「そんなに叫ばなくたって聞こえるさ、馬鹿」
「馬鹿って何よ。ちゃんと連れて来たじゃないの」
「分かった分かった。もう帰っていいぞ」
「ふん、冷たいのね。言われなくても帰りますったら」
それじゃあね、と私に手を振りながら百目鬼は隣の家に帰って行った。
私と接する時よりくだけた口調で話す辺り、案外の仲は良いのかもしれない。
「騒がしくって、すみませんね。俺はどうしてもこの場を離れられなかったもので」
「い、いや、とんでもない」
百目鬼と化野の関係について聞きたいと思ったが、それよりも私が今此処に呼ばれた理由について知る方が先だと思い返した。
「そ、それより、何故君は私を呼んだのだね」
「何って昨日の続きですよ。祟りを祓うのです」
表情を少しも変えずにそう言うと、化野は私に家の中へ上がるよう促した。
「君、まだ言ってるのかね。そんなものは……」
「オカルト、ですか。そうですよ。そういった領域のものですから」
「わ、分かっているならもう」
「しかし、オカルト全てが紛い物という訳ではありませんよ。少なくとも、今回は紛れも無い本物だ」
「わ……私は信じない。とても信じることは出来ぬ」
急に、廊下を歩く化野はくるりと振り向いて、あの爬虫類じみた目で私を真っ直ぐに見据えた。
「信じないと言うならば、貴方が実際に見たあれは何なのでしょうね」
「て、手品に決まっている」
「ならば、そう信じるのも構いませんが、今日だけは気をしっかり持たないと」
死にますよ、と呪詛のように呟いて、化野はさっさと座敷へ向かった。訳もなくぞくぞくとした悪寒に襲われて、私も慌てて後を追った。
昨日乱雑に散らかっていた座敷は、今は全く姿を変えていた。
あちこちに放り出されていた描きかけの絵や筆は何処かへ仕舞われ、代わりに真っ白な半紙が床一面に敷き詰められていた。煤けた天井を見上げると、注連縄が四角く張り巡らされ、大小の幣が垂れている。
「おっと、円を崩さないで下さいよ」
いつの間にか襷掛けをした化野が、硯と筆を片手にそう言った。袖からのぞく右腕の痣は、まるで大蛇のように思えて、私の根源的な恐怖を煽った。
足元を見ると、真っ白に見えた半紙には文字とも記号ともつかない模様が小さく書き込まれていて、離れて見ると部屋の中心を囲む巨大な円を形作っているようだった。
「部屋の隅に座布団がありますから、其方へどうぞ」
私は押しやられるようにして其処へと腰を下ろした。
座敷に入った時は気が付かなかったが、隣には武士の如く背筋をぴんと伸ばして座る榊がいた。軽く会釈をすると、榊は目元をふっと緩めた。
「この度は私が巻き込んでしまったようなものですね。本当に申し訳ない」
年上であろう榊に頭を下げられ、私は慌てた。
「そ……そんなことは、あ、頭を上げてください」
「いえ、私が箱について触れなければ、貴方はあの男と関わることは無かった。それを歪めたのは私です」
それは私への謝罪なのだろうか。榊の言葉はまるで、私の運命自体を危惧するような口振りであった。
「あの男とは……あ、化野君のことですか」
「そうです。谷口さん、あれに深入りしてはいけません。あの男は薬にはなるが毒にもなる」
予言めいた言葉をぽつりと零し、榊は口を噤んだ。
私は訳もなく不安になった。もしかしたら私は、踏み入れるべきではない領域へと入り込んでしまったのではないか。誰のせいだ。何が契機だったのだ。





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