空を見上げると、どこまでもすっきりと透き通った、けれど普段よりも濃く滑らかな青色であった。 先生は今日のような空を、天鵞絨のようだ、と言う。私は天鵞絨とは何か分からないが、きっと綺麗なものだろうと思う。 先生は先日、私と祖母の住むこの村にやって来た。何でも、調査のためだと言う。私たちの住むこの辺りには、前世紀の遺跡がたくさんあるからだ。 私たちの村は村と呼べるほど大きくはないのだが、久しぶりの来客を歓迎した。 先生が最初に訪れた日の夜、私は先生の隣で色々なお話を聞いた。近くの街の話や、遠くの国の話は今まで聞いたどんな話よりも面白かった。 先生も私を気に入ってくださったのか、私を調査の間の案内人として借りたい、と祖母に告げた。確かに、私は村の誰よりも身軽で、それから遺跡についてもよく知っていた。 調査の合間に木の実と薪拾いをきちんとすることを条件に、私は先生が村にいる間お供をすることになった。 「シオン、今日はもっと奥を探検してみよう」 私と先生は手を繋ぎながら、森へと向かっていた。 森へ近付くにつれて、遥か昔の建物の残骸が点々と見えてきた。それらはつるつるとした石のようなもので出来ていて、所々に四角い穴が空いていた。祖母から聞いた話では、少し前までそこには透明な薄い石が填め込まれていたらしい。中を覗くと、つるつるやすべすべの四角い何かが散らばるのが見えた。昔のものはとにかく四角くあるようだ。 先生がその建物を撫でたり、辺りをぐるぐる回って調べる間、私は背負った籠を一杯にするため、薪と木の実を探した。 もうすぐ凍える季節がやってくるので、辺りには真っ赤に熟れた木の実がたくさんあった。背の低い木を揺らせば、茶色の木の実もたくさん取れたので、この季節の私の仕事はあまり難しいものではなかった。 一区切りついたので、私は先生のために小さな紅色の果実を少しばかり摘んだ。これはこの時期の森でしか採れないご馳走であった。 「やあ、これは私にくれるのかい?ありがとう。シオンも一緒に食べようか」 先生は私の姿を見つけると、嬉しそうに微笑んで私を膝の上に座らせてくれた。 先生は村のどの男たちよりも細くか弱かったけれど、その分誰よりも優しく、物知りだった。私には父母というものはいなかったが、先生が父であったらどんなにか幸せだろうと思った。 私がそう告げると、先生は少し困ったように微笑んで、そして唐突に、私に秘密を教えてくれると言った。 先生は私を抱き上げると、少し離れて見える赤茶色の遺跡まで歩き出した。それは祖母が墓所だと言っていた場所なので、私は急に恐ろしくなって先生の首に強く抱きついた。先生は嫌がることなく、優しく私の背を撫でてくれた。 私たちは遺跡の中には入らず、その近く、草が生い茂る奥の箱庭のような場所へやって来た。 そこにはつやつやとした四角い石が幾つも並んでいた。表明には不思議な模様が彫られていて、触ると指が擽ったかった。 先生は柔らかな草の上に私を降ろすと、花を摘んでくるよう言った。 何故だか分からなかったが、私は辺りを駆けてどうにか一抱えの花を摘んだ。 急いで戻ると、先生は四角い石の前で目を閉じ両手を組んでうつ向いていた。その姿はどこか悲しくて、私は声をかけられずにそれを見つめていた。 落ち葉が風に転がる音で、先生はようやく私に気付いた。 私の摘んできた花を見て満足そうに笑うと、先生はそれを少しづつ選り分けて花束にした。 それから外套のポケットから緑色の瓶──お酒が入っていた──を取り出して、ある四角い石の前に花束と一緒に置いた。私も先生の真似をして小さな花束を作り、他の石の前に置いた。 先生は嬉しそうに、でもどこか悲しそうに私を見て、頭を撫でてくれた。 この石は何ですか、と私が尋ねると、先生は、お墓だよ、と言った。ここが墓所だというのは真実であったのだ。それでも、びっくりしてしまった私が泣き出さなかったのは、その前に先生が私を抱き上げたからだろう。 「彼らはね、三百年も昔に眠ったのだよ。今では誰も訪れないが。かつての世界の名残だ」 懐かしそうに目を細め、そう静かに呟いた。 先生は何故ここに来るのですか、と私は尋ねずにはいられなかった。先生と彼らの三百年の隔たりはあまりに大きかった。 すると、先生は困ったように笑いながら言った。 「彼らは私の仲間だったんだよ。皆、棺の中で眠ったまま目覚めなかった。ようやく目を開けたのは、私一人だけ。彼らを覚えているのも、弔えるのも私だけなんだ」 それは幼い私には些か難解な話であった。思わず私が首を傾げると、先生は優しく私を抱き締めてくれた。 「これが私の秘密。シオンはまだ小さいから分からないだろうね。……ただ、彼らがここに眠っていることを覚えていて欲しい」 私が死んだら弔う者もいなくなるのだから、と先生は悲しそうに言葉を吐いた。 悲しい、悲しい。 先生の、そして私の祖母の、大人たちの瞳によぎる悲しみを、私は知った。 彼らは土の下に眠る世界を知っていたのだ。幼い私の知らない、悲しみの歴史がそこにあったことを。 きっと忘れない。私は古き人々を、古き世界があったことを覚えていたい。ただ世界と先生のために。 私は、石の前に跪いて祈りを捧げた。それはきっとひどく不格好だっただろう。 先生は優しく微笑んで私の祈りを見届けると、帰ろうか、と言った。 繋いだその手は温かくて、私は少し泣きそうになった。 お題:眠る世界に花束を 120701 手帖へ提出 ← |