柵の中の湖///恋愛

しとしとと、随分陰気な雨が降っていた。
今にも溶けて落っこちてきそうなくらい真っ暗な雲。
まるで私の心のようだ。

駅舎の中にも私だけ。
駅員はまるで動かず作り物のように見えた。

しばらくして、汽笛の音が聞こえた。
急ぎ足でプラットフォームへ向かったが、黒々とした乗り物から降りる人影は無かった。
私はそのままそこにつっ立っていたが、駅舎から誰かが来る気配は無かった。
鉄の生き物は少し悲しそうに汽笛を鳴らして走り去った。

また、雨の降る音ばかりが聞こえるようになった。
さっきよりも強くなった気がする。

しかし、少しすると硬い靴音が後ろから聞こえた。
バタバタと慌てているようだ。

「やあ。もう行ってしまったか」
わざとらしく大きな声が聞こえた。
残念がっているのに妙に陽気な調子である。
そして靴音はかつかつと近づいて来て、気持悪いほどぴったりと私の真横で止まった。
「すみません。もう汽車は出てしまいましたか」
隣を見ると、目元のきりりとした男がにこにこと笑っていた。
あの人の着ていたのとは違う、もっと仕立てのよい背広を着ている。
「ええ、少し前に」
警戒する気持を悟られないように、肩掛けを直しながら私は答えた。

「貴方も今来たばかりですか?大変だなあ」
「本当に、そうだわ」
細やかな嘘をついた。
本当はもっと前から待っていた。
健気な気持ちや愛情なんかじゃなく、惰性の気持ちで来ている。

「人を、待ってるんですの」
私は新しく仕立てた着物を、何かを堪えるようにぎゅっと握って言った。
「いわゆる恋人というやつですわ」
「待たれていたのは男の方だったのですね」
「ええ、そうよ」

必ず、月に二度は会いに来るよと言っていたのに。

「少し遠い町で働くことになったって、出て行ってしまって。それっきりです」
「だから、傘を二本お持ちなのですね」
とん、と胸を突かれた気がした。
私はよほど間抜けな顔をしていたのだろう。
男はくすぐったい微笑みを浮かべて言った。
「だって、迎えにいらしたのでしょう」
その問いかけが無邪気で、でも残酷で。
「……ええ、そうね」

心が痛い。
本当は知っているのに。
彼はもう私に興味がなくて、素直で優しい別の女と暮らしていると。

「でも意味はなかったわ」

ひとりでに涙が溢れ出た。
ぼたぼたとみっともなく、雨のように澄んではいない。
「莫迦なのはわたし」
もう終わったのに、ね。

ふと男を見上げると、何故か男も静かに涙を溢していた。
男は泣かない生き物だと思っていたけれど、違ったようだ。

「す、すいません」
ずずず、と鼻をすすって男は笑った。
「私は恋人に逃げられたばっかりで、いや、お恥ずかしい」
大げさに袖で目元を拭うと、男は皺一つないハンカチーフを私に差し出した。
「その、少しばかり思い出してしまいまして」

偶然。必然。
神様は傷を舐め合えとおっしゃるのかしら。

「あら、私恋人を捨てるような女に見える?」
「あ、いえ、その」
「むしろ捨てられたのだけど」
見ると男の眉はぎゅっと下がって、情けないことこの上ない。
おまけに耳まで真っ赤になっている。
見かけは紳士なのに、中身はまるで少年のよう。

「あの、ここらに美味い洋食屋があるのです」
緊張して上擦った声で男は言った。
「もしよろしければ、私が奢ります。一緒にどうですか」

捨てる神あれば拾う神あり。
あの人とは何も似ていないけれど。
この出会いは偶然だろうか?

「では、お言葉に甘えて」

傘は無駄にならなかった。

少しばかり明るくなった雲を見上げて、私はそんなことを思った。

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