頭の中でぐるぐると、写真と箱が絡み合う。夢とも現実ともつかない想像の中で、私は箱を持っている。古い木製の、真っ黒な箱だ。時折、生臭さが鼻を掠める。箱の中身は何だったか。そうだ、獣の頭だ。蝋細工のような質感を持った、忌まわしい灰色の首だ。恐ろしい。私はあの真っ暗な眼窩を見てしまった。嗚呼。あれはきっと、ぽっかりと空いた黄泉の穴だ。ヒトの覗き見るものではない――。
「先生、谷口先生」
頭上から化野の声が降り懸かり、私は漸く我に返った。さっきまで私が見ていたものは幻覚だったのだろうか。
「お加減が優れないようですが」
「い……いや、何でもない」
「くれぐれも、場に呑まれてはいけませんよ」
それだけ言い残して、化野は再び何かの準備に取り掛かった。いつの間にか奇妙な文が描かれた紙が、部屋の四方の壁に貼られていた。読もうと努力をしてみたが、そもそも日本語とは思えぬ文字がのたくっていたので諦めた。
懐から時計を出して見ると、午後の四時を少し回った所であった。いつの間に、そんな時間が経っていたのだろう。しかし人間とは浅ましいもので、現世の時間を認識した途端、私の腹はぐう、と音を立てた。
そういえば目覚めてから何も食べていなかった。だが、腹の音を鳴らすなど、まるで子供のようではないか。誤魔化しに眼鏡を外してレンズを磨いてみたが、追い撃ちのように再び腹が鳴った。隣では榊が笑いを堪えている。私は忽ち赤面した。
化野は表情を変えずに何処かへ行き、暫くしてからまた戻ってきた。その後ろには、壁を伝って左足を引きずりながら歩く斎の姿があった。座敷の円を崩さぬよう、そろそろと不安定に足を運ぶ姿が、私の目には哀しく写った。斎の片足が不自由であることを、私はこの時に初めて知った。
斎は倒れ込むように私の膝にもたれ掛かると、片手に持っていた包みを私に差し出した。中身は小さな握り飯であった。
「斎は先生のことをいたく気に入っているようですよ」
化野は声ばかりは嬉しそうに言った。私はこの時分まで子供というものを為さなかったが、確かにこの瞬間、私を思いやるこの幼子に愛しさを感じた。
「ありがとう、斎」
私が礼を述べると、斎は照れ隠しに袂で顔を覆った。あどけない仕草に、私の顔も緩んだ。
だが、斎の瞳を覆う黒い布と動かない左足を思うと、胸がきりきりと痛んだ。この子は化野の何なのだろう。当然問うべき疑問が頭に浮かんだが、何故か今は聞くべきではないと思った。
「斎、お前は彼方で待っておいで」
何かの時機がやって来たのであろう。窓の外をちらりと見ると、化野は斎を抱え上げて奥にある座敷へと連れて行った。斎は大人しく抱えられながらも、心配そうな様子で私を見た。斎はこれから何が起こるのか分かっているのだろうか。
化野は座敷の中に斎を入れると、閉じ込めるかのように、襖に半紙で封をした。同じように私達がいる座敷の窓や襖にも札のように貼った。
そして何処かへふらりと消えると、あの黒い箱を持って戻ってきた。そのまま箱を部屋の真ん中に置くと、先程の半紙を何枚も貼り付けて、表面を覆った。
化野は一連の作業を終えると、溜め息を一つついて、私と榊の方へ向き直った。
「準備は出来ました。もうすぐ此処にあれが来ます。ただ、言葉を発しなければ、見付かることは無いでしょう」
私はその言葉を聞きながら、喉がひとりでにごくりと鳴るのを感じた。恐怖しているのだろうか。だが、訳の分からない現象が起こることを何処かで期待する自分もいる。私は目の前に立つ男に毒されているのだろうか。





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