「お前はどうするんだ。どう始末を付ける」
榊の言葉に、化野は加虐的とも言うべき笑みを浮かべた。私の初めて見る、この男の凄絶ですらある笑みであった。
「文字通り喰いますよ。箱は言わば餌ですからね」
楽しげに喋る化野の口中に二股に分かれた赤い舌が覗くのが見えて、私は思わずぞっとした。
「さて、来たようだ」
化野は私の視線から逃れるように顔を背け――実際には玄関の方を見たのだが――そう呟くと、足元に置いた筆を取り、私の右腕の痣に円形の模様を描いた。
「これは、な、何だね」
「まじないですよ。持って行かれないように」
化野は物騒な言葉を置き去りにして、さっさと箱の前に行き、そのままどかりと腰を下ろした。
私は未だに何のために此処にいるのか、理解出来ずにいる。榊も化野も、何故こんなに平然としていられるのだろう。
そんなことをぼんやりと考えた瞬間、がたがたがた、と何かが激しく鳴る音がした。まるで、木戸に何かが体を打ち付けているような音だ。それと同時に、何処からともなく、あの生臭い臭いが漂ってきた。加えて何かに呼応するように、右腕の痣がひどく痛み出した。
呻きが漏れそうになったが、化野の忠告を思い出し、必死で堪えた。
がたがたという得体の知れない音は暫く鳴り続けた後、突然ふっと途切れた。思わず安堵したが、今度は何かが床を歩く軋みが聞こえてきた。まさか来客だろうか。そんな訳がなかった。この音を発しているものこそ、化野の待ち受ける箱の中身なのだろう。
床に爪が当たるかちゃかちゃという音に交じって、時折壁に何かがぶつかる音が響く。何を探しているのだろうか。余程私達に近付いて来たのか、荒い息の音と唸り声も交じるようになってきた。
痣は先程よりもひどく痛む。気を抜くと、刃物で刺すような痛みが走った。並行して頭痛と吐き気も襲って来る。私には見えないが、何かが近付いて来ている証拠だろう。榊はそれを、確かに目で追っていた。
爪を立てて走る獣はもう座敷に入って来たようだ。鼻を付く生臭さは一層強くなり、さくさくと畳の上の半紙を踏む四つ足の姿が頭に浮かぶようだった。右腕に視線を移すと、痣はさっきよりも広がっていて、鈍く重い痛みが指の先までずきずきと伝わった。天井をちらりと見遣ると、真っ白な幣が風も無いのに小刻みに揺れている。
私が悲鳴をあげなかったのは、ふうふうと獣の息をつい鼻先で感じたからだ。叫んだら一口に飲み込まれる予感が、辛うじて私を救っていた。吐き気も、恐怖に鳴る歯の根も、震える体も、ただ一切を抑えることだけに私は全力を注いだ。
やがて獣は私から遠ざかったが、まだ辺りをうろついているらしい。見えない足音と壁に体をぶつける音が、一定の間隔で座敷に響く。
ぐるぐると歩き回る音が止み、次にがりがりと何かを引っ掻く音が響いた。何を破ろうとしているのだろう。見えない獣は唸るだけではなく、吠え始めた。相変わらず生臭さは消えず、一層強くなったようだった。
部屋の中心にある箱が振動しているのを見て、それは化野の描いた円を破ろうとしているのだと、私はやっと理解した。
爪を立てる音はやがて、体当たりの鈍い音に変わった。狂ったような獣の努力は実ってしまった。何かが爆ぜるような空気の流れを感じた瞬間、天井から吊された幣は焼き切れるようにして落ちて来た。

その時、私は目を閉じたままでいれば良かったのだ。舞い落ちる白い紙の隙間に、それを見ようとしなければ良かったのだ。しかし何故かその一瞬は、恐怖も痛みも、何もかもの苦痛を忘れて、ただ何が起きたのかを見てみたいと思ってしまった。





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