つらつらつばき///恋愛

雪がちらちらと降っている。
俺が見守ってきたあの花はまだ咲かない。

「辰郎さん!」

聞き慣れた声がして、俺ははっと我に返った。
もしもその声がなかったら俺は雪に埋もれていただろう。
振り返ると、鈴蘭柄の緑のお召しを着た少女がにこにこと笑っていた。
黒いつややかな髪には黄色のリボンが結ばれている。
舶来物を扱う商家の娘らしく、ハイカラで今風の出立ちだ。

「お嬢さん……見合いはいいんですか?」
「いいの。だってつまらないんだもの」
とんとん、と跳ねるように少女が駆け寄ってきた。俺が奉公している家の、ただ一人のお嬢さんである。
優しくて、元気で明るい。俺の憧れの人だ。
「ねえ辰郎さん、何を見ているの?」
「お嬢さん……旦那様も奥様も心配するんじゃないんですか?そんな……抜け出してきて」
「もうっ、いいの!今は自由恋愛の時代よ?女だって生涯添う人は自分で選びたいわ」
「で、でも……」
「でもじゃない!それにお嬢さんじゃなくて美千代さん、て呼んでと言ったでしょう」
そう言ってお嬢さんはぷん、と頬を膨らませた。
見ての通り、お嬢さんは自由奔放、お転婆すぎるくらいに自由なのだ。
何でも、男のお荷物としての保守的な女など真っ平御免だそうで、大学への進学を諦め渋々女学校を卒業したものの、人の決める結婚など嫌だと、連日見合いの席を抜け出している次第だ。

「……はい、美千代さん」
「よろしい。で、辰郎さんは何を見ていたの?」
「椿の木です。俺の父が植えたものです」
俺がそう伝えると、見合いのことなど頭の中から消えてしまったようで、ぽん、と嬉しそうに手を叩いた。
「まあ、椿。花は咲いたの?」
「いえ、まだ」
「そう……残念ね」
お嬢さんはしゅん、とうなだれた。
自然と俺も無言になった。

美しく気高い椿の花。
この庭の木の多くは父が植えた。勿論この椿もだ。
まだ父が元気だった頃、お嬢さんが女学校に入った年に植えたのだったか。
結局俺は父の仕事を継ぐことはなく、旦那様のご好意で雇ってもらってからはこうして眺めることしか出来ていない。

「あのね、私いい人がいるの」
お嬢さんが何の前ぶれもなくそう切り出したから、俺は心臓が飛び出すくらいたまげた。
「来年、椿の咲くまでその人に悪い所が無かったら、お父様も結婚に賛成して下さるの」
「……軍人さんですか。それとも華族の」
「違います。普通の平民の方よ」
「そ……うですか」
俺は再度驚いた。
まさかお嬢さんが自分と同じ身分の男を選ぶとは思わなかったし、旦那様もそれに賛同するとは思わなかった。
しかも、もう結婚まで話が進んでいるなんて。
それだけに、どことなく心に穴の開いたような奇妙な喪失感も押し寄せた。

「真面目で、ちょっと堅物だけどとてもいい人よ」
お嬢さんがにこやかに微笑むが、俺の心は晴れない。まだ動揺したままだ。
「ただね、その方はとっても鈍いのよ。きっと私がこんなに想ってるのなんか気付いてないんだわ」
「え、でもさっき結婚って……」
「無理矢理にでもしてもらいます。私が選んだ人だもの」
「はは……」
相変わらずのお嬢さんだ。
俺は少しだけ相手に同情した。
「あの方だって私のことが好きに決まってるわ」
「優しい、いい人なんですね」
「そうよ!お花が好きで背が高くって、それからお仕事を熱心になさるの」
そこまで言ってお嬢さんは俺の顔をちらりと見た。
「……どうかしましたか?」
「…………」
「お嬢さん?」
「……ばか」
お嬢さんは急に顔を赤らめて廊下をだだっ、と駆けて行った。
「べーっ!」
そして、突き当たりでこちらを振り返って、小さな頃のように舌を出した。

ぱたぱた、と足音は小さく消えていく。
はしたないけれど、あの姿がもう見られないかと思うと寂しい。
何だか変な気分だ。
悔しいような悲しいような腹立たしいような。

嗚呼、椿の花よ。
どうかこの冬だけは咲かないでおくれ。
そうすれば。俺も少しだけ夢を見られる。
ふと見ると、固く小さな蕾が見えた。

俺は少し、悲しくなった。

そう庭の隅で呟いた一月後。
己の愚かさと幸せとを噛み締めることになったのは、また別のお話。


来年咲く花
(気付かぬうちに)
(花開くもの)



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110207 joieさまに提出
お題:来年咲く花
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