僕はヒーロー///鬱

何の因果か冴えない学生の僕が、可愛い女の子と仲良くなってしまった。
取り柄といえばギターの早弾きくらいしか無い僕を、何でこんなに可愛い子が見つけてくれたんだろう。ある意味奇跡だなんて思っていたら、ちょっぴりヤバい子だってことに気が付いた。
何がヤバいって確かに可愛さはヤバい。それよりも、処女じゃない(ちなみにこれは彼女の自己申告で、僕は指一本たりとも彼女の体に触れていない)ってのがヤバい。僕的には。
更にヤバいのは、どうも虐待されてるっぽいこと。パパは怒ると痛いことするの、って言うからよく聞いてみたら、お腹の痣とか火傷の跡とか色々見せられてうげぇってなった。
でも彼女は重大さが分かってないみたいで、顔をしかめた僕を見て笑い転げてた。
本当なら僕はここで警察とか、何かそんな所に通報するべきだったんだろう。
でも、世界の狭い僕は逃げなきゃいけない、と思ってしまった。神は死んだ、彼女に幸福を教えるのは僕の役目だ、って自惚れた。我ながら馬鹿だと思った。
でも僕の思考が昨日立ち読みした本の借り物だったとしても、確かにその時、僕は悪い大人から彼女を逃がそうという気にはなっていた。僕らみんな体は大人なのに、大人には理不尽に子供扱いされることへ、ささやかな反抗もあったかもしれない。
逃げたい?って彼女に聞いたら分からないって笑った。逃げようか、って言ったらいいよ、って言った。
思い付いたのが午前中だったから、そのまま駅へ行って切符を買った。ローカル線の終点まで。ちょうど僕のばあちゃんの家の近くだから、そのまま泊まろうと思った。
学校はエスケープ。お菓子とギターを持った逃避行。映画みたいでちょっとかっこいい。BGMは僕と彼女の好きな曲。イヤホンは片耳づつ分け合った。
でも制服のまま電車に乗ったから、結構じろじろ見られた。
不快だったけど終点へ近付くに連れてどんどん乗客は減っていった。
窓からは青い綺麗な海が見えた。彼女は子供みたいにはしゃいだ。僕も楽しかった。
乗客もほとんどいなかったから窓を開けて潮風を浴びた。心なしか海の匂いが混じってる気がした。彼女の厚い前髪が風になびいて、可愛かった。
僕ら以外の人が消えてから、彼女のせがむままにギターを弾いた。彼女に見られると指が上手く動かない。恥ずかしい。最後フィニッシュを決めた時、知らないお爺さんがちょうど電車に乗ってきて、すごい気まずかった。
彼女は道中ずっとにこにこ笑ってた。一回も痣の話はしなかったし、彼女のパパの話もしなかった。その話をしたら、何と言うかこの旅のきらきらした輝きとかが消えてしまう気がした。
僕ら二人、何も言わなくたってこれは確かに逃避行だった。そう思えるだけでいいと思った。

ちょっとうとうとして、目が覚めたら終点だった。
水色の海が近い、坂ばかりの町だ。
すげえど田舎で、何もない。夏じゃ無いからサーファーとか観光客も少ない。
なのに、駅には爽やかな風景にそぐわない男がいた。
眉毛の薄い、黒スーツの、若い男。そいつを見た途端、彼女ががたがた震え出したので、あ、こいつ悪い奴だなって思った。
知らないふりをして通り過ぎることは出来るかな、って考えたその瞬間、男がこっちに向かって走ってきた。
うわって思った瞬間、僕は思い切り顔面をグーで殴られていて、度の合ってない眼鏡は青い空に打ち上げられていた。
一瞬何が起こったのかよく分からなかったけど、鼻から生温い液体がぼたぼた零れてきたから、人生最大のピンチだってのは分かった。
男は彼女の名前をさん付けで呼んだ。どうやら彼女のパパの部下的な人らしい。
ていうか、何でばれたんだろう。彼女のパパって思ったよりやばかったじゃん。うわ、僕本気で死ぬんじゃないの。
彼女は引き攣った顔でひたすらごめんなさいを連呼してるし、男は人を殺せそうな目つきで僕を見てる。
「お前みたいな奴が何かした所で、逃げられねえよ」
ドスの利いた声ってこういう声だろうか。吐き捨てられた言葉は僕の心に刺さった。
立ち上がろうとしたら、思いっきり蹴られた。痛い。死ぬほど痛い。そういえば、人に殴られたのって初めてだ。
「もしお前にどうにか出来るんなら、世界はもっと平和だろうよ。現実って知ってるか?」
気だるげな男の言葉が僕を傷つける。こいつ全部知ってて言ってるんだ。大人って本当に汚いな。でも、だから強い。だから勝てない。
僕は自分の無力を思い知った。借り物の理想なんて、僕には達成出来ない。
「お前のことは黙っといてやるから、ガキはさっさと帰んな」
その時、男がガキって言ったのと、一万円札を僕に投げてきたのが、きっかけだった。視界の端で彼女が後ずさるのが見えたのも多分きっかけ。
とにかく僕の中の何かがぷつんと切れて、気付いたら男に思いっきりタックルしてた。
男は足腰が強いみたいで僕は跳ね飛ばされたけど、もう一回組み付いた。
ここで逃げたら負ける気がした。人間として、「子供」として、こんな奴には魂で負けたくなかった。
「ガキって何だよ!勝手に子供扱いすんなよ!お、お前ら大人なんだろ!?か弱い女の子殴って楽しいのかよ!?大人なら助けろよ!お前らが、お前らがやらないから僕がやるんだよ!役立たず!彼女は幸せになるんだよ!お前らのかわりに僕がやるんだ!」
声は裏返るし、顔面血まみれだし、涙も鼻水も鼻血も垂れ流しだったけど、僕の口からは意外な程すらすらと言葉が流れ出た。
「馬鹿か。お前なんかに」
「お前なんかって言うな!お前に、でっ出来ないことを僕がやってるんだ!大人の癖に!大人の癖に!偉そうなこと言ってんなよ!大人ってなんだよ!何もしない奴のことかよ!」
自分で叫びながら、僕はそれなら子供でいいや、って思った。少なくともこんな大人にはなりたくない。
何かが乗り移ったみたいな僕の言葉は、多少なりとも男の心をえぐったようで、僕は今までで一番強い力でお腹を蹴られた。
初体験の痛みがお腹の底からせり上がってきて、あっという間に胃の中のものが地面に広がった。
何もかも吐き出しながら、身体から乖離した自分が情けねえな、って僕に言った。
ああ、本当だよな。みっともない。
だって僕は、世間知らずな、ただの子供だから。
でもさあ、僕にしては頑張った方なんだ。何もかも頭でっかちに考える僕にしては、本当に頑張った方なんだよ。
だけど何にも変わらねえじゃないか、とまた浮遊する僕が言う。
しょうがないこと、ってあるじゃないか。
今の僕にはどうしようもなかったんだから。起き上がりたくても体中痛いし、もしかしたら死ぬのかもしれないし。
そんな風にぼんやりしていたら、彼女が分厚い前髪を揺らしながら僕に謝ってきた。
涙と鼻水と鼻血とゲロと、よく分からない何かにまみれた僕の隣。
ぺたりと座って、真ん丸の瞳からぼろぼろ涙を零してた。塩辛い。涙が口に入ったみたいだ。青春はいつも海の匂い。
ちらりと黒服の男を見ると、さっきまで大きく見えた背中が、何だか萎んだように、そしてちょっと悲しそうに見えた。
大人は卑怯だ。思っていてもやらない。考えていても、それを表に出さない。
しがらみとか何とか、狡いんだよ。本当に、狡い。
もっと強くなろう、と思った。
子供の内に、彼女を助け出すために。彼女には幸福が必要だ。僕のために泣いてくれる彼女のために、僕は幸せを。

必ず強くなってやる、ともう一度強く思いながら、僕は眠った。
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