空知らぬ雨///鬱

突然、本当に思いがけなく故郷へ帰ることになった。

自分が正義だと思っていたものがばらばらに打ち砕かれて、気が付けば私は妻に会いたいという気持ちだけしか持っていなかった。

妻という程時間を共にしてはいないが、それでも愛しい人である。
長い黒髪の美しい、優しい人であったが、今はもう髪を切ってしまっただろうか。
とにかく妻が生きてさえいれば、私はもう何もいらない。
私はそれくらいに空っぽで、ひどく弱っていたのだろう。

煤けた空気の所為か、荒れ果てた町の風景の所為か。
何故かは分からない。
とても悲しかった。

町も家も人も、皆ぼろぼろで元の姿など掻き消えてしまっている。

私の家は何処だ。
妻は、私の妻は何処にいる。

薄汚れた兵隊服が急に重く感じられた。

どのくらい彷徨っていたのだろう。

気が付けば町外れの病院の前に立っていた。
すると、前方から歩いて来た婦人が、ああっ、と驚いたような声をあげて駆け寄って来た。
突然のことに驚いたが、よく見ると隣に住むおかみさんであった。
まだ妻と二人で暮らしていた頃、よく世話を焼いてくれた優しい人だった。
昔は頬も丸くふくよかであったのに、今はすっかり痩せてしまっている。

生きてたんだね、良かった、良かったよぅ、とおかみさんは私の手を取って涙を流した。
それが懐かしさと焦りに繋がって、気が付くと私は、妻は何処にいるのですか、と見苦しく喚いていた。

すると、おかみさんは涙をぼろぼろ溢して、生きているよ、とだけ言った。
そして、生きてはいるのだけどねえ、と泣きながら私の手を引いて、病院の中へ入っていった。

胸騒ぎがした。
灰色の壁が不安を煽る。
私だけが帰っても意味は無い。
妻だけが生きていても意味は無い。

二人で生きて暮らすのだと、そう誓って戦いに赴いたのに。

暫く歩くと、何処かの病室に通された。

真っ白な病室には、ベッドが四つ置いてあった。
その内の窓際の一つ、其処だけが埋まっていた。

ああ、妻が眠っている、と思った。

柔らかな日差しと涼しい風が、妻の白い肌を撫でていく。
旅立つ前より幾分か小さくなった妻の体は、静かに、けれど確かに呼吸をしていた。

ああ良かった、本当に良かった。
そう呟いて私は妻の傍らに立った。

妻はそっと目を開けて、おかえりなさい、と言った。

私は妻の左手を握ろうとしたが、其処にあのしなやかな手は無かった。
細い腕の中程から先には、真っ白なシーツが広がっているだけだった。
妻は、利腕じゃないだけ良かった、と震える声で言った。

これが、戦いの行き着く場所か。

愛する妻の髪も、腕も、そして幸せさえ。
こうも簡単に奪っていく。

私は何の為に戦ったんだ。

やりきれない思いが込み上げて、目の前がぼやけた。
私は久しぶりに、声を出して泣いた。

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