次に目を覚ました時、真っ先に飛び込んできたのは、私の顔を覗き込む百目鬼の真ん丸の瞳であった。
私は硝子の如きそれに驚いて、飛び起きた拍子に百目鬼と互いの頭をしたたかに打ち付けた。ごつん、と鈍い音がしてぐらぐらと頭が揺れた。百目鬼は額を押さえながら、痛いじゃないのよっ、と金切り声で叫んだ。
「もう、慌てると体に悪いわよ」
涙目になりながらも、百目鬼は濡らした布を私の額に押し付けてきた。傍らには斎もいて、心配そうに――相変わらずその瞳には黒い布が巻かれていたが――此方を見ている。
「き、き、君は何で此処に」
「何って、手伝いよ。化野さんに頼まれたんだもの」
耳に心地好いテノールに揺さ振られて、燻るような頭痛に紛れていた記憶がぼんやりと思い出された。
箱の中身、生臭い腐臭、襲い掛かる狼、腹を波打たせる大蛇。全ての光景が走馬灯のように頭を駆け巡り、私は思わず胃の腑がせり上がってくるのを感じた。我慢出来ずに再び、胃の中身を全て吐き出した。
百目鬼がすんでの所で、小汚いバケツを差し出してくれたので、先程のような粗相はせずに済んだ。斎がそっと背中を摩ってくれるのがいじらしい。
右腕を見ると、痣は綺麗に消えていた。ほんの些細なことだが、情けないことに、私の目からは涙が零れた。漸く終わったのだ。時間にしてみればたった二日の出来事だったが、ひどく長く感じた。
気分が落ち着いて来ると、体から力が抜けていった。不惑を幾つも越すと、体力も無くなっていく。元のように畳に寝ていると、視界の端に化野の姿が映った。平生とさして変わらぬ、仏頂面で此方を見ている。
「お加減は」
「こ、これで健康に見えるのかね」
私は柄にもなく皮肉を口にしてしまった。化野の右腕に蛇の痣が見えたからだ。私の視線に気が付いたのだろうか。化野は此れ見よがしに、痣をぐいと私の目前へと押し付けた。
「恐ろしいですか」
私は何も答えなかった。化野の眼は相変わらず爬虫類じみていた。
「俺はこの腕に蛇を飼っていましてね。生まれた時からあるのだが、ここ十年は育っていないのを見ると、もう成長しきったのでしょう」
「こっ、子供の頃からあるのかね」
「ええ。それで随分嫌な思いもしましたよ。こいつの所為で家も勘当されましたし、本当に厄介な奴です」
だが言葉とは裏腹に、化野は心から愛おしそうに痣を撫ぜる。
「しかし、捨てる神あれば何とやらと言いましょう。俺と榊さんの縁は、こいつが繋いだ様なものですよ」
榊の姿は座敷に見当たらない。人の気配はするから、この家の何処かにいるのだろう。
「先生を騙していた訳では無いですが、実はこの箱、榊さんから処分しろと言われていた代物でしてね。まさか、先生がお持ちになっていたとは」
化野は驚くべき事実を白状した。私が此処を訪れる前に、あの箱の存在を知っていたのだった。
「し、知っていて、黙っていたのか。わ、わ、私はその箱の所為で……」
「これが一番良い方法だったんですよ。正体が良く分からぬモノは、正体を見分けなければ。そのまま放っていたら、先生も、こう、なっていたでしょうから」
指で首元を切る仕種をしながら、化野は脅すように言った。私は救われたのか、嵌められたのか、よく分からぬまま、腹立たしい気分を抑えた。





×
「#幼馴染」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -