クリック? クラック! † 昔々のお話です。 あるところに名無しの乞食がいました。 その乞食は小さな女の子でありましたが、施しをしてくれる人もなく、ただ飢えに苦しむばかりでした。 やがて季節は冬になり、その乞食の少女は身を寄せる家も無く、雪の積もった冷たい道端で眠るようになりました。 少女は、痛む胃とかじかむ足を抱きながら、たくさんの夢を見ました。 一番目の夢は、碧く透き通った海の夢でした。 少女はそこで可愛らしい人魚のお姫様になって、素敵な王子様と恋をするのでした。 しかし、ある満月の夜に突然身体が溶け出して、麗しい声をあげる間もなく、海の彼方へ泡となって消えてしまいました。 二番目の夢は、荒野に建つ、立派な塔の夢でした。 少女はそこで長く美しい髪を持つお姫様になって、魔女によって塔の中に閉じ込められるのでした。 しかし、ある日王子様と密かに会っていたことが魔女に知られ、金色の綺麗な髪と一緒に、首を鋏で切られて死んでしまいました。 三番目の夢は、暗い森の中を歩き続ける夢でした。 少女はそこで、貧しい兄妹の妹になって、兄に手を引かれながら魔女のお菓子の家に辿り着くのでした。 しかし、魔女に捕まり、泣き叫ぶ間もなく、真っ赤に燃える竃の中へ放り込まれて死んでしまいました。 四番目の夢は、絢爛豪華なお城の夢でした。 少女はそこで硝子の靴を履いたお姫様になって、王子様と一緒に一夜を踊り明かすのでした。 しかし、十二時の鐘が鳴り、階段を急いでかけ下りて、足を滑らせ頸の骨を折って死んでしまいました。 五番目の夢は、深い森の小さな小屋の夢でした。 少女はそこでとても麗しいお姫様になって、七人の小人達と仲良く暮らすのでした。 しかし、訪ねて来た魔女の持ってきた、真っ赤な毒林檎を食べて血を吐いて死んでしまいました。 目が覚めると、元の冷たい雪の上でした。 夢の中で、少女は折角名前を持つことが出来たのに、誰にも名前を呼ばれていないことに気付きました。 ああ、次こそは良い夢が見られますように。 そう思いながら、少女は再び目を瞑りました。 最後の夢は、真っ赤な玉座の夢でした。 少女はそこで、誇り高き美しいお姫様になって、国の頂点に君臨するのでした。 しかし、豪華な生活に飽き飽きした少女は、お城の外へ逃げ出します。 不思議な森を抜け、お茶会に紛れ込み、あちこちで素敵なこと、ものにたくさん出会いました。 やがて、遊び疲れて野原で眠っていると、少女を呼ぶ声がしました。 少女のお城のハートの騎士が迎えに来てくれたのでした。 少女は名前を呼ばれた喜びを噛み締めながら、騎士に手を引かれながらお城へ帰って行きました。 そう、少女にはもう名前があるのです。 少女の名前はアリス。 この世で一番美しくて、無垢な少女の名前です。 そして、少女の夢は永遠に醒めることなく、雪の上に横たわったその亡骸はいつしか灰となり、やがて真っ赤な名も無き花が一輪咲きました。 名も無き乞食の少女の話はこれでおしまい。 ← |