蜉蝣の日///鬱

私が祖父を看取ったのは、十二月の終わり、雪のちらつく夕方であった。

長い間胃に出来た悪いできものに悩まされていた祖父は、改めて見ると枯れ木のように細く、そして薄っぺらくなっていた。
白く無機質なベッドに横たわる姿は痛々しく、私は哀れとやるせなさをおぼえた。代われるものなら代わってやりたいとも。
本当に、本当に一回り小さくなってしまった祖父は、私の名前と死んだ祖母の名前を呼び続けた。おそらく、目の前にいる私でさえ誰だか分からなくなっているのだ。そういえば、私は祖母の若い頃に似ている、と祖父が言っていた。
私は祖父の手をそっと握った。枯れ枝のような手は、思いもよらない力強さで私の手を握り返した。まるで私の存在を確かめるが如く。
おじいちゃん、と呼び掛けると、祖父は少し笑ったように見えた。

医者は、他のご家族は、と尋ねた。
分かりきっているものを。父も母も、その兄弟姉妹も、一度もここを訪れやしなかっただろう。彼らは田舎の家に固執する祖父と、それに黙って従う祖母が嫌いだった。
私も本来ならそういう風に教えられていただろう。しかし、私はその前に祖父母の優しさに触れてしまった。
だだっ広い茅葺きの家にたった二人で住まう祖父母はいつもどこか寂しげで、度々私が訪れるとひどく喜んだ。
私が成人してから一緒に住み始めると、祖父母は一際私に甘くなった。あまり家族間の仲が良くなかった私にとって、そこでの生活は理想であり幸福であった。

しかし幸福は限りあるものだ。
確かに分かってはいたのだ。私よりも幾十年を長く生きた祖父母が、私を置いて逝ってしまうのは。
病の度に、少しずつ何かを擦り減らして、柔らかに何かを悟るのだ。
私には分かり得ないことだから、二人が穏やかすぎるから、私は訳も分からず不安になったのだ。
まるで迷い子のような私の心とは裏腹に、死を前にしながら祖父も祖母も、あまりにも静かだ。魂の一片すら揺らがずにいる。
揺らいでいるのは私。
泣きじゃくる夕暮れの子供のように、こんなにも心細い。
だって、私は一人になってしまうのだから。
あの温かな茅葺きの家に満ちるであろう冷たさを想って私は泣いた。
私はまだ一緒にいたかったのに。短すぎる。私の人生で二人に触れられたのは、ほんの少しだけ。
行かないで。行かないで。行かないで。
何もかも忘れて泣きじゃくりながら、私は祖父の腕に縋った。何て乾いた、優しい腕だろう。でも、もう私に触れることはない。
覗き込んだ祖父の瞳は、言いようの無い光を湛えていた。
私を見ている。何時もと変わらぬ、柔らかく、温かく、穏やかな眼差し。
死は何もかもを奪っていく。
今や祖父は一つの炎に思えた。病室で揺れる青白い炎だ。体を、魂を、己の凡てを燃やし、私を愛す最後の灯火なのだ。
私はそれを受け止める義務がある。もう子供ではないのだ。二本の足で、立ち上がらなくては。

生きて行くのだ。私も二人のように。
死は終わりではない。連なる円環の理。しかし、その多くを私は知らない。

おじいちゃん、と呼び掛けると、また祖父は笑ったように思えた。
私も笑い返そうとしたけれど、涙が溢れて上手くいかぬ。
そんな私を見届けて、祖父はそっと目を閉じた。
嗚呼、行くのだな、と思った。
さっきとは違って、私の胸中は至極穏やかであった。
しん、と冷え切って雪の降るような心地だった。
悲しみとはあまりに呆気なく、凍える手で私の魂を撫でていった。

さようなら、と呟いて、もう一度祖父の手を取った。
まだ温かなその手は、しかしもう動かないのだ。
羽根が空に舞い上がるように、私は一人残された。
私の頬を涙が伝い、真っ白なシーツに一点の染みを作った。
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