『氷雨に乗りたい』
「…おや、随分積極的なお誘いですねぇ喜んで」
『うわぁっ!?え、何であたし氷雨の膝の上に乗せられたの!?』
「何でって…君が僕の上に乗りたいと言ったからでしょう?つまり騎乗位がしたいと。言っておきますが行為自体もう君としかしませんから安心して下さいね」
『ゴメン何言ってるか全然分かんない!!』
僕の膝を跨ぐように座らせた状態のヒナタ君がキャンキャン喚いている。まぁこの慌てふためく様子も可愛いのですが、あまりやり過ぎると拗ねてしまうのでそろそろ解放して差し上げましょうか。
「で、僕に乗りたいとはどういう意味ですか?」
『そのまんまの意味だよ…ラプラスに乗って海を進みたいの!』
「…あぁ、なるほど」
僕はヒナタ君の言葉を聞いてチラリと窓の外を見た。そこに見えるのはよく晴れた青空とコバルトブルーの美しい海…そして遊泳を楽しむポケモンとトレーナー達。
つまり、あのトレーナー達が羨ましくなったというところでしょうか。
『何だかんだ一回も氷雨に乗ったことないし…実はポケモンに乗せてもらって海を泳ぐの憧れだったんだよねー』
やはりそういうことらしい。窓際まで身を寄せ、海を泳ぐトレーナーとポケモン達を見つめるその瞳はキラキラと輝いていた。
(…やれやれ、無邪気な顔ですねぇ)
僕達は今日シロナさんからお呼びがかかり、彼女が所有するサザナミタウンの別荘へと来ていた。まぁ呼び出した当の本人はリーグから挑戦者が来たと連絡を受けて渋々とんぼ返りしましたが…。
ただ、せっかく来てくれたのだからというシロナさんの厚意に甘えて今日1日を別荘で過ごさせて頂くことになったのです。
しかし鍛錬バカの蒼刃が疾風を連れ出すのはいつものこととして、嵐志があの雷士まで連れ出してしまうとは予想外でした。
(あぁでも、半眠り状態の雷士を無理矢理引きずっていったという方が正しいですかね)
ともかく今現在は珍しくヒナタ君と2人きりなのだ。本当ならばそれを生かして男女間の行為に勤しみたいところなのですが…ここまで瞳を輝かされてはさすがの僕もお手上げです。
どうもこの子に関しては甘くなってしまうとうなだれつつ、だが悪くないとも思う自分がいる。以前の僕とはあまりに違いすぎるその感覚をそっと噛み締め、未だ窓から外を眺めるヒナタ君の頭を撫でた。
「分かりましたヒナタ君。君がそこまで言うならやって差し上げますよ」
『ほ…本当!?やったー!ありがとう氷雨様ー!』
「はいはい」
まるで幼い子供のように大きく万歳をして喜ぶ姿につい口元が緩む。意気揚々とTシャツとショートパンツを持って着替えに行くヒナタ君を見送り、僕も読んでいた本を置いて外へ出た。
『…じゃ、じゃあ…乗るからね』
〈どうぞ〉
サザナミのビーチへと来た僕は早速原型に戻り海へと入る。久し振りと言ってもいい海水の温度はやはり種族柄よく馴染むものですね。
『ん、しょ…って、あ、あれ?結構甲羅って高い位置にあるんだね…』
〈そうですか?〉
緊張した面持ちのヒナタ君が甲羅の突起部分を掴み乗り上げようとするが、中々足が上がらず四苦八苦している様子だ。ふむ…生まれた瞬間から自分についている甲羅のことなどあまり気にしたことはありませんでしたが、まさかこんなところで苦労する羽目になるとは。
〈焦れったいですね…ほら、いきますよ〉
『え…わぁっ!?』
必死に力を入れて足を上げようとする姿も中々可愛らしいのですが、このままではいつ出発出来るか見当もつきません。そこでヒナタ君のお尻の下に首を伸ばし、そのまま支えながら甲羅の上まで持ち上げて差し上げました。
…さすがヒナタ君のお尻。若さ故の張り具合もさることながら、弾力が素晴らしいです。頭でダイレクトに体感したこの感触は勿体無いので嵐志や紅矢には秘密にしておきましょう。
『わぁ…!高ーい!』
〈僕は仲間の中でも大きな方でしたからね。ではしっかり掴まっていなさい〉
『うん!』
ヒナタ君が僕の首に手を添えるのを確認し前鰭で波をかいた。揺れる水面と跳ね上がる水飛沫が故郷を思い起こさせる。幼い僕が家族や仲間と自由に泳いだ、あの懐かしく美しい海を。
『ねぇねぇ氷雨、ラプラスは人を乗せて泳ぐのが好きって本当?』
〈さぁ…どうでしょう。僕がいた群れは人間の住む場所からは離れていて、人間を乗せているラプラス自体ほとんど見たことがありませんから〉
『そうなんだ…じゃあ氷雨も乗せるの初めてってこと?』
〈そうですよ、そもそも人間が嫌いなので後にも先にもヒナタ君専用になるでしょうね。ヒナタ君は実際僕に乗ってみて如何ですか?〉
『見た目ゴツゴツしているから痛いのかなーと思っていたけど、意外とそんなことなかった!むしろこの突起が体支えてくれるし…それに氷雨泳ぐの上手なんだね。すっごく気持ち良い!』
〈それはそれは光栄です〉
僕の丸い耳に顔を寄せ、嬉しそうに目を細めるヒナタ君。僕が背を許す人間は本当にこの子だけになるだろう。それは紅矢や疾風も同じでしょうが…。
「ねぇ君!ラプラスに乗ってるなんて素敵ね!」
『え…あ、ありがとうございます!』
「そうだ、良かったら私のこのジュゴンとバトルしない?水上バトルも素敵なものよ」
『水上!?え、ど、どうしよう氷雨…』
〈別に僕は構いませんが…要は水上だろうと勝てばいいんですよ〉
『そ、そっか。じゃあお願いします!』
「あら…ふふ、君とラプラスって心が通じ合ってるみたいに仲良しなのね。それじゃ始めましょうか!」
ジュゴンに跨がったエリートトレーナー風の女性について、周囲に誰もいない場所まで移動する。ヒナタ君は水上の…それも僕に乗ったままでバトルをするなど初めてだ。ここは僕がしっかりフォローして差し上げなければいけませんね。
「さぁいくわよ!ジュゴン、アクアジェット!」
『!?嘘、そんな…きゃあっ!!』
ジュゴンがトレーナーを乗せているにも関わらず、勢いを殺すことなく容赦ない衝撃を浴びせかける。なるほど、攻撃の瞬間も全く振り落とされず微動だにしないということは…彼女はこのスタイルのバトルに慣れているようですね。これは油断出来ません。
ジュゴンのアクアジェットを受け僕だけでなくヒナタ君にもその衝撃が伝わる。案の定バランスを崩しかけたヒナタ君が落ちないよう姿勢を持ち直した。
〈さぁヒナタ君、この海ならではの技で反撃しましょう〉
『あ…了解!氷雨、なみのり!!』
「!」
僕の意図を察したヒナタ君の指示を受け、フィールド全体を使った巨大な波を巻き起こす。その大波に逃げ場などなくトレーナーごと呑み込んだ。
「やるわね…ジュゴン、れいとうビーム!」
『こっちもれいとうビーム!』
同時に放たれたれいとうビーム。その威力は当然ながら僕の方が上だったらしい。ジュゴンのれいとうビームを押し返し、ぶつかり合った衝撃で膨らんだ冷気がジュゴンの周囲の水をどんどん凍らせていく。
『うわぁ寒そ…何かゴメンなさいだね…』
〈バトルに情けは不要です。止めを差しますよ〉
『う、うん!氷雨、アクアテール!』
「ーーーっきゃあ!!」
『あぁああゴメンなさいお姉さん!でもやったよひさ…って嘘ぉおおお!?』
〈ヒナタ君!?〉
周囲が凍ってしまって身動きの取れないジュゴンに向かってアクアテールを繰り出すと、その威力で一気に氷が砕けて海一面が大きく揺れる。ダメージを受けたジュゴンが目だけでなく体をも反転させてしまった為、乗っていたトレーナーが海に落ちるのは仕方ないとして…
何故か僕に乗っていたヒナタ君までもが海に投げ出されていた。
『っげほっ!ひ、氷雨が勝ったのが嬉しくてつい手離しちゃっ…ごほっ!』
〈全く何をやっているんですか君は…最後まで締まりませんねぇ〉
『うぅ…申し訳ないです氷雨様…』
「…っふ、あはは!面白いわねあなた達!」
『へ…そ、そうですか?あ、すみませんお姉さん!びしょ濡れにしちゃって…!』
「いいのよ、海なんだし濡れることくらいどうってことないわ。それよりありがとう、いいバトルだった!」
『は、はい!こちらこそありがとうございました!』
互いに握手をして、ジュゴンとそのトレーナーは去っていきました。恐らくポケモンセンターに向かうのでしょう。さて…予想外のタイミングで海に落ちたこのびしょ濡れのお姫様をどうしましょうか。
〈ヒナタ君、僕達も戻りますか?服が濡れて気持ち悪いでしょう〉
『ううん、そんなことないよ。ていうかどうせ濡れちゃってるんだし、せっかくだからこのまま少し泳いじゃおうかな!』
〈……はぁ、蒼刃がいたら風邪を引くだのなんだと大騒ぎですね〉
能天気にパシャパシャと水を跳ね上げ遊ぶヒナタ君を見てつい溜め息が漏れる。当初の目的はどこへやら、濡れた服などお構いなしにもう泳ぐことに夢中だ。
『それっ!』
〈っ!〉
『あは、命中ー!どうよあたしのみずでっぽうの威力は!』
〈…どうやら痛い目に遭いたいようですね。分かりましたヒナタ君、本物のみずでっぽう…いえ、特別にハイドロポンプを撃って差し上げますのでどうぞ思う存分その身を持って体感して下さい〉
『ゴメンなさい調子乗りました!!』
指で作ったみずでっぽうで僕の顔に水をかけてきたヒナタ君。何とも可愛らしいイタズラのお返しに笑顔で提案をしたら思い切り首を振って拒否されてしまいました。
本当に弄り甲斐のある子です。本気でそんな生死に関わるようなことをする筈がありませんのに。
…ですが、何もお返ししないというのもつまらないですね。
〈ヒナタ君〉
『何…んむっ、』
ヒナタ君がこちらを向くタイミングを見計らい、小さな唇に僕の口を押し付けた。
数秒後大きな瞳を瞬かせ固まってしまった彼女からそっと離れると、途端に紅潮していく頬が面白い。
『〜…っな、なな、何を…!』
〈おや、この姿ならノーカウントでしょう?ただのポケモンから主人へのスキンシップ、ですよ〉
『…スキン、シップ…スキンシップ…そ、そっか。トレーナーにチューしてるポケモンいっぱいいるもんね!』
(唇にするポケモンはそんなにいないと思いますがね)
単純なのか鈍感なのか、素直に僕の言うことを信じるヒナタ君が些か心配になる。ですがまぁ警戒されるよりはマシでしょう。
『氷雨!やっぱりもう一回氷雨に乗ってもいい?』
〈おや、自分で泳ぐんじゃなかったんですか?〉
『そのつもりだったけど…あたし氷雨に乗せてもらう方が好きになっちゃったから。ね、お願い!』
〈…やれやれ、甘えん坊ですね〉
そんな言い方をされては断れない。勿論断る理由もないのですが…末恐ろしい子です。今度はヒナタ君が乗りやすい位置まで海の中に潜り、跨がったのを確認して浮上した。
いつの間にか日も傾きかけている。そろそろ雷士達も戻ってくる頃でしょうね。僕とヒナタ君がいないことに気付いたら大騒ぎになりそうです…主に蒼刃が。
面倒なことになる前に帰ってヒナタ君にはシャワーでも浴びさせた方がいいですね。そんなことを考えていると、不意にヒナタ君が体を起こし僕の首にギュッと抱き付いた。
『氷雨、あたしのこと乗せてくれてありがとう』
〈?何です、突然…〉
『だって氷雨は人間嫌いなのに乗せてくれたでしょ?嵐志が言っていたけど…背中を貸すっていう行為は無防備な自分を晒すってことだから、信頼している相手じゃないとしないんだって。だから氷雨には拒絶されるんじゃないかって本当は怖かったんだよ。あたしはまだ、氷雨に信頼されてないかもしれないって…』
〈なるほど、君はやはりお馬鹿ですね〉
『人がしんみり話してるのに突然の暴言!!』
何なのもう!とぷりぷり怒っている様子のヒナタ君ですが、お馬鹿なものはお馬鹿なので仕方ないでしょう。
〈初めに言った筈ですよ、僕が乗せる人間は君1人だと。僕だって君を信頼しているからこうして背中に乗せているのです。少しは自信を持ちなさいお馬鹿さん〉
『……ありがとう氷雨!』
ヒナタ君は嬉しそうにもう一度ギュッと抱き付いた。そう、僕はこの子を間違いなく信頼し、好いている。
家族や仲間達は今、この広い海のどこかから僕の姿を見ているのだろうか。僕は貴方達に見せたかったですよ、僕の背に乗る唯一の子を。
〈さぁヒナタ君、せっかくですしもう少し沖まで行きましょうか〉
『うん!』
やはりまだ帰るのは勿体無い。少しでも長くこの穏やかな一時を味わいたいのだ。
そして大きく波を掻き分けた瞬間、僕の頬を撫でた海風の中に懐かしい両親の声が聞こえたような気がした。
(僕は救われましたよ、父さん母さん)
end
「…おや、随分積極的なお誘いですねぇ喜んで」
『うわぁっ!?え、何であたし氷雨の膝の上に乗せられたの!?』
「何でって…君が僕の上に乗りたいと言ったからでしょう?つまり騎乗位がしたいと。言っておきますが行為自体もう君としかしませんから安心して下さいね」
『ゴメン何言ってるか全然分かんない!!』
僕の膝を跨ぐように座らせた状態のヒナタ君がキャンキャン喚いている。まぁこの慌てふためく様子も可愛いのですが、あまりやり過ぎると拗ねてしまうのでそろそろ解放して差し上げましょうか。
「で、僕に乗りたいとはどういう意味ですか?」
『そのまんまの意味だよ…ラプラスに乗って海を進みたいの!』
「…あぁ、なるほど」
僕はヒナタ君の言葉を聞いてチラリと窓の外を見た。そこに見えるのはよく晴れた青空とコバルトブルーの美しい海…そして遊泳を楽しむポケモンとトレーナー達。
つまり、あのトレーナー達が羨ましくなったというところでしょうか。
『何だかんだ一回も氷雨に乗ったことないし…実はポケモンに乗せてもらって海を泳ぐの憧れだったんだよねー』
やはりそういうことらしい。窓際まで身を寄せ、海を泳ぐトレーナーとポケモン達を見つめるその瞳はキラキラと輝いていた。
(…やれやれ、無邪気な顔ですねぇ)
僕達は今日シロナさんからお呼びがかかり、彼女が所有するサザナミタウンの別荘へと来ていた。まぁ呼び出した当の本人はリーグから挑戦者が来たと連絡を受けて渋々とんぼ返りしましたが…。
ただ、せっかく来てくれたのだからというシロナさんの厚意に甘えて今日1日を別荘で過ごさせて頂くことになったのです。
しかし鍛錬バカの蒼刃が疾風を連れ出すのはいつものこととして、嵐志があの雷士まで連れ出してしまうとは予想外でした。
(あぁでも、半眠り状態の雷士を無理矢理引きずっていったという方が正しいですかね)
ともかく今現在は珍しくヒナタ君と2人きりなのだ。本当ならばそれを生かして男女間の行為に勤しみたいところなのですが…ここまで瞳を輝かされてはさすがの僕もお手上げです。
どうもこの子に関しては甘くなってしまうとうなだれつつ、だが悪くないとも思う自分がいる。以前の僕とはあまりに違いすぎるその感覚をそっと噛み締め、未だ窓から外を眺めるヒナタ君の頭を撫でた。
「分かりましたヒナタ君。君がそこまで言うならやって差し上げますよ」
『ほ…本当!?やったー!ありがとう氷雨様ー!』
「はいはい」
まるで幼い子供のように大きく万歳をして喜ぶ姿につい口元が緩む。意気揚々とTシャツとショートパンツを持って着替えに行くヒナタ君を見送り、僕も読んでいた本を置いて外へ出た。
『…じゃ、じゃあ…乗るからね』
〈どうぞ〉
サザナミのビーチへと来た僕は早速原型に戻り海へと入る。久し振りと言ってもいい海水の温度はやはり種族柄よく馴染むものですね。
『ん、しょ…って、あ、あれ?結構甲羅って高い位置にあるんだね…』
〈そうですか?〉
緊張した面持ちのヒナタ君が甲羅の突起部分を掴み乗り上げようとするが、中々足が上がらず四苦八苦している様子だ。ふむ…生まれた瞬間から自分についている甲羅のことなどあまり気にしたことはありませんでしたが、まさかこんなところで苦労する羽目になるとは。
〈焦れったいですね…ほら、いきますよ〉
『え…わぁっ!?』
必死に力を入れて足を上げようとする姿も中々可愛らしいのですが、このままではいつ出発出来るか見当もつきません。そこでヒナタ君のお尻の下に首を伸ばし、そのまま支えながら甲羅の上まで持ち上げて差し上げました。
…さすがヒナタ君のお尻。若さ故の張り具合もさることながら、弾力が素晴らしいです。頭でダイレクトに体感したこの感触は勿体無いので嵐志や紅矢には秘密にしておきましょう。
『わぁ…!高ーい!』
〈僕は仲間の中でも大きな方でしたからね。ではしっかり掴まっていなさい〉
『うん!』
ヒナタ君が僕の首に手を添えるのを確認し前鰭で波をかいた。揺れる水面と跳ね上がる水飛沫が故郷を思い起こさせる。幼い僕が家族や仲間と自由に泳いだ、あの懐かしく美しい海を。
『ねぇねぇ氷雨、ラプラスは人を乗せて泳ぐのが好きって本当?』
〈さぁ…どうでしょう。僕がいた群れは人間の住む場所からは離れていて、人間を乗せているラプラス自体ほとんど見たことがありませんから〉
『そうなんだ…じゃあ氷雨も乗せるの初めてってこと?』
〈そうですよ、そもそも人間が嫌いなので後にも先にもヒナタ君専用になるでしょうね。ヒナタ君は実際僕に乗ってみて如何ですか?〉
『見た目ゴツゴツしているから痛いのかなーと思っていたけど、意外とそんなことなかった!むしろこの突起が体支えてくれるし…それに氷雨泳ぐの上手なんだね。すっごく気持ち良い!』
〈それはそれは光栄です〉
僕の丸い耳に顔を寄せ、嬉しそうに目を細めるヒナタ君。僕が背を許す人間は本当にこの子だけになるだろう。それは紅矢や疾風も同じでしょうが…。
「ねぇ君!ラプラスに乗ってるなんて素敵ね!」
『え…あ、ありがとうございます!』
「そうだ、良かったら私のこのジュゴンとバトルしない?水上バトルも素敵なものよ」
『水上!?え、ど、どうしよう氷雨…』
〈別に僕は構いませんが…要は水上だろうと勝てばいいんですよ〉
『そ、そっか。じゃあお願いします!』
「あら…ふふ、君とラプラスって心が通じ合ってるみたいに仲良しなのね。それじゃ始めましょうか!」
ジュゴンに跨がったエリートトレーナー風の女性について、周囲に誰もいない場所まで移動する。ヒナタ君は水上の…それも僕に乗ったままでバトルをするなど初めてだ。ここは僕がしっかりフォローして差し上げなければいけませんね。
「さぁいくわよ!ジュゴン、アクアジェット!」
『!?嘘、そんな…きゃあっ!!』
ジュゴンがトレーナーを乗せているにも関わらず、勢いを殺すことなく容赦ない衝撃を浴びせかける。なるほど、攻撃の瞬間も全く振り落とされず微動だにしないということは…彼女はこのスタイルのバトルに慣れているようですね。これは油断出来ません。
ジュゴンのアクアジェットを受け僕だけでなくヒナタ君にもその衝撃が伝わる。案の定バランスを崩しかけたヒナタ君が落ちないよう姿勢を持ち直した。
〈さぁヒナタ君、この海ならではの技で反撃しましょう〉
『あ…了解!氷雨、なみのり!!』
「!」
僕の意図を察したヒナタ君の指示を受け、フィールド全体を使った巨大な波を巻き起こす。その大波に逃げ場などなくトレーナーごと呑み込んだ。
「やるわね…ジュゴン、れいとうビーム!」
『こっちもれいとうビーム!』
同時に放たれたれいとうビーム。その威力は当然ながら僕の方が上だったらしい。ジュゴンのれいとうビームを押し返し、ぶつかり合った衝撃で膨らんだ冷気がジュゴンの周囲の水をどんどん凍らせていく。
『うわぁ寒そ…何かゴメンなさいだね…』
〈バトルに情けは不要です。止めを差しますよ〉
『う、うん!氷雨、アクアテール!』
「ーーーっきゃあ!!」
『あぁああゴメンなさいお姉さん!でもやったよひさ…って嘘ぉおおお!?』
〈ヒナタ君!?〉
周囲が凍ってしまって身動きの取れないジュゴンに向かってアクアテールを繰り出すと、その威力で一気に氷が砕けて海一面が大きく揺れる。ダメージを受けたジュゴンが目だけでなく体をも反転させてしまった為、乗っていたトレーナーが海に落ちるのは仕方ないとして…
何故か僕に乗っていたヒナタ君までもが海に投げ出されていた。
『っげほっ!ひ、氷雨が勝ったのが嬉しくてつい手離しちゃっ…ごほっ!』
〈全く何をやっているんですか君は…最後まで締まりませんねぇ〉
『うぅ…申し訳ないです氷雨様…』
「…っふ、あはは!面白いわねあなた達!」
『へ…そ、そうですか?あ、すみませんお姉さん!びしょ濡れにしちゃって…!』
「いいのよ、海なんだし濡れることくらいどうってことないわ。それよりありがとう、いいバトルだった!」
『は、はい!こちらこそありがとうございました!』
互いに握手をして、ジュゴンとそのトレーナーは去っていきました。恐らくポケモンセンターに向かうのでしょう。さて…予想外のタイミングで海に落ちたこのびしょ濡れのお姫様をどうしましょうか。
〈ヒナタ君、僕達も戻りますか?服が濡れて気持ち悪いでしょう〉
『ううん、そんなことないよ。ていうかどうせ濡れちゃってるんだし、せっかくだからこのまま少し泳いじゃおうかな!』
〈……はぁ、蒼刃がいたら風邪を引くだのなんだと大騒ぎですね〉
能天気にパシャパシャと水を跳ね上げ遊ぶヒナタ君を見てつい溜め息が漏れる。当初の目的はどこへやら、濡れた服などお構いなしにもう泳ぐことに夢中だ。
『それっ!』
〈っ!〉
『あは、命中ー!どうよあたしのみずでっぽうの威力は!』
〈…どうやら痛い目に遭いたいようですね。分かりましたヒナタ君、本物のみずでっぽう…いえ、特別にハイドロポンプを撃って差し上げますのでどうぞ思う存分その身を持って体感して下さい〉
『ゴメンなさい調子乗りました!!』
指で作ったみずでっぽうで僕の顔に水をかけてきたヒナタ君。何とも可愛らしいイタズラのお返しに笑顔で提案をしたら思い切り首を振って拒否されてしまいました。
本当に弄り甲斐のある子です。本気でそんな生死に関わるようなことをする筈がありませんのに。
…ですが、何もお返ししないというのもつまらないですね。
〈ヒナタ君〉
『何…んむっ、』
ヒナタ君がこちらを向くタイミングを見計らい、小さな唇に僕の口を押し付けた。
数秒後大きな瞳を瞬かせ固まってしまった彼女からそっと離れると、途端に紅潮していく頬が面白い。
『〜…っな、なな、何を…!』
〈おや、この姿ならノーカウントでしょう?ただのポケモンから主人へのスキンシップ、ですよ〉
『…スキン、シップ…スキンシップ…そ、そっか。トレーナーにチューしてるポケモンいっぱいいるもんね!』
(唇にするポケモンはそんなにいないと思いますがね)
単純なのか鈍感なのか、素直に僕の言うことを信じるヒナタ君が些か心配になる。ですがまぁ警戒されるよりはマシでしょう。
『氷雨!やっぱりもう一回氷雨に乗ってもいい?』
〈おや、自分で泳ぐんじゃなかったんですか?〉
『そのつもりだったけど…あたし氷雨に乗せてもらう方が好きになっちゃったから。ね、お願い!』
〈…やれやれ、甘えん坊ですね〉
そんな言い方をされては断れない。勿論断る理由もないのですが…末恐ろしい子です。今度はヒナタ君が乗りやすい位置まで海の中に潜り、跨がったのを確認して浮上した。
いつの間にか日も傾きかけている。そろそろ雷士達も戻ってくる頃でしょうね。僕とヒナタ君がいないことに気付いたら大騒ぎになりそうです…主に蒼刃が。
面倒なことになる前に帰ってヒナタ君にはシャワーでも浴びさせた方がいいですね。そんなことを考えていると、不意にヒナタ君が体を起こし僕の首にギュッと抱き付いた。
『氷雨、あたしのこと乗せてくれてありがとう』
〈?何です、突然…〉
『だって氷雨は人間嫌いなのに乗せてくれたでしょ?嵐志が言っていたけど…背中を貸すっていう行為は無防備な自分を晒すってことだから、信頼している相手じゃないとしないんだって。だから氷雨には拒絶されるんじゃないかって本当は怖かったんだよ。あたしはまだ、氷雨に信頼されてないかもしれないって…』
〈なるほど、君はやはりお馬鹿ですね〉
『人がしんみり話してるのに突然の暴言!!』
何なのもう!とぷりぷり怒っている様子のヒナタ君ですが、お馬鹿なものはお馬鹿なので仕方ないでしょう。
〈初めに言った筈ですよ、僕が乗せる人間は君1人だと。僕だって君を信頼しているからこうして背中に乗せているのです。少しは自信を持ちなさいお馬鹿さん〉
『……ありがとう氷雨!』
ヒナタ君は嬉しそうにもう一度ギュッと抱き付いた。そう、僕はこの子を間違いなく信頼し、好いている。
家族や仲間達は今、この広い海のどこかから僕の姿を見ているのだろうか。僕は貴方達に見せたかったですよ、僕の背に乗る唯一の子を。
〈さぁヒナタ君、せっかくですしもう少し沖まで行きましょうか〉
『うん!』
やはりまだ帰るのは勿体無い。少しでも長くこの穏やかな一時を味わいたいのだ。
そして大きく波を掻き分けた瞬間、僕の頬を撫でた海風の中に懐かしい両親の声が聞こえたような気がした。
(僕は救われましたよ、父さん母さん)
end