夕刻、熱を帯びた風に喧騒が混じる。
今日は祭。御女郎山の中腹、長い石段を登った先の、伽鴇神社のための祭だった。
石段の下では出店が軒を連ね、子供のはしゃぐ声が谺する。
しかし夏の最後の楽しみに浮かれるのは、人だけではない。
伽鴇神社の拝殿にも、人ならざるモノが集い、浮かれ騒いでいた。

「ふん、つまらん肴じゃの」
趣向を凝らした膳を前に、様々なモノが車座になって盃を交わす中、一際目を引く美しい少女がそう言って笑った。
古の女官の如くゆらめく黒髪からだろうか。緋袴から真っ白な脛が露になるのも厭わず、あぐらをかく姿は何処か優美でさえある。
「この宴に参加できるのは誰のおかげだと思うているのだ。口を謹め。猫の分際で神にたてつくとは何事ぞ」
「まあまあ走狗。今日は目出度い日だ。つまらない諍いなんてやめよう」
少女を叱るのは走狗と言う名の赤い天狗の面、それを謹めるのは艶やかな若者だった。
山伏のように立派な体躯の走狗であるが、傍らの華奢な青年には敵わないらしい。
いささか不満げな様子の走狗を見て、若者は口元に柔らかな笑みを浮かべた。
「それに、軽口を叩くのはスミの性分だろう?」
「神主殿はよく分かっておられる。やはり山育ちは洒落が通じんで困るわ」
何だとお、と声を荒げる走狗を尻目に、スミと呼ばれた少女はからからと笑いながら朱漆の大盃を干した。
そうして猫のような眼をくるくると動かして辺りを一瞥すると、盃に酒を注ぎながら呟いた。
「才、今年はまだ集まらんようじゃな。少しばかり座が寂しく感じる」
「まだ祭は始まったばかりさ。きっとのんびりやって来る」
才と呼ばれた青年はにっこり笑うと、扉に目を向けた。
その瞬間、とんとん、と戸を叩く音が響いた。
「ほらね」
才は悪戯っぽく笑いながら、戸を開けた。
ぴょんと飛び込んで来たのは、薄紅の羽を持った美しい鳥。それに続いて、ポロシャツを着たどこにでもいそうな普通の男が入って来た。
「やあ、伽神。今までどこへ行っていたんだ?」
「祭を少しばかり眺めていたの。そうしたら、芥火を見つけたから」
伽神と呼ばれた鳥は才の肩にふわりと止まって、愛おしそうに嘴で髪を撫でた。
芥火という男は、人の良さそうな笑みを浮かべ、才に紫色の包みを渡した。
「お久しぶりです、神主殿。安直ですがこの通り土産も」
才より早くスミが手を伸ばして包みを解くと、中身はつやつやとした稲荷寿司だった。狐の土産が稲荷寿司とは、どこか面白い。
甘い香りに周りの妖怪共も嬉しそうな声を上げる。
「これはこれは。良いものだ、ありがとう」
「芥火殿、そういえば貴殿のお子と細君は如何なされたのじゃ?」
行儀悪く稲荷を頬張りながらスミは尋ねた。
「二人とも縁日を回っているでしょうな。宗近など、人間の友達が出来たようで」
「へえ。そういえば、スミも友達が出来たと言っていたね。今日は一緒にいないのか?」
「チビ共を押し付けてきた。また後で顔を出すさ、ここには呼べないからのう」
妖と人は住み分けも必要じゃから、とスミは少し寂しそうに溢した。

丁度その時、からりと戸を開けて、駅員の格好をした男が入ってきた。手には一升瓶と何かの箱を抱えている。
「やあ、どうもどうも。まだ酒は残っていますか」
男はにこにこと笑いながら、どかりとスミの隣に座った。
「岐か。珍しいな、貴殿はこのような席には来ぬものと思うていたがの」
「なに、今日はそんな気分だったのです。夜が来る前には駅に戻りますが」
「ふん、また夜汽車か。もう塞の神でもないのじゃから、境を守る役などやめてしまえばいいものを」
「守っている訳ではありません。行く者来る者を見るのが楽しいのです。一度神として奉られたモノは、神であった頃が忘れられないのですよ」
岐は変わらず笑みを湛えながら、稲荷寿司に箸を付けた。
「確かに、そういうものです。私達は信仰という糸で人と繋がっていたから、それが無くなるのは何とも寂しい」
神社再興を目指す芥火は、何か思う所があったのかも知れない。なみなみ注がれた酒を眺めながら、ぽつりとそうこぼした。
「私は神ではないが、参るものがいないのは悲しいものです。やはり、人と関わることは捨てられないのでしょうな」
夕暮れの薄闇の中で、妖怪たちは静かに芥火の話を聞いていた。
昔と違って、人は妖怪から離れていった。そのことをしみじみと感じているのだろうか。

「我等は確かに人から遠ざかる。我等だけではない、神ですらも。じゃがな、いくらそうでも、やはり人を愛しく感じるのじゃ」
静寂に染み渡るように鈴のような声が響く。目の縁をほんのり紅に染めて、スミはゆるゆると語る。
「人は興味深い。流れる時が違おうとも、私は人が好きじゃ。他の街の事情などは知らぬが、伽弥ではまだ我等の生きる場所はある。この街はほんに良き街じゃ」
スミの言葉に周りの妖怪もみな頷いた。この街にはまだ、不思議が根付く余地があるのだ。
「全くその通りだ。だから私もこの街に残っているのです」
岐はそう言うと、盃に景気良く酒を注いだ。
「では、この街に敬意を表しつつ、盛大に呑みましょう。下戸の方には、鴇堂の上等な菓子もありますから」

たちまち方々から手やら前足やら蹄が伸び、部屋の中に再び賑やかさが戻った。
今宵は祭。
宴はまだまだ終わりそうにない。




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