クリック? クラック! † 昔々、おとぎ話の不思議な世界に、とある少女がおりました。 少女の名前はアリス。 淡い水色のワンピースがよく似合うこの活発な少女は、ブロンドの短い髪を揺らして不思議の国を駆け回っておりました。 ある時は、動物達とくだらない議論に明け暮れ、またある時は公爵夫人にスープをご馳走になったり。 帽子屋が主催の何でもない日のパーティーで目一杯お菓子を食べたかと思うと、ハートの女王の城でクロケーを楽しんだり。 アリスは幾日も幾日も、くたくたに疲れて眠くなるまで遊んでいました。 どれくらいの時間が経ったのでしょう。 アリスはふと、誰かに会いたくなりました。 誰か?誰か? 誰かって誰だっけ? 猫のダイナ? それとも優しいお姉さま? それとも…… アリスは一生懸命思い出そうとしましたが、どうしても思い出せません。 そこでアリスは、その誰かを探しに行くことにしました。 「ねぇ、白兎さん。私が探している誰かってだあれ?」 「さあ、知らないな。そんなことよりかけっこをしようよ」 「ねぇ、野ねずみさん。私が探している誰かってだあれ?」 「さあ、知らないな。そんなことよりお喋りをしようよ」 「ねぇ、女王様。私が探している誰かってだあれ?」 「さあ、知らない。そんなことよりクロケーをして遊びましょう」 誰に聞いても皆しらんぷり。 アリスは急に怖くなりました。 私は何かを忘れてるのかな? あなたはだあれ? 私が探しているのはどんな人? 気が付くと、アリスは深い深い森の中にいました。 そこは、魔女の森。 折角物知りの芋虫が怖いところだと教えてくれたのに、アリスは迷子になりました。 回りを見渡しても、来た筈の道は無く、空には猫の目のような三日月が浮かんでいます。 帰らなくちゃ。 アリスはがむしゃらに、森の中を進みました。 根っこに躓きながら、棘に引っかかれながらアリスは走りました。 走って走って、走り続けて。 アリスは大きな扉の前に着きました。 扉の前には、男の人が立っています。 身なりのきちんとした、背の高い男の人。 その人こそアリスが探していた誰かです。 アリスが恋した誰かさん。呪いを解きに来てくれたのかしら? 「アリス、君はもう子供じゃないんだ」 誰かが悲しそうに言いました。 その言葉を聞いて、アリスは自分の瞼がゆっくり閉じていくのがわかりました。 「さよならアリス、愛していたよ」 嗚呼、その言葉だけは聞きたくなかったのに。 アリスの頬から、一筋の涙が溢れ落ちました。 † 「お母さま、何の夢を見ていたの?」 目が覚めると、可愛いおちびさんが目をきらきらさせていました。 可愛い可愛い私の子。 そっと膝に抱き上げました。 「私が、アリスだった頃の夢よ」 「変なの。お母さまはアリスでしょう?」 おちびさんは真ん丸の目を不思議そうに開いています。 それが今の私にはできないことで、少し悲しくなりました。 「それはね、私が不思議の国のアリスだった頃のお話なの」 私が少女じゃなくなった日の思い出。 私が恋の苦さを知った経験。 それでもあの頃、 私は確かにアリスだった。 † はつかねずみがやってきた。 これではなしはおしまい。 ← |