寒さも一段落し、芽吹きの季節がやってきた。 目に見えないけれど、風の中には微かに春の匂いが混じる。 久しぶりに買い物に出かけた帰り、道端を見ると蒲英公が咲いているのが見えた。 幼い頃は蒲英公の綿毛を吹いて遊んだりしたが、今はさして目も止めぬ。 ゆっくり見られるようになったのは此処に移り住んでからだろうか。 全く皮肉なことだと苦笑してしまった。 その時誰か私の袖を引く者がいた。 もしや雪かと振り向くと、其処には見知らぬ童女が立っていた。 梔色の振袖を着てにこにこと笑っている。 近隣に家は無いが、越して来たのだろうか。 名前を尋ねたが、童女は微笑んだまま喋らない。 何処から来たのかと問うと、ようやく口を開いた。 「吾が名を答へよ」 そう明るい声で言うと、童女はくすくすと笑いながら私の家へと入っていった。私は急いで家へと駆けたが童女は見つからない。 庭をぐるりと周り蔵の前に来た所で、雪が散歩をしているのが見えた。 雪に童女を見ていないかと聞くと、きょとんとした顔で見ていないと言う。 もしや私が見たのは幻覚だろうか。 そう思ったがあれからは悪い気配がしなかった。 ならば木やら花やらが化けたものであろう。 私はそのままもう一度庭へと向かった。 視界の端に頬を膨らませた雪の姿が見えたが今は仕方ない。後で事情を話そう。 庭に着いたは良いが、童女はまだ見当たらぬ。 この家の庭は広い。 草深い所にでも潜られたら見つけられない。 悪いものではないと分かっていてもやはり気にはなる。 がさがさと歩き回って、ようやく草の短い場所に出た。 ふと見ると童女は其処で鞠を突いている。口ずさむ歌は聞いたことが無かった。 童女は私に気付くと再び、吾が名を答へよ、と言った。 考え無しに童女を追った私が悪いのだが、この問いの答えが皆目分からない。 樹木の精と決め付けていたが、もし違ったらどうなるのだろう。 喰われるのかもしれない。 己が抱いた考えに背筋が震えたその時、足元で犬の鳴き声が聞こえた。 尻尾を振りながら、黒い子犬が足の回りをくるくる回っている。 混乱した。 今はそれどころでは無いというのに。 しかしその子犬がくわえている花を見て閃いた。 「蒲英公」 そう呟くと、童女はくるりと回り、微笑みながら消えていった。 満足そうな顔であった。 きっとこれは遊びのようなものだったのだろう。 蒲英公の神というのがいてもおかしくはないなあ、と呟くと子犬は一声、わん、と吠えた。 ← |