どうぞ。夜が明けるにはまだ時間がある」 張りのある声から察するに、僧はまだ若い男らしい。 「御坊はどちらからいらっしゃいましたか」 「この一つ前の街からだ。名は……そう、幻灯だったか」 「ほう。あそこは良い所だと聞きますが、どうでした」 「良い街であったよ。某の故郷に少し似ていた」 この若い男の時代錯誤な言葉遣いを全く気にせず、駅員は笑みをたたえたまま話を聞いている。 僧はそこで笠を取ると、照れ臭そうに頭を掻いた。 笠の下は禿頭ではなかった。多分、剃髪したまま放っておいたのだろう。さっぱりとした短髪である。 「その……某はまっとうな僧ではないので、御坊などと呼ばれるのはちと心苦しい」 「では、何とお呼びしましょう」 「幽山と呼んでくれればよい」 「それでは幽山さま。貴方は何処へ行きますか」 駅員は先程と何も変わらない笑顔のまま尋ねた。 「何処へとは」 「いえ、ご案内が必要かと思いまして。一応駅員ですしね」 そう駅員がおどけたように言うのを聞いて、幽山は少し眉をひそめ、それからがくりと肩を落とした。 「某は物事を大きく考え過ぎてしまうな。貴殿も意地が悪いが」 しゃらん、と錫杖を鳴らし幽山はため息をついた。 「此処には死ぬために来た。某は此処で人として生きて、死ぬつもりだ」 「死に場所をお探しですか」 「生きて、死ぬ場所だ」 夜風が二人の頬を撫で、しばらく静かに沈黙が夜を支配した。 「あァ、やだねェ。辛気臭くっていけないよぅ」 ふいに、それを引き裂くようにがらがらに枯れた濁声が間に入った。 「死ぬだの何だの、まだ若ェのに。まあ、人間だから仕方がねェのかい」 襤褸を纏った老人が、突然語り始めた。先程の置物のような様子とはまるで違う。 「お若いの、あんたァ駄目だ。死に急いでる」 「そう……見えますかな」 「うん。この街は、生きる楽しみのためにあるんだからさァ。もっと明るい顔をしなさい」 幽山は、うつ向いてか細い声で語った。 「しかし……」 「だめだめ、深く考えるなんて爺のやることだから」 老化は気からだよゥ、と言って老人は呵呵大笑した。 「あんたの過去なんて別にどうでもいいのよ。ま、楽に生きな」 そう言って意味深に笑うとじゃアね、とすたすた駅を出ていった。 その瞬間、幽山は自分の腹の辺りを何かに引っ張られ、無様に腰を抜かした。 呆けたような顔でぼんやりしていると、ぐううう、と腹の虫が騒いだ。 「おほほほほ、兄さん化かされたねェ」 事態を理解できず幽山がきょろきょろしていると、女がいつの間にか傍らにいた。 「さっきの爺はねェ、ひだる神っていうんだよぅ」 女は袂で口を隠し愉快そうに笑うが、幽山は腹が減り過ぎて目が回りそうだ。 「普通こんな場所にはいない筈だけど……遊山にでも来たのかねェ」 「そ、その、ひだる神とは」 「気に入った奴を、兄さんみたいに腹ペコにしてしまいますのサ」 おほほ、災難でしたねェ、と笑いながらも女は竹皮に包んだ大福を幽山に渡した。 「これ食べて、元気をお出し」 その時、丁度示し合わせたように腹が音をたてたので、幽山は赤面した。 女はそれを見てくすり、と笑うとぽーんと宙返りをして猫になった。 そして、そのまま闇夜へ駆けていった。 「大丈夫ですか?」 どのくらいぼーっとしていたのだろう。東の空はもう白んでいる。 駅員に手を貸してもらい、幽山は慌てて立ち上がった。 「先程の女人は……」 「ああ、大方何処かから流れてきた猫股でしょう」 まあ悪さはしますまい、と駅員は微笑んだ。 幽山はまだ信じられない己を納得させるため、大福を一口かじった。 「それより、如何ですか。この街は面白いでしょう」 大福を頬張っていた幽山はしばらく思案して、ああ、と答えた。 「某も馴染めると良いが」 「幽山様なら大丈夫でしょう。……さあ、もう我々の時間は終わりです」 「うむ。世話になり申した」 幽山は最後に深くお辞儀をすると、笠を被り歩き始めた。 少し空腹もおさまったのだろう。錫杖の音も涼やかに歩みゆくその姿は、どこか晴れ晴れとしていた。 彼の姿を見送ってから、駅員は大きな欠伸を一つした。 ← |