「あ、化野君がどうしたんだね」
「あたしはよく事情を知らないけど、お連れするよう言われたの」
百目鬼はぽってりと厚い唇を尖らせて言った。
思い当たることは箱の一件しかないが、これから起こるであろうことを考えると、じくじくとした頭痛が振り返してきた。
しかし、よりにもよって何故この青年を使いに寄越したのだろうか。その疑問が表情に出ていたのだろうか。百目鬼は私の考えを見透かしたように言った。
「化野さんには昔お世話になって、今は隣の家に住んでるの。だから時々、こういう胡散臭い用向きの手伝いをしてるのよ」
あの怪しい男に世話にとなったということは、彼女、いや彼自身も相当に事情がありそうだ。まあ、このような格好をしている以上、それは容易に察せられるのだが。
「さ、早く仕度して頂戴よ。あたしが怒られちゃう」
百目鬼はくだけた様子で私を急かすと、写真館はおろか私の寝室まで上がり込んであれこれと指図をしてきた。成る程、ネクタイの柄一つまで一々気にする細かさは、確かに女人の性格である。
結局円タクを捕まえて乗り込んだのは、百目鬼の来訪から一時間が経った後であった。百目鬼のせいで出発が遅れた気はしたが、それは言わないでおいた。
うだつの上がらない中年男と欧米人のように大柄な若い娘――本当は男だが――の取り合わせは、運転手の目にはどう映ったのだろう。運転手は一瞬ぎょっとした顔をして、慌てたように愛想笑いをするとさっさと目を逸らしてしまった。後々何処かの安酒場で、私達の話が肴になるのだろうと考えると、暗澹たる気分になった。
だが、百目鬼は私の心情を察しようともせず、男の声音で私に話し掛ける。運転手の男がバックミラーで私達の様子をちらちらと伺うのが、また私の神経を逆撫でした。
「それにしてもまあ、君はよく喋るもんだ。まるで女のようだね」
「女のようではなくて、本当に女、よ」
当てつけた言葉もこのように明朗に返されては形無しである。
「何だねお兄さん、最近流行りの、ほれ、女装男娼とかいうやつかね」
百目鬼の様子を見て、好奇心を抑え切れなかったのだろう、運転手がからかうようにそう言った。
「失礼ね。男娼な訳ないでしょう。そんな人達とは一緒にしないでよ」
流石にこの不躾な言葉にかちんと来たらしい。百目鬼はミラー越しに運転手を睨んだ。
「そ、そうかい。そりゃ、失礼しましたね」
威嚇するような低い声に怯えたのだろうか、運転手はそれきりもう此方に声を掛けることはなかった。
「し、しかしね、私は君という人間が、まだよく分からないよ」
車内に漂う沈んだ空気をどうにか打破しようと、私は出来るだけにこやかに、百目鬼に小声で告げた。
すると、百目鬼も不機嫌な表情をふっと崩した。
「あたしは魂と身体がちぐはぐなんですのよ。悲しいことだけれど」
そう言った瞬間の微笑が本当に悲しそうだったので、私は思わず目を伏せてしまった。彼には私などが思いもよらない苦悩があるのかもしれないと思ったからだ。
「あ、運転手さん!ここで下ろして頂戴」
そうこうしている内に、化野の家の近くまで来ていたらしい。窓から見えるビルディングが立派な程、気分が沈む。しかしそんなことはお構い無しに、百目鬼は私を引きずるようにして闊歩していく。身体は逞しい男のそれであるから、力は強いようである。
百目鬼は化野の傾いだ一軒家の戸を、勝手知ったる様子で開けると、玄関に上がり込んだ。
「化野さん、先生連れて来たわよ」
大声でそう呼び掛けると、すぐに不機嫌な顔の化野が現れた。今日は流石に襦袢などではなく、紺の着流しだった。





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