十五分ばかり走ると、車は立派なビルディングの前で停まった。
箱とこの建物との関係を見出だせないまま、こんなことならもっと上等なものを着てくれば良かった、と要らぬ後悔をした。
しかし、榊は目の前の建物には目もくれず、その脇の細い路地へと向かって行った。
暫く歩くと華やかなる近代建築は息を潜め、前時代の名残が残る長屋と幾つかの一軒家が現れた。そこら中に暗い目をした人々がたむろしている辺り、治安はあまり良くないのだろう。
物騒な視線が此方に向けられるのを意にも介さず、榊は迷い無く一軒の古い家の前に辿り着くと戸を叩いた。
少しばかり斜めに傾いだ一軒家は、周りの家家や長屋よりは幾分立派に見える。しかし修繕の必要はあるようで、がさがさに乾いた戸には、何故か半紙程の大きさの紙が貼ってある。見ると、枯れ木の下でしゃれこうべが踊る奇妙な絵であった。
走り描きではあるが味のあるその絵に見入っていたその時、突然目の前の戸が開いた。
薄暗い室内にぼんやりと浮かび上がるように、細身で背の高い男がそこにいた。
「おや、写真館の先生」
青い女物の長襦袢に色の抜けた羽織を引っ掛けたその男は、不機嫌そうな顔で、声ばかりは何処か楽しそうにそう言った。
此方を見つめる爬虫類じみた三白眼と先生、という呼び方に私は覚えがあった。化野枯木と言う名の、先日私の写真館を訪れた客である。画家をしていると聞いて、私と同じく油絵をやると思っていたが、どうやら違うらしい。
「まさか、先生もいらっしゃるとは」
「枯木、雑談がしたい訳ではない」
化野の格好を見て苛立ったのか、榊は鋭い声で言った。
「はいはい、用意は出来ていますよ。どうぞ上がって下さい」
用意とは何だろう、と思ったが、促されるまま家の中へ入ると、一間だけを残した大きなぶち抜きの座敷に通された。絵皿や紙、絵筆、馬連があちこちに散らばっている。
描きかけの絵も無造作に放ってある。しかし、思いがけなく目に入ったその絵は驚くべき内容であった。
それらは歌川国芳や葛飾北斎、月岡芳年などの浮世絵の大家の紛れも無い贋作であった。その他、一通りの有名な日本画だけでなく、洋画と思われるものも何点かあった。
「き、君!これは、い、一体」
「贋作ですよ。実入りが良いんです」
化野は此方を見ようともせずに言った。悪びれもしない態度に、私は嫌悪を覚えた。
「し、しし、しかしだね……」
榊の知り合いだというだけで、私はこの男を確かな人物だと思い込んでいたようだ。まさか、このような詐欺師紛いの男だったとは。
「谷口さん。この男はそういう生業なんです。本来なら貴方の関わるべき人間じゃない」
榊は責めるような眼差しを化野に向けた。その視線を感じ取ったのだろうか。化野は背中を向けたまま、大袈裟に肩を竦めて見せた。
私は親子ほど年の離れた化野と榊が、何故知り合いであるのか、幾つか考えを巡らせたが、決定的なものに辿り着くには至らなかった。
「まあ、貴方が俺をどう思おうが関係はないんです。今は、これをどうにかしなくては」
そう言いながら、いつの間に手にしたのか、傍らに置いた黒い箱を軽く叩いた。こんこん、と木の軽い音がする箱からは、あの生臭さは消えているようだった。
化野は蛇の如き目をぐいと近付けて箱を検分している。箱を触る化野の手の甲から腕にかけて、黒々とした、これまた蛇に似た痣がうねうねと続くのを見つけてしまい、思わず目を逸らした。何となく、見てはいけないもののような気がした。
化野は暫く箱を弄ると、成る程、と呟いた。
「厄介なものだということは分かったが、どのようななものかは分からない」
「それでは困る」
「では、もっとよく調べましょう」




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