それは、巨大な狼の姿をしていた。体毛は蝋を塗ったようにてらてらと輝き、作り物のような印象を私に与えた。何故か四本の脚は奇妙に捻れていて、かくかくと不自然な動きで歩いた。眼球があるべき場所にはただ暗い闇が広がるのみで、ぽっかりと空いた穴からは血のようなどろどろしたものが定期的に滴り落ちていった。腐臭のようなあの臭いはどうやら、その眼窩から生じているようだった。

べちゃり、と音を立てて名状しがたきものが箱の近くに落ちた瞬間、私はその異様さに思わずひっ、と短く声をあげてしまった。
それは呼吸音に等しい程細やかなものであったが、獣の耳には私が発した声だと認識されたらしい。
蝋細工のような狼はまるで人のように口角を歪ませ、悪意を含んだ笑顔を浮かべた。
私が自らの失態を反省する前に、獣は一足跳びに私の鼻先までやって来ていた。ああしまった、と思った瞬間には、毒瓦斯のような臭気が私に襲い掛かってきた。箱の獣は確かに実体を得たようであった。今まさに、牙の並ぶ口を軋ませながら大きく開け、私の魂を一呑みにしようとしている。堪らず、私は目を強く閉じた。
その時雷鳴のように私の頭にある光景が思い浮かんだ。私が撮影した、例の心霊写真である。私が今この獣に食い破られたのなら、きっとあの写真のようになるのではないかと思った。存在を取って代わられるのだろうか。皮一枚の下の全てを、舐めるようにあの牙に持って行かれるのだろうか。
そんな下らないことを考えた丁度その時、狼は突然動きを止めた。恐る恐る目を開けると、どうにか捻れた四肢を動かそうと藻掻く獣の姿が目に飛び込んだ。
狼が動けない理由は、明らかであった。大人の胴回り程の太さの大蛇が、その首筋に深々と噛み付いていたからだ。墨色の身体を波打たせ、蛇は骨も皮も全てを咀嚼しているようだった。狼の首筋から白い骨と腐った色のはらわたが見えた時、私は堪えきれずに嘔吐した。
胃の腑の中身を残らず吐き出してから、漆黒の蛇の長く長く伸びた身体の秘密を知った。何の前触れもなく、巨大な蛇が座敷に現れた種明かしである。
化野の此方を指差し伸ばしたその腕に、何処か官能的に絡み付いている。その蛇の尾は、否、身体の半分は化野の右腕にあったのである。化野のあの痣から浮かび上がるようにして、目の前の大蛇は化野の皮膚から実体へと変じたのであった。
私はこの世のものとは思えぬ光景を、何故だか目を逸らすことも出来ずにじっと見詰めるしかなかった。
化野は一切の感情を排して、ただ静かに座ったままこの悍ましい光景を見ている。私の隣にいる榊も、堅く目を閉じたままである。彼等は恐ろしくないのだろうか。私の思考は混乱した。ばきばきと骨を砕く音が、私の頭を引っ掻き回す。これが本当に現世の出来事なのか、私には判断出来ない。大蛇は遂に、獣の身体を一欠けらも残さず呑み込んでしまった。
満足げにぺろりと舌を出した大蛇の、鬼灯のような眼が私を真っ直ぐに捉えた時、漸く視界が真っ暗になるのを感じた。
やっと、この恐怖から解放されるのだ。私はその幸福を噛み締めながら、闇の中へと意識を沈めた。






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