「おや、坂下先生いらっしゃい」 和装の青年が店に入ってくると、店主は嬉しそうに声をかけた。 「商い中」と書かれた小さな札。 こぢんまりとした入口。 埃っぽい店の中には、うず高く積まれた本。 ここは古本屋、御伽草子。 おとぎばなし商店街では一、二を争う古株である。 「こんにちは、ソウさん」 坂下先生、と呼ばれた青年はにこやかに挨拶をすると、慣れた様子ですとん、と座敷に腰を下ろした。 作家である坂下は、度々ここをよく訪れるのだ。 「今日はどうしました」 「いえ、近くまで来たものだから。ああ、そういえばお菓子があるんですが、お一つ如何ですか」 「ではお言葉に甘えて……おや、鴇堂の干菓子ですね」 「柊さんから頂いたんです。ほら、今昔堂の」 しばらくポリポリと、菓子をかじる音だけが続く。 しかしその静寂もすぐに終わった。 「そ、ソウさん!商品の搬入終わりました!」 突然、顔を真っ赤にした女の子が店内に入ってきた。 年は高校生くらいだろうか。 肩で切り揃えられた青みがかった黒髪に、大きな眼鏡。 浅葱色の着物にきりりと襷を締め、紺の前掛けをしている。 「……あ、わ、あの、すみません!」 しかし、坂下の姿を見た少女は慌てて頭を下げた。 「……君は?」 「さ、佐倉金魚です……」 坂下が聞くと、少女は消え入りそうな声でそれだけ言ってうつ向いてしまった。 「あー……金魚ちゃん。お茶を入れてきてくれないかな?」 「は、はいっ」 ソウさんに促されて、金魚という少女はばたばたと奥へ消えた。 「先生すみません。彼女慌てん坊で」 ソウさんは苦笑しながら頭をかいた。 「いや、活発でいいと思いますよ。ここで働いてるんですか?」 「ええ、つい先日から。潤いも必要かと思いまして」 「ははは、それはいい。それにしても変わった名前ですね、金魚って」 「なに、あれはぴったりな名前です」 「え?」 坂下がソウさんの言葉に違和感を覚えたその時、金魚が丁度お盆に乗せた茶を運んできた。 そのせいで、坂下はそのことを聞くタイミングを失ったが、温かい茶が美味しくてどうでもよくなってしまった。 ※ 「よかったねえ、金魚ちゃん」 「何がですか?」 「坂下先生に会えたじゃないか」 坂下が店を出てからしばらく後に、ソウさんと金魚はのんびり話をしていた。 もっとも、この言葉の後に金魚は真っ赤になって黙ってしまったが。 ソウさんはその姿を見て、複雑な気分になった。 実は金魚が人間ではないことを、このまま伏せておいていいのだろうか。 ついでに坂下に好意を抱いていることも。 そうは思うが、機会がない。 突然、金魚はさくら公園の池に住んでた魚なんですよー、と言った所で信じてもらえないだろう。 というか、弱った金魚を介抱した自分ですらまだ信じられない。 「……ばれなくてよかった、のかな」 今はまだこれでいいのだろう、と自分に言い聞かせて、ソウさんは大きな欠伸をした。 ---------------- 101108 小さな街様に提出 ← |