星抱く瞳///日常・その他

鼻を刺す油の匂いがする美術室で、雪子は月乃と二人向かい合って座っていた。

雪子は幾らか緊張した表情で、少々大袈裟に背を伸ばしている。
月乃はじっとその姿を見つめ、キャンバスの上に雪子を描いていく。
今日は雪子が水泳部を、月乃が美術部を引退する日だった。
これから先は、二人とも別々の進路へ向けて生活するようになるのだ。
散らばる筆や絵の具を視界の端に捉えながら雪子は、それは少し寂しいことだと思った。

「雪子、動かないで」
少しうつ向いたら、月乃は厳しい声でそう言った。
その鋭い言葉に、雪子はばつの悪そうな顔をした。
「ねえ、やっぱりモデルやるの大変だよ」
「似顔絵描いてって言ったの雪子でしょ」
「……そうだけど」
うなだれた雪子を見て、月乃は困ったように微かに笑った。
「大丈夫だよ。あと少しで描き終わるから」
「ちゃんと描いてね」
「分かってる。じゃあもう少しじっとしてて」

月乃に真っ直ぐ見つめられるのも悪くはない、と雪子は思った。
絵を描く月乃を見るのは初めてではないけれど、今までは月乃のその眼力が少しだけ、怖かった。
月乃はこの世に在るものしか描かなかったけれど、その癖、瞳は何処か遠くの遥かな世界を見つめているようだった。
今もそれは変わらない。
でも月乃の不思議な視線が、今日だけは少し柔らかに感じる気がした。

「ねえ、月乃」
「何?」
「月乃は何を見ているの?」
「何って、雪子だよ」
「違うの。私以外にも、何か別のもの」
「そんなもの、見てないよ」
「嘘ばっかり」
「……青春の影」
「え?」
「青春の影を見てる」

月乃は、突然語り出した雪子を注意することなく、黙々と筆を動かしている。
しばらくして、ちょっと悲しそうな顔をして、静かに微笑んだ。

「人間を描く時、見えるんだ。雪子は何だか、キラキラしてる」
「それが青春の影?」
「そうだけど、違う。私がそれを見ることが出来るのは今だけで、大学に行って大人になったら、きっと見えなくなると思う」
「今だけの、超能力だね」
「あはは、そうかも」
月乃は笑ったけれど、雪子はちょっぴり共感出来た。
確かに雪子達は、訳の分からないエネルギーに溢れる少年少女達に埋もれて生きている。
きっとそれは、今だけのことで、大人になったら花が枯れるようにしぼんでしまうんだろう。
「青春の影っていうのは、今この瞬間のことだよ」
「今?」
「部活の引退記念に似顔絵描くなんて、私達今、大人になったらできないことをしてる。今にもなくなっちゃいそうなそれが、青春の影」
「何か、青いなあ」
「でもそういうものじゃないかな。大人になったら忘れちゃうことを、私達は楽しんでるんだもの」
確かに雪子達は今、消えゆく青春という流れの中にいるのだろう。
子供の今は持て余して、大人になったら懐かしむものが、この部屋には溢れていた。

「月乃」
「うん」
「私、大人になんかなりたくないよ」
「私もそうだよ」
「……似顔絵出来た?」
「うん。完成」

月乃が持つキャンバスの中には、瞳をきらきらさせた、本物よりちょっと綺麗な雪子がいた。
何故だか分からないけれど、雪子は笑ってしまった。
こんな風に瞳を輝かせた自分がいたのかと思うと、幸せで馬鹿らしくて、ほんの少し滑稽だった。

「月乃、ありがとう」
「どう致しまして」
「青春の墓標だね」
「うん。私達の青春に」

このやり取りも何だかおかしくて、ちょっと寂しかった。
青春の墓標。美しい、思い出の屍。
雪子は月乃と顔を見合わせて静かに笑った。



星抱く瞳
(題:絵を描く)
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