巣立ち///日常・その他

澄江、と私を呼ぶ強い声が聞こえた。
母が亡くなってから一層強くなったあの濁声。
父は私をどうしてもこの家に縛りつけたいらしい。
はい、と返事をして私は階段を下りた。
父は買い物に出ると言うと、乱暴に扉を閉めて出かけて行った。
まるで子供のようだ、と私は思う。

私は来年高校を卒業する。
地元の、何てことはない普通の学校だ。二年間、私はそこで普通の生活を送った。
この二年間、父はいつも私に言った。

お前は俺の稼ぎで学校に行っている。
女なんぞ高校まで通えば十分だ。卒業したら婿をもらえ。俺の店を継ぐのだから真面目なやつが良い。

父はそのことばかり、特に酒が入るとより饒舌にぺらぺらと語った。
私は父が嫌いだった。
母が死んだ時さして悲しみもせず、煤けてただ古めかしいだけの文房具屋を守ろうと虚勢を張る父を、私はずっと憎んでいた。
どうして母は逝ってしまったのだろう。父が死んでしまえば良かったのに。

昨日叔母から電話があった。
叔母は母の四つ下の妹で、今は東京で働いている。
父は叔母のことが嫌いだが、私は好きだ。
明るくて理知的な叔母は、幼い頃から私の憧れだった。
電話の内容は、東京に来ないかということだった。
大学進学をしたいという話は前にしていたので、叔母は父と私の関係も慮ってそう言ってくれたのだろう。
でも、父がそのことを許す筈がなかった。
その電話は父に聞かれていたらしく、父は私から電話をひったくると叔母に一方的に文句を言ってがちゃん、と電話を叩きつけた。
私にもいつもと同じ言葉を吐きかけていった。
吐き気がした。
まるで自分の所有物のように私を扱う父と、そしてそれに逆らうことの出来ない私が嫌だった。

だから、もう私は決めた。
叔母にはもう電話をした。叔母は反対も賛成もしなかった。
ただ、待っているよ、とだけ言われた。
身の回りのものを小さな鞄に入れ、母の写真を胸に私は旅立つことにした。
玄関を出て、私は長く垂れた三編みをほどいた。
どろどろと髪を伸ばしたのも、父の所為だった。
女の髪は長いものだ、なんていつの時代の人間が吐く言葉なんだろう。
私は三編みを彩るリボンを手にため息をついた。
すると、白い息の隙間から庭に植わっている梅の木が見えた。
母が愛でていた白い花はまだ咲いていない。黒く固い枝だけが冬の寒さを浴びている。

母さんなら、今の私に何と言っただろう。

父の言葉を反復しながら私はそう思った。
そうしたら急に、この蕾さえついていない木が自分の分身であるかのように思えてきた。
頑に堪えてきたんだ。今から花開いても良いだろう。
誰にともなく私はそう言い聞かせた。
東京に出たところで叔母に頼ることしか出来ないけれど、春が来たらちゃんとやれるだろうか。
とりあえず東京へ行ったら髪を切ろうと思った。

髪が短くなった私を見て、父は私のことだと分かるだろうか。
いや、きっと分からないだろう。
今、こうして髪を下ろした私でさえ、人混みの中では見つけられないだろう。

私は生まれ育った巣を立つ。
母が愛したこの木を、父と家とそして私の思い出の墓標にしよう。
ざらざらとこびりついてるような何かを置いて行こう。

私はリボンを梅の木の枝にそっと結わえた。
父が何事でも、後ろめたく思うことはあるのだろうか。

そんなことを考えながら、私は町唯一の駅へと歩み始めた。



巣立ち
(花言葉:独立)
×
第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -