※ 翌朝、朝食を断って礼もそこそこに化野の家を後にした。榊が車を出してくれると言ったが、それも丁重に断った。何故だか誰とも話をしたくないような、厭世的な気分であった。 玄関を出て朝日を浴びても、鬱屈した心情は晴れなかった。得体の知れぬものが現れない安心感はあったが、昨日の闇を私は忘れられなかった。 ぶらぶらとしばらく歩いて車を拾い、家に帰ってから、近くの銭湯へ行った。温かい湯に浸かって、漸く私は現世に戻って来たような気分になった。 それから、近くの安食堂へ行って柄にもなく、がつがつと飯を食った。腹がくちくなると、まだ化野に尋ね損ねた色々のことを思い出した。 化野自身のことや、あの蛇の痣のこと、榊との関係や、斎と百目鬼についても、私はまだ何も知らない。知りたいとは思う。だが、知るべきだろうか、とも思う。 要するに、私の今の心情は彼等に因るところが大きいのだった。関わるべきか、関わらざるべきか、私は悩んでいる。 厄介な連中であることは分かりきっている。今回のことも、私の意志で関わっている訳ではないのだ。もしこれからも付き合いを続けるのなら、私も何らかの厄介事に巻き込まれる覚悟をしなければいけないだろう。 私にとっての利益など微々たるものだろう。寧ろ、損をすることの方が多い筈だ。 それでも、私は彼等のことを知りたいと思ってしまう。平々凡々たる人生を歩んで来た私にとって、彼等は霹靂のように思えた。恐れと、一種の憧れを感じるのだ。関われば損をする、だが関わらなければ、私は今まで通り起伏の無い人生を送るのだろう。 私は結局自分の意思を決められずに、否、決めることを放棄して、日常に戻ることにした。だらだらと考えた所で、答えは出ないのだ。 来た時と同じように、ぶらぶらと歩いて写真館へ帰った。心なしか、少しだけ気分が晴れたように感じた。 扉の鍵を開けようとして、ドアの手に紫色の風呂敷包みが結わえてあるのに気が付いた。少し躊躇って、意を決して包みを解いた。中身は何の変哲もない茶封筒と、表書きに私の名がある書簡であった。 書簡の中には、迷惑料につき返還無用、と癖の強い筆でただ一言書いてあった。 確かに、茶封筒の中には一円札が三十枚が入っていた。差出人の名は無いが、化野以外に考えられないので、名目通りあの件に関する迷惑料ということだろう。 しかし、あの襤褸の一軒家の何処にこんな金があるのだろう。真っ当な金で無いことは確かなので、少々複雑な気分になった。つくづく、おかしな気の使い方をする男だと思った。 私は結局この時、化野という男の性質をよく見抜かぬまま、唯々諾々と運命というやつに従うことを選んでしまった。 この選択が正しかったのか、間違っていたのかは、今になっても判断出来ない。 ただ一つだけ言えることは、この事件はほんの始まりに過ぎず、世相というものの暗い部分を、嫌と言うほど見せ付けられる契機だったと言うことだけだ。 私はこの件に関して後は何も言うことは無い。後日談があるとすれば、あの黒い箱の中の首は、何故か灰になっていたということである。 (了) ← |