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クラック!

とある王国の、北のはずれのずっとはずれに、魔女の住む森がありました。
そこに住む魔女の顔には、紫水晶のような目が一つあるだけで、口や鼻の凹凸が無いつるりとした平面でした。
魔女は長い間顔が欲しいと願っていましたが、他人からそっくりそのまま奪おうにも、魔女の気に入るような綺麗な顔は見たことがありませんでした。
たまに魔女の元を訪れる人々の中にも、綺麗な顔の人はいましたが、魔女は何と無くこの穏やかで善良な人々から無理矢理顔を奪う気にはなれませんでした。
私は一生顔を持たぬのだろう、と魔女が諦めかけたある日、薬を貰いに魔女を訪ねたある男から、自らの顔を嘆いてばかりいる貴婦人の話を聞きました。
何でも、その貴婦人は世にも醜い顔の持ち主で、それを厭うて屋敷から一歩も外に出ず、その上、その醜さから夫を亡くしたというのです。
魔女はこの話を聞いて、もう立ってもいられなくて、すぐに支度をすると、夜の帳の降りた中、その貴婦人の元へ向かいました。

魔女は街へ着くと、道端で休んでいた蛙に「貴婦人の屋敷はどこにあるのか」と聞きました。
蛙は、「静かな泣き声か聞こえてくる屋敷がそうさ」と答えました。
確かに、耳を澄ますと女のか細い泣き声が、風に紛れて聞こえました。
魔女はひょいと一飛びして貴婦人の屋敷に辿り着くと、音も無く貴婦人の部屋へと忍びこみました。
貴婦人はベッドに突っ伏して啜り泣いていましたが、魔女が薄暗がりに隠れて「どうしてそんなに泣いているんだい」と尋ねると、顔を上げてのろのろとあたりを見回しました。
驚くべきことに、その顔は醜さとはかけ離れた、震え上がるような美しさでした。ブロンドのゆるやかな巻き髪に、薔薇色の頬と蕾の唇、それから冬の湖水のように澄んだ瞳を持つ、彫像のような美貌の女でした。
たとえ醜い女でも、鼻や口の一つくらいなら人並みであるだろう、と考えていた魔女もこれにはさすがに驚きました。
貴婦人は魔女の姿を見つけても大して驚かず、「私があんまりに醜いので泣くのです」と言いました。
魔女はこれはしめた、とばかりに優しく囁きました。「それなら、お前の顔を私におくれ。そうすれば醜さなど、気にならないだろう」と。
けれど、貴婦人は目を大きく開けて驚くと、真剣な顔で「おやめなさい。こんな醜い呪われた顔など、貴方に差し上げるわけにはいきません」と言った。
「それならば、お前のその目だけでいい」と魔女が言うと、貴婦人は「この目があんまり醜いせいで、何人もの男性が寝込みました。こんなものを差し上げるわけにはいきません」と返し、また、魔女が「それでは、お前のその鼻だけでいい」と言うと、「この鼻があんまり醜いせいで、道行く人々が指さし、ため息をついて噂するのです。こんなものを差し上げるわけにはいきません」と返しました。
最後に魔女が「ならば、お前のその口だけでいい」と言うと、「この口があんまり醜いせいで、街を歩けば人々がじろじろと笑いながら私を見るのです。こんなものを差し上げるわけにはいきません」と返しました。
そして貴婦人は、「私の顔の醜いせいで、夫はこの屋敷で行った夜会の途中、朋友に殺されました。それもこれも、私の顔が月並みでないからなのです。もう私の顔が見るに耐えないことは、十分に分かっています。これ以上哀れな私をお笑いになるのなら、どうかもうお帰りになって」とまくし立てると、またベッドに伏して、わっと泣き出しました。
魔女はちょっとの間、この貴婦人の顔を奪おうかと悩んでいましたが、やがて、この顔があんまり欲しくなくなってしまいました。
憑かれたように泣きじゃくる貴婦人を、魔女は一つしかないその目で、少しばかり悲しそうに見つめました。
顔などなくても、魔女は少なくとも、この貴婦人よりは幸せでした。
暫くの間、魔女は貴婦人を悲しい目で見つめていましたが、ふくろうの声が一つ聞こえたので、さっさと屋敷を後にして自分の家へと帰りました。
その後、魔女は顔を持たないまま、元の通り、静かに平穏に暮らしました。
不思議なことに、魔女の森を通る旅人たちの間では、時折風の強い日の夜、女のか細い泣き声が、森に谺するという噂が広まったといいます。


はつかねずみがやってきた。
これではなしはおしまい。




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